客観性は偽装できる

 カアモルス島は、大西洋の西側、西経二十五.四度、南緯十七.二度に浮かぶ孤島。面積は約三.五キロ平方メートル。現在はイギリス領であり、同国の整備員が常駐している。
 その名の由来は、十六世紀初頭、スペイン人航海士、アルバ・ガルシア・カアモルスに由来する。

 自然豊かな無人島であり、ダーウィン主義が盛んになった十九世紀後半、ホセ・アントニオ・マンデル、ルイス・クエトら、一部の著名な生物学者たちから注目されたことによりその名が広まった。

 現在でもカアモルス島には、その島でしか見られない希少な生物が多数生息しており、固有の生態系を維持している。イギリスの国立自然保護区に指定されており、市民の立ち入りは禁じられている。

霧島仁進『知られざる世界の孤島』より引用

 めんどくさいので、ここまで。別にわざわざ私がやる必要はないし、ネット上で探せば似たようなことしてる人いくらでも見つかると思うんだけど、これ、でたらめね。何ひとつ真実は含まれていない。
 緯度経度は適当にグーグルマップでなんもない大西洋クリックして出てきたところ。人名は、実在の著名人と被らないように気を付けながら雑に作った。
 当然『知られざる世界の孤島』なんて本も存在しないし、霧島仁進なる人物も存在しない。私が適当に作った人物。

 で、なんでこんなことをしたかっていうと、からかいたかったわけでも、私の創作技術すごいでしょっていう自慢でもなくて、ただ客観性っていうのは、表現方法のひとつにすぎない場合もあり、その気になれば結構偽装できちゃうものだよってことを言いたかったの。

 「客観的な書き方がされている=客観性がある=正しいことを言っている」という図式は少しも正しくないし、私はむしろ、客観的な書き方がされている情報にこそ、誰かの利益が絡む悪質な嘘が含まれていることが多いので、警戒した方がいいよ、と言いたいのだ。

 たとえば今私がついた嘘は、「カアモルス島」とでも検索すれば、それがまったくの嘘であることが明らかになる。一件もヒットしないからだ。(逆にすごくない?)
 しかし、すでに知られている語句を用いて、知りもしないことをその場で創作しながら書かれた言葉の場合、検索することによって真偽を判定することはできないし、一部だけ正しい内容を書けば、それが嘘であることを看破することはさらに難しくなる。

 今の例で言えば、検索しても出てこない「カアモルス島」と書いたところを、ウィキペディアに名前だけ載っているが、まだ記事が日本語では作成されていないような知名度の低い島に変えて、その島の場所に緯度経度を合わせて、それ以外の情報をそのままにすれば、それだけで私の嘘の真実味は増してしまう。
 引用元も、実在する孤島に関して書かれた、知名度の低い著作にすれば、それがどれだけ関係なくても、実際に読んだことのある人以外は見破れなくなる。

 客観的な記述法はあくまで、それ自体が何か正しさの根拠になるわけではなく、あくまでひとつの形式に過ぎない。
 その形式の中で嘘をつくことは、他の書き方と同じくらい容易に可能であることを、忘れないようにしよう。

 ところでこういう嘘って創造性に含まれるのかな?

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