休みたいだけ

 朝嫌いだった人が、昼にはもう好きになっている。夕にはうんざりして、夜には顔も見たくなくなってる。

 自分の気持ちを落ち着けて、一定の自分を保つことに、抵抗がある。
 そんな風に生きていたら、確かに苦しみは減るかもしれないけれど、その分喜びも減ると思う。

 感情と不安定さを押し殺して、冷たい機械のように生きていたころを覚えている。
 自分を殺したくて仕方がなくなっていた。
 このくだらない肉体の外に飛び出したくなっていた。

 感情が私を苦しめる。欲望が私を苦しめる。でも、それを拒んだ先に待っているのは、地獄だ。誰も見ていない、真っ黒な、底なしの沼だ。

 幸も不幸も必要だ。それがなければ、生きているのが嫌になる。幸せな瞬間も、不幸な瞬間も、生きていることを否定したりはしない。死にたがったりはしない。
 死にたくなるのは、幸せも不幸も感じられなくなった時だ。何もかもがこのまま何も変わらず、ただ緩い一時的な快楽と、長く続く緩い痛みが、永遠に続くのだと分かっている瞬間。

 人が死にたくなるのは、凍えそうなほどの寒い夜。


 なんだか疲れた。

 何をやってもしっくりこないし、全部が無駄であるような気がしてならない。そのくせ、全てを忘れて楽しみに耽ることもできない。キーボードを叩き過ぎて指が痛い。

 何を求めて私の文章なんて読むのか。私にはなんにもないのに。

 いやきっと、何かをもって生きている人なんて、めったにいないのだろう。皆が、日々をしのぐように生きている。

 私に必死さがないのは、必死に生きる必要がないからだ。私だって、もし生活が危うくなったら、必死になって働き始めることだろう。お金のために、ちょっとくらいならずるいことをやったっていいと思うことだろう。嫌なことを我慢して、人より仕事ができる自分を誇ったりすることもあるかもしれない。自分より仕事ができない人間を見下して悦に浸ったりすることもあるかもしれない。
 疲れた。そんな風にしてまで生きていたいと、どうしても思えない。私、生きるために、自分の精神や生き方を歪める必要があるのなら、もう堂々と、自分らしく、死ねるときに死んでしまいたい。自分らしく生きられないのなら、死んでしまった方がマシだと思ってしまう。それは私が若いからだろうか。未熟だろうか。それとも、逆だろうか。私が、人間として成熟しきっているから、そう思うのだろうか。あらゆるこの世の欲望に興味が持てないからそう思うのだろうか。金も地位も名誉も、心の底から、道具にしか見えない。リソースにしか見えない。それを使ってどうするかが重要なのであって、それ自体に価値があるとはどうしても思えない。
 確かにそれは私の感情を満たすかもしれない。でも私の感情を満たすものは他にいくらでもある。男の子に好きだと言ってもらえたら、私は嬉しい。でも結局のところ、それの延長線上にあるものじゃないか。感情的な喜びなんて、全部、それが終われば消えていくものじゃないか。金も地位も名誉も、手に入れるまでは魅力的かもしれないが、手に入れてしまえば、もう取るに足らない、つまらない、「もの」でしかないじゃないか。

 私は時々、文章を書くことが自分の仕事ではないのではないかと思う。私は、何もなくても、意味もなく、言葉を繋ぐ。それが習慣だし、呼吸するように、毎日何かを書いていないと、息苦しくて死にたくなる。
 だからといって、これに喜びや楽しさがあるわけじゃないんだ。人が呼吸を楽しむことが滅多にないように。(窒息しかけた後の呼吸は、気持ちがいいけれど。風呂の中にもぐって三十秒くらいぶくぶくした後の呼吸は楽しいけれど)

 結局楽しみなんてものは、人生のおまけに過ぎないのではないのか。みんな、それほど楽しく人生を歩んでいるわけじゃなくて、自分の歩んできた正しさを自分自身と身近な人に主張したいがために、実際以上に「私は仕事を楽しんでいる」と表現してしまうのではないか。
 もちろん、楽しい瞬間はあると思う。私だって、書いている最中、楽しくて楽しくて仕方がないときはある。でも同じくらい、苦しいことや悲しいこと、つらいこともある。トータルで見て、それが素晴らしく楽しいことかと言われたら、そんなことはないと思う。遊んでいる方が、楽しい。
 私は体を動かすのが好きだから、友達と公園でバドミントンとかしてる時の方が、きっと楽しい。風に流されて羽が自分のところに戻ってきてしまう自分の滑稽さに笑い転げている時の方が、きっと楽しいと思う。

 でも楽しさのあとは、寂しさと空しさがやってくるんだ。文章を書いている時は、寂しさや空しさはない。書いている最中はつらいことが多い。楽しいことも多いけど、そんなことばっかりじゃない。でも書き終えた時の安心感や、気持ちのよさは、他の何にも代えがたい。結局私は、文章を書いていないとき、自分が無駄な存在でないと思いたいから、書き続けるのかもしれない。だとすれば……きっと私の文章には、何の価値もないのだろう。それは単に私の悲しさや苦しさをごまかすためのものに過ぎないのだから。

 誰も私になんて興味がない。というか、興味を持ってほしいとも私は思えない。じゃあなんで書くの? さっき説明した通り。結局私は、書くことによって精神を整えているに過ぎない。

 時々私は、自分が何か素晴らしいものを書ける可能性を秘めた存在なのではないかと思い始める。思いたくなる。でも実際はそうじゃない。実際は、単なる欠陥人間だ。間違えて生まれてきた、泥人形だ。

 私はどこに行っても邪魔者扱いだから、死にたくなった。死んでしまおうと思った。でも、死ななかった。健康な体で「助けて」と言っても誰も助けてくれなかったのに、私の体がいざ本当の意味で死にそうになった時は、皆が必死になって助けようとした。分からないのは、私の心を支えてくれる人は誰もいないのに、私の体や命は皆が支えているという事実だ。お金も、人間関係も、技術も、私の心を癒してくれることはないのに、私の体を癒すのにはいつもとても役に立つ。
 入院した大病院は清潔で静かで人が少なくて、気分がよかった。私の心は、時々深く沈み込み、ひとりで声をあげて泣いたけど、誰もそれを咎めたりしなかった。その寂しさも含めて、私だった。
 精神病院はクソだった。奴らは私を「普通」だと言った。「健康的」で「優秀」だと言った。それに一番腹が立った。まるで私という人間ではなくて、私という人間が書いた文章でもなくて、ただ私という人間のやったテストの結果だけを見て、それだけで私という人間を想像して決めつけたみたいだと思った。


 私が私であるかぎり、人生は苦痛だ。地獄だ。何をやっても不快だ。満足なんてほど遠い。でも欲しているものもない。欲しいものは全部手元にある。手に入らないものは、いらないということにしてしまった。それを手に入れるための努力は、全部水泡に帰したから。あるいは、容易に手に入ってしまったから。
 なんでもいい。他の人が欲しがるものは全部、私の欲しいものじゃない。人からの贈り物で喜んだ覚えがない。いや、贈り物をもらったという事実は嬉しかった。それは、私が愛されているという証拠だから。でも、その「もの自体」が私を喜ばせたことはなかった。
 おいしい食べ物を食べたら、おいしいと思う。幸せだと思う。だから、おいしい食べ物を贈られたら、嬉しいと思う。でもそれだけだった。それだけでしかなかった。食べ終えたらなくなるし、なくならないものも、私をずっと喜ばせてくれるわけじゃない。いつかそれがあることが当たり前になって、時々思い出して喜ぶことはあるけれど……

 あぁ。なんて「普通」なんだろう。ただ私は、自分がいかに「普通」であるか、理解しているだけなのかもしれない。それに苦しんでいるのかもしれない。普通「普通の人」は自分が普通であることに気づいていない。気づいている場合でも「なぜ自分が普通であるか」ということは考えていない。せいぜい「普通だから普通なのだ」とか、そんな同語反復で自分を納得させる。
 私は自分が間違っているとは思わない。確かに私は健康で、優秀だ。病気なのが社会の方だとしたら? もうどうでもいい。そうであったとしても、私の知ったことではない。私は社会を私向きに変えたいとは思わないから。だってそうじゃないか。私のような人間が「生きやすい社会」なんてろくな社会じゃない。いや……この社会でも十分、他の社会と比べたら「生きやすい」と言える。違うな。「生きられる」と言った方が正しいかもしれない。私は本来、生まれてから何年かしてから自ら死を選ぶような人間だ。自ら死ぬしかないような人間として生まれてきた。私は役立たずで、邪魔者なのだ。

 私が役立たずで邪魔者だから、他の人のことを好きになれないのか、それとも私にとって他の人が役立たずで邪魔者だから、私も他の人にとって役立たずで邪魔者であろうとするのか。私には分からない。
 どちらが先かなんてどうでもいい問題だ。
 ただ私は、誰かのために何かをすることができる人間ではなかった。
 誰かに与えらえた義務や目標を達成することによって喜ぶことのできる人間ではなかった。
 目の前の快楽のことだけを見つめて、それを味わって満足できる人間ではなかった。
 私は自分という人間を美しく保つということだけで満足できる人間ではなかった。

 私は結局のところ、何もできない人間として生まれ、何もできない人間として死んでいく。

 せめて誰よりも、本当のことを言う人間でありたい。本当のことを知る人間でありたい。悲しい現実を、真実を、理解し、受け入れ、その中で呼吸する人間でありたい。自分自身の無力と矮小さを理解して、それに苦しみ続けていたい。

 私に何か欲望があるとすると、それだ。私は私の弱さや醜さを理解していたい。そこから、目を逸らさないでいたい。どうせ、私は弱くて醜い人間であるから、それが変えられないのであれば、せめて、それを見つめ続ける強さくらいは保っていたい。それくらいは、自分という人間に課していたい。それくらいしか、私を満たすものがないから……

 自分がいつか必ず死に、世界がいつか必ず滅びるという事実だけが、私を慰める。ただ私は休みたいだけなんだ。

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