ちょっとは私の苦しみを味わってみればいい

 私は刺激に敏感な人間で、特に夜中、何かショックなことがあるとそれだけで寝つきが悪くなる。

 今日の夜、私が階下に降りて水を飲み、そのあとに風呂に入ろうとしたのだが、そのとき顔をしかめた母が廊下の方からやってきて「○○。あんたいつも夜、足音とかうるさい。あとコップ出しっぱなしにしないで。洗濯物も出しすぎ。そんなに家出てないくせに、一日何回も着替えないで。水道代も電気代ももったいない。なんで顔しかめてるの? 分かってる? 返事は?」と。私は顔を背けて「はい」と小さく返事。

 私は風呂に入りながら、ぐるぐると考え込む。母が言った言葉に対して、ひとつひとつの弁明。私の足音は確かにうるさかったかもしれない。もっと音をたてないように気を付けて歩かなきゃいけない。でも私ばっかりなぜそんなに気を付けなくてはならないのだろう? そもそも私はそんなにどたどた歩く人間ではなくて、ぺたぺた歩くタイプの人間で、それほど大きな音は立たないはずだ。そのペタペタが耳障りだとしても、そんなずっと歩いてるわけじゃなくて長くてほんの数分程度なんだから、それくらい我慢してくれたらいいのに。洗濯物だって、私は結構散歩することが多いし、筋トレも日常的にやってるから、この季節は汗で服がすぐべとべとになって、頻繁に着替えなくちゃいけないのは仕方ないじゃないか。それに、晴れ続きで洗濯物はすぐ乾くし。電気代とか水道代とか、そんなことを気にするほどうちは貧乏じゃないし、起こる理由として正当じゃない。そもそもあの人は、私に自分のストレスをぶつけたかっただけじゃないか。家を出たい。でも……ひとりで生きていくためには、働かないといけない。気分が悪い。
 ぶくぶくぶく。
 いちいち返事を要求するのも腹立たしい。言い返せばよかったか? だが言い返せば、間違いなく母は怒りだして、大きな声で余計ひどい言葉を私にかけてくる。すると私は、もっと大きなストレスを抱えることになる。母より大きな声でこの時間に怒鳴ることは、私にはできない。私にはプライドがある。気品もある。あの人とは違う。でも、これじゃ私はあの人の召使みたいじゃないか。ぺこぺこ頭を下げているだけなんて、腹立たしい。復讐するか? だが復讐して、あの人が悲しんで、それでストレスを溜めたら、またその影響で私に当たってくるじゃないか。意味がない。だったら、距離を取るしかないのか? それはできないんだ。私は働くことができない。それに、父のこともある。私が家を出たら、母のあの癇癪を父ひとりが受け止めなくてはならなくなるし、それはさすがに忍びない。いやしかし……私のような繊細な人間がダメージを受けるよりは、父のように物事をあまり気にしあい人間がダメージを受けた方が、結果的に、全体的に、家族内で生じるストレスの総量は減るのではないか? いやいや、そういう、自分が得するような功利主義的考えは、好ましくない。そういう風な理屈の使い方は、下品だ。
 あぁ腹立たしい。私は今晩、こんなことをずっとぐるぐる考えなくてはならないのだろうか? あぁそうだ。私の不眠症の原因のひとつは、母のこの就寝前の小言にある。
 そうだ。ひとつ、アレを試してみよう。

 私はすでに布団の中に入っている母に近づき「お願いがあるんだけれど、いい?」と小さな声で囁いた。母は返事がない。寝たふりだ。返事がしたくないときは、母は返事をしない人間なのだ。こちらの気持ちなど、少しも慮らない。まぁそれも、想定通りだ。
「あのね、お母さん。私さ、寝る前に小言を言われるとね、眠れなくなるんだ。眠れなくなって、イライラして、お母さんが嫌がることしたくなっちゃうんだ。だって、私が眠れなくなっちゃうのは、お母さんのせいだからね。お母さんが、わざわざ夜に、私が眠れなくなるようなことをするから、だからね。私は夜にお小言を言われると、眠りにつけるようになるまでずっとぐるぐるぐるぐるお母さんに言われたことと、その反論を、頭の中で繰り返さなくちゃいけなくなるの。これは、私の気持ちでどうにかなる問題じゃなくて、お母さんがお小言をどうしても言いたくなっちゃうのと同じで、どうしようもないことなの。分かる? だからね、お小言を言いたくなっても、夜だけは我慢してほしいの。朝になら、ちゃんと聞くからさ。分かった? 寝たふりしてるんだよね。分かってるよ。私、今晩はどうしても眠れないからさ、お母さんにも眠れなくなってほしいんだ。私が本気で悩んで、苦しんで、勇気をもって話しかけてるのに、ずっと寝たふりしちゃうお母さんに、ね」
 小声で、少し離れたところから、はっきりと、ゆっくりと。子守唄を歌うような、優しい声で。
 結局最後まで返事はなかったが、母は確実に起きていた。それは間違いない。母は寝てる間、必ず一定のリズムで寝息を立てるのだ。あまりに静かすぎるときは、確実に、あえて意識的に音を立てないよう寝たふりをしている時だ。
 私はそのあと、もう一杯水を飲んで、自室に戻り、これを書いている。

 私のやったことは悪だろうか。私のやったことは罪だろうか。私はただ黙って耐えるべきだったのだろうか。
 私の肉体は、私の精神に対して「お前はお前にできることをちゃんとやった。よくやった。お前は間違っていない」と言っている。つまり今晩は、ひどい悪夢を見なくて済むのだ。
 おそらくいつものように我慢して、この先も、同じ苦しみを我慢し続けなくてはならないのだと考えながら眠っていたとすると、私はおぞましい悪夢を見て、しばらく体調を崩してしまっていたことだろう。

 私自身にとって、先ほどの行動はおそらく間違っていない。あれで母が眠れなくなったとしても、少なくとも母はその経験から、学ぶことだろう。もし夜中に私に理不尽な小言を言えば、今日と同じように私にひどい復讐をされる。ひどいことを言われて、自分自身が眠れなくなる。そういう風に刷り込めば、彼女は自分が寝る前に私に自分の不満を吐き出すようなことはしなくなるだろう。
 気分は、悪い。そもそもそんな風に、愛ではなく、打算と計算によって人間同士の関係を改善しようとすること自体に、私はどうしようもない気持ちの悪さを感じる。でも仕方ないじゃないか! 彼女は基本的に、自分の感情をコントロールできない人だ。「静かにして! ご近所迷惑でしょ!」と、誰よりも大きな声で怒鳴るタイプの人間だ。言って聞かないなら、体に教え込むしかない。そんなことは、したくないけど、仕方ないじゃないか! 私が悪いのだろうか? いや、そんなはずは……

 誰か私をこの悲惨な人生から救い出してくれ。
「とんだ悲劇のヒロイン気取りだ。被害者意識が強すぎる。頭が悪いんだ」
 出た出た。客観的批判者。久しぶり。最近出てきてなかったよね、君。どうしたの?
 返事がないな。あぁ。

 私は、心のどこかで私を救い出してくれる人を望んでいる。結局私は、受動的な人間なのだ。
 それでいいのか? いいわけなんかない。だから今日は、自分から動いたのだろう? たとえそれが、どれだけ罪深いことかもしれないとしても、自分の体と生活のために、私は断固として行動した。
 私は間違ってない。はずなんだ。間違ってないはずなんだ。

 どうして私ばかり我慢しなくてはならないのだろう? しかし……しかし! 皆少しずつ我慢しているのは事実だ。母だって、母なりに日々怒りや不満を抑えて生きているのだろう。それでも、漏れてしまう部分があるのは知ってる。その多くは、私は許しているし、いちいち言い返したり、復讐したりはしない。でも夜は本当にやめてほしい。ただでさえ眠れないことが多くて色々工夫してるのに、考えなしに自分のことだけ考えてあんなことされたら、私は母を憎まずにいられなくなる。だから、母には分かってもらわないといけない。
 戦いたくなんてない。人を苦しめることによって、自分の場所を確保なんてしたくない。でも、仕方ないじゃないか! あぁ。人間の悲惨さの本質はここにある。自分の権利を守るために、他者の権利を侵害する。あぁ。私は自分の権利を確保するためには、誰かを傷つけなくてはならないことを知っている。そして……私が勝ち取った権利のすべては、そうやって勝ち取ったものだ。
 私はこれまで、誰かの愛によって救われたのではなく、私自身の強さと、残酷さによって救われてきた。それがどうしようもなく悲しい! それがどうしようもなく、腹立たしい! 私が人に優しくすれば優しくするほど、そいつは私に対して容赦なくなっていった。私を一方的に傷つけて、自らの欲を満たし、不満を解消しようとした。
 逆に私が相手のやったことに対して仕返しをしようと、そういうそぶりを見せると、相手は私に対して優しくなった。私の権利を侵害しなくなった。
 結局私の体と心を守ったのは、優しさではなく、暴力的な怒りだった。相手への敵意であり、憎しみであり、復讐心だった。もしそれがなかったなら、私はずっと精神的な搾取を受け続けていたことだろう。

 人間はなんて醜いのだろう。そんな連中に囲まれて生きなくてはならないなんて、地獄のようだ。地獄のようだ! 逃げろ! 逃げるしかない! 私は戦いたくない! あんな連中と戦っては、あんな連中の匂いが自分についてしまう! 無意識的な利己心と我欲ばかりの人間になってしまう! いやだ! そんなのは絶対にいやだ!

 我慢はできない。私は私の自由と権利を守らなくてはならない。戦うのは、最小限でいい。最小限で、最大の効果を上げなくてはならない。それが一番、自分の体と心を守るのに役立つ。正当防衛だけが、正当化されるのだ。

 今回私が母に対してやったことは、決して不正ではない。私はこれまでずっと黙って耐えてきた。こんな契約は不本意だが、仕方がない。この先、母が夜に私にストレスを与えてきたら、私はその分寝ている母に呪いの言葉を投げかけることにする。それでも改善しないなら、別の方法を考える。私は母を傷つけたいわけじゃない。出来る限り穏便に、自分が傷つかなくていいような状況を目指す。
 そこには、愛も優しさもない。私はそれが悲しい。愛や優しさが届かない相手はいる。献身が、無駄に終わることもある。私はそれを嫌というほど思い知っている。我慢が、忍耐が、報われないことはある。私はそれを知っている。嫌というほど理解している。だから、時には冷酷に、残酷に、相手を傷つけなくてはならない。正確に、傷つけすぎないように。

 いつか憎しみが抑えきれなくなって、殺してしまわぬように。

 神よ。愛なき私の愚行を許してくれ。

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