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相手の考えていることを推測すること

 昔は全然できなかったんだけど、生活に余裕が出てきて、昔のことを何度も繰り返し思い出すことをずっと続けていると、いつの間にか相手が次に何を言うか分かることが増えてきた。
 相手が何を言いたそうにしてるかとか、相手が自分にどんな印象を持っているか、とか。
 よく学者の人たちが「うんぬんかんぬん、という反論が予想されるが」みたいな風に先んじて批判に対する回答をしているけれど、そんな感じで、相手が感情的に何を言いたいと思っているのか、予測できてしまう。

 人は基本的に「言われたいこと」よりも「言いたいこと」の方が多い。だから、もし相手の欲望を満たすことに重きを置くなら、コミュニケーションは基本的に「聞き手」に回ることが増える。相手がどれだけ話すのが下手だったとしても、相手を喜ばせるためには、相手から、相手の言いたいことを引き出してやるのがいい。
 相手が何を言いたいのか先んじて理解できることのメリットは、それだ。しかもそういう予測はぼんやりとしているが、実際に相手の口から出てくる言葉はほとんどの場合予測よりも具体的で、自分の知らない内容も含まれることがよくあるので、そういう風にして相手を楽しませつつ、自分はしっかり知識と経験を吸収する、というのは、とてもいいことだと思う。

 よくフィクションの世界で、相手が言おうとしていることを先に「お前今うんぬんかんぬん、と考えただろう」と言い当てるシーンがあるけれど、実際に人の心の機微を予測するすべに長けている人は、そういうことをすることはまずないと思う。無駄だし、メリットがない。
 間違っても、相手が言いたいことを先に自分が言ってしまわないこと。コミュニケーションは、誰が言うのか、が大事なのだ。
 いやもちろん、恋人同士が悪ふざけでそういうことをするのはとてもいい。面白くてかわいらしいので、いいと思う。

 ただ、同じフィクションでも、腹の探り合いのようなシーンは、現実でもけっこうあって、私はこれがとても嫌い。フィクションですら見たくない。お互い別のことを目的としつつ、表面的には少しズレた部分の話をする、みたいなのが本当に嫌い。大嫌い。頭や目の良さを、くだらないことに使っている感じがするからだ。

 私は楽しいことや喜ばせることが好きで、そのために自分の能力を使いたいと思ってる。悲しませることや怒らせることも、種類によってはけっこう好きなので、そういうのに対して抵抗が強く、私のことが大好きな人には、甘えて、そういうことをすることもあるかもしれない。
 やっぱり人の気持ちが予測、推測できるというのは、とても疲れるし苦しいことも多いけれど、決して悪いことばかりではないと思う。

 人の気持ちを推測することは、ちゃんとそれが正しかったかどうか毎度確かめることができるならば、それが当たっていても外れていても今後の役に立つ。人の気持ちに興味を持って、確かめていくことが、人の気持ちを理解する近道なのだ。
 それは小手先の技術や、体系的な解説では身に付くものではなくて、たくさんの経験と、苦悩と呼んでいいほど大量の思考、個人的な失敗と勘違いの先に見つかるものだと思う。

 人の気持ちを予測するというのは、浅くて穏やかな小川に折り紙の舟を浮かべて、それがどの岩に引っかかるか考えるようなものなのだ。

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 それはいっけん、理解しえないほど複雑で、考えるだけ無駄のように思えてしまう。でも何度も何度も繰り返せば、ある程度の法則が見えてくる。
 もちろん例外は、絶対になくならない。百回やって一度も行かなかった方向に、百一回目で急に向かっていくこともある。何か外部からの力が働けば、自分が流した場所よりも高い位置で引っ掛かるようなこともあるかもしれない。
 そういう意味では確かに人の心は予測不可能なのだが、それでもやっぱり、川が上流から下流に流れるしかないように、人の心も、そうであるしかないような部分はあるものだと私は思っている。

 自分にとって一番身近な心は、自分の心だ。だから、人の心を確かめるうえで、一番役に立つ実験体は、自分の心だ。
 自分の心がどのように動いたのか、認識し続けるだけで、ある程度人の心も分かるようになってくる。川と川の長さや太さ、その流れの強さが異なるように、心と心も異なっているけれど、でもやっぱり、川と同じように、共通点はある。
 だから自分のものをちゃんと見ることが、他の人のそれを理解するのに、一番役に立つのだ。

 でも忘れてはいけないのは、一番大事なのは、共通してる部分ではなくて、その人自身の固有の部分だということだ。その川の価値を決めるのは、その川が他の川とどう異なっているか、その川にあって他の川にないものは何か、ということなのと同じだ。
 下流は澱んでいても、上の方には小さくて美しい滝があるかもしれない。
 大きい川が、小さい川に対して常に優れている、というわけでもない。

 人の心は難しい。難しいからこそ、面白いのだ。大切に育てたい、と思うのだ。

 でも人の心を川の流れに喩えるのってなかなかいいと思わない?
 たくさんの川が合流するところは、流れが強くなりがちで、雨がたくさんふるとひどく荒れて氾濫することも多い。人の心が集まって一カ所にまとまるところでは、大きな事件が起きがちだし、だからこそ、人の集まるところには、ダムのように、優れた人工的なシステムが必要になる、みたいな!
 単なるレトリックだけどさ、こういう比喩、私好きなんだよね。

 そういやあの子の名字、浅川だったなぁ。
 私、浅くて綺麗な川、好きなんだ。

 あんまり今回の件と関係ないけど、人の心や話について言う時、深い方がよくて、浅い方がよくない、みたいな印象を持っている人は多いけど、私はそういう風には思わないんだ。
 深くて濁った場所は危ないし、浅くて綺麗な場所は美しくて素敵だ。言葉や心もそうだと思う。
 一番美しいのは、深くて綺麗な場所かもしれない。浅くて汚い場所は、どうしようない場所かもしれない。でもだからといって、深くて汚い場所が、浅くて綺麗な場所に優ることにはならない。

 現代人は、深い浅いには敏感だけど、美醜にはちょっと鈍感なんじゃないかって思う。ちょっと清潔さに欠けているんじゃないかなぁって、思う。

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関係ないけどお絵描き楽しい。あと描いてから、裏ピースってそういえば英語圏じゃアレだったなぁって思いだして、下部分消したり手だけ描きなおしたりしようかと思ったけどめんどくさかったので諦めたぽよ~~文化の違いめんどくさ~~

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