失恋(?)話

 私はほとんど恋愛というものをしたことがないが、一度だけ付き合うというものをしてみたことがある。

 もちろん中学生のごっこ遊びなのだが、なんというか……そのごっこ遊びすら、上手にできなかったのを覚えている。

 中学二年生の文化祭の終わりごろ、クラスメイトの一人から告白された。特別綺麗な顔をしているわけではないが、純粋そうな人だった。
 何と答えたんだっけな。確か「いいよ。何すればいいのか分からないけど」とか、そんな素っ気ないOKだったと思う。
 男の子に告白されることはそれまで何度かあったけれど、どれもなんだか不真面目な感じがしたし、純粋に生理的に無理な人ばかりだったから断ってきた。その彼は、勉強が得意だったし、品行や言葉遣いも、中学生男子にしてはマシな部類だった。
 声を震わせながら「好きです、付き合ってください」という定形の告白をしてきたことも、好意的に思えた。
 だから、付き合ってみた。少し、彼のことを知ってみようと思った。

 ほとんど流れで、どちらが言い出すでもなく、一緒に帰ることにした。彼はサッカー部で、部活が終わるまで私は教室か校庭の隅で本を読んで暇をつぶしていた。確かその時はデカルトとかスピノザとかを読んでいたと思う。はじめのうちはうまく理解できないし頭も痛くなるしで、あまりいいことはなかったけど、根気よく何度も読み返すと、著者の言いたいことがぼんやりと見えてくるから、我ながら我慢強い女子中学生だったなぁと思う。
 で、もちろん本に集中しているから彼が声をかけてくるとびっくりして、肩を震わせてしまう。彼の気まずそうな顔は、覚えている。今の反応、可愛くなかったのかな、と思ったのも覚えている。そのあとにまぁいっか、と思ったのも。

 で、二週間くらい特に何もなく過ごした。会話はあまり弾まなかったし、私がどれだけ質問しても、当たり障りのないことしか教えてくれなかった。
 覚えている会話をいくつかあげておこう。
「どういう女の子が好きなの?」
「大人しくて、かわいい子」
「じゃあ、私のどういうところが好きになったの?」
「そういうところ」
「へぇ」
 うわぁ文章にすると私嫌な女みたいじゃん。嫌な女なのかな?

「兄弟は?」
「弟がひとり」
「仲いいの?」
「いや」
「どんな子なの?」
「生意気」
「へぇ」
 何を話しても多分こんなだったと思うんだよね。別に彼のコミュニーケーション能力にケチつけるつもりはないけど、おしゃべりな私とは相性が悪いのかなぁと、当時すでに思っていたと思う。

 まぁでも、そういう自分からほとんど話し始めてくれない人と付き合ってみたからこそ「自分と同じくらいに強い自分の意見を持っていて、しっかり投げ返してくれる人」という異性にはっきりと求めているものが説明できるようになったのかもしれない。そう考えれば、彼にも感謝だな。

 あの「大人しくてかわいい子」というタイプについて、私はそういうタイプではないと自分では思ってて、当時そのことでずいぶん考え込んだ覚えがある。
 両親にも「私って、大人してくかわいい子?」と聞いてみた覚えがある。
 たしか母は笑って「○○ちゃんはいつも世界一かわいいよ」とおどけて、私も同じように「お母さんも世界一美人だよ」と言って笑ったのを覚えている。
 父の方は「大人しくはないな。客観的にかわいいかどうかは分からん。自分の娘がかわいいと思うのは、当たり前だしな」と、父らしく冷静に教えてくれた。

 友達に聞いたら、ある子は「大人しくはないよね。意外としゃべるし、いつの間にかひとりで何かやってること多いし。かわいいかって言われたら、少なくとも私よりはかわいい」と言った。
 他の子は質問を曲解して「一部からめっちゃ好かれそうな顔してるよね」と答えた。まぁそれも間違ってはいないと思う。というか、世の中の大半の女性の顔なんて、そんなもんなんじゃないのかな? アイドルや日本の有名女優もそうだし、ハリウッド女優とかだって、日本人男性からの受けはあんまりよくないみたいだし(少なくとも私の周りの人たちの間では)


 で、嫌な思い出はそのあと。ある日私が教室で本を読んで帰りの誘いを待っていても、結局来なかったのだ。あ、これあいつ勝手に帰ったな、と私は察した。でももしかしたら何かトラブルがあるんじゃないかと思って、まだ残っていたサッカー部の人に聞いてみたら「あいつ、君の悪口言ってたよ」と教えてくれた。
 どんな? と聞きたい衝動を抑えて、私は笑った。
 「ま、そんなもんだよね」と、できるだけさわやかに聞こえるように言ってひとりで帰ることにした。それが嘘だったとしても、別に構わないと思った。私も何となく、合わないなと思っていたから、ちょうどいいと思ったのだ。
 もし勘違いや騙されているのだとしても、そのままでいい。私は傷つかないし、彼の方は多分既に彼自身の責任によって傷ついている。私の問題ではない。
 そう自分に言い聞かせつつも、多少のショックを受けながら、しょうもない恋愛ごっこは終了した。

 実際に、私の悪口が言われているのを偶然聞いてしまうこともあった。その時の言葉は割と克明に覚えている。(偶然と言っても実は半分は私の意志で、体育の授業の片づけの時、余ってる人はそれぞれ好きな場所でだべっていた。私はなくなったソフトボールの球を探してて、つい気になって目立たない場所にひそんで立ち聞きしたのだ。でもちょうどよく私の悪口を言い始めたのは、まったく偶然だった)
「○○。ぐちぐち自分の好きな事ばっか喋って、全然俺の話聞いてくれなかった」
「そういう子多いよね。表面上は静かだけど、付き合ってみるとうるさい、みたいなの」
「顔は好みだったけど、あぁいう性格じゃ無理だ」
「ご愁傷様」
「お前も付き合ってみろよ。多分告白したらオッケーしてもらえるよ。お前性格いいし」
「いいよ。好きじゃない子と付き合っても意味ないし」
「あーあ。好きだったんだけどなぁ、俺」
「合わなかったなら仕方ないよ」
 きっと相手のめんどくさそうな態度から察するに、似たような話をもうすでに何度もしていたのだと思う。
 私は「ぐちぐち自分の好きな事ばっか喋るやつ」と思われるようなことをしただろうかと随分反省したみたが、心当たりは全くなかった。でも、実際に私がそういうやつであることは事実だしそういう意味では彼は間違っていない。
 意外と人を見る目があるんだななどと思いつつも、自分から告白してきた癖に、女々しくそんな風なことを言ったという事実にムカついたりもした。
 ま、私も子供だったというわけだ。だから意地をはって、友達に聞かれても彼のことはできるだけ知らぬ存ぜぬで通した。そのせいで友達は、私が酷く傷つけられたものだと勘違いして、彼に面と向かって酷いことを言ったりもしたが、それが原因できっと私は別の悪口を言われているんだろうなぁと嫌な想像をするはめになった。
 つまり私が彼と同じように陰で彼の悪口を言っているのだと、そう邪推する人がいっぱいいても仕方ないだろうなぁ、と。
 もうめんどくさい! 思い出すだけで吐き気がする。私は確かに傷ついていたが、初めからどうでもよかったし、もう関わりたくなかった。それなのに、彼も友達も、余計なことをして私の傷に塩を塗ったわけだ。
 傷ついたのはお互い様だと思うけれど、それでもなんだか腹が立った。でも結局私は我慢しきったし、我慢しきったおかげで、そういうやな雰囲気もすぐに皆忘れてくれた。

 ほんと馬鹿みたい。

 多分私が孤独な人や人の悪口を言わない人が好きなのは、そういう経験から来るのだろう。
 
 私にも、確かに落ち度はあった。配慮が欠けている部分もあった。そもそも付き合わなければよかったのだ。でも付き合わなくては分からないこともあった。
 私も、何とかその人のことを知ろうと努力したし、人と付き合うのならば、その人のことを赤の他人よりかは知っていなくてはならない。アクセサリーか何かではないのだから、対等に向き合わないとまず話にならない。
 でもそういう態度が、そもそも押し付けなのだろうか? 男はもっと軽い気持ちで女と付き合おうとするのだろうか? そういう男は、こちらから願い下げだ。気持ち悪い。
 
 多分、はっきり私から謝るべきだったのだ。
「ごめんね。私やっぱりあなたのこと好きになれないから、別れよう」と。
 あの時私は確かに、受動的でありながらも我儘であった。そういうところが、彼を怒らせたのかもしれない。
 でも、彼が怒っていたのはどこか自分自身のふがいなさというか、コンプレックスというか、そういう部分にあったような気がしてならない。確かに会話をしている最中、彼はうまく会話ができていなかったし、それが出来ていない自分に嫌気がさしているような雰囲気もあった。
 あるいは、私に見透かされている感覚? 優位に立たれている感覚? まぁいずれにしろ、どちらが悪いとか、そういうわけではなくて、ただ合わなかったという、それだけのことなのだ。

 どっちも傷ついて、いい青春の思い出になりました。そういうことなのだろう。


 こうやって思い出してみて分かるのは、私の過去のちょっぴりつらい出来事は、完全に癒え切ってなくて、思い出すとまたつらい気持ちになるのだということ。
 私はこんなくだらない出来事よりずっと苦しくて深刻な出来事に何度か見舞われているけれど、でもそういう大きな経験が、小さな痛みを感じなくさせてくれるわけではないのだと、理解する。
 どんなに苦しい思いをしてきても、小さな痛みに頭を悩まされたり、苦しめられたりすることに変わりはない。
 人間って、小さな生き物だと、そう思う。たくさんのことを乗り越えてきたはずなのに、昔に感じた小さな不愉快のことを、真剣に悩んでしまうのだから。

 悩みに向き合ってきたつもりだけど、実はずいぶん誤魔化してきたのかもしれないな。だから今更傷つく。

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