こんな人生は、気に入らない【掌編私小説】

 十七の夏。私は今、立ち止まっている。
 結局私も、他のみなと同じように、自分が進むべき道について悩んでいる。
 自分にしかできない何かがあるかも、なんて希望にすがっては、そんなものは何もないのだと現実的に考えては頭を抱える。
 しょせん、私なんて有象無象。そう思って、自分に提示された選択肢を吟味する。吐き気がする。
 そして、ただ感じたことを綴る。それだけの生活。

 自分が論文を書いている姿は想像できるのだけれど。

 テーマを設定して、資料を探して。文体も構成も、規則と文化に従って。
 ていねいに時間をかけて書けば、それ相応の評価が得られる。学問の世界は、方向性さえ間違っていなければ、努力した分だけ結果が出るような世界であるように見える。安心感があって、何かに無理して挑戦する必要がない。サイコロを振って自分の将来を決める必要がない。全部、見通し通りに進んでいく。
 その中を、しかめ面で進んでいく自分の姿は容易に想像できる。中学生の時も、同じ自分を想像していた。私は当時、自分は、そのような人間にしかなれないのだと確信していた。

 ずっと、自分は学問の世界で生きていくことしかできないのだと思っていた。父の影響を強く受けすぎた可能性もある。

 でもどうだ? 私はその他でもない学問の世界に吐き気を感じて、逃げ出した。二度と関わりたくないと思った。それなのに、迷ったときや分からないときに頼るのは結局学問的な知識なのだ。
 権威を否定する癖に、現代の本を読むときは必ず著者の経歴を調べ、ネット上で見つかるならその人物が書いた論文にも目を通そうとする。私は何様のつもりなのだろうか? でも、それがなぜか、必要な作業であるような気がしてしまうのだ。何かが私の精神に染みついている。懐疑的な、何かが。

 労働はしたくない。自分の精神を壊すようなことはしたくない。学問的な冷たい言葉は苦手だ。一時間くらいなら耐えられるけど、だんだん頭が痛くなってくる。それがどれだけ興味深くて、読むのが楽しくても、やはりその無人格性に、吐き気を抱いてしまうのだ。私はそれを生業にすることができない。人にものを教えるのだって、得意かもしれないが、長時間続けることはできない。
 想像上の、毎日同じことを繰り返している自分は、いつも青ざめた顔をしている。夜になれば酒を浴びるほど飲んで、ぼんやりとした頭で明日の予定を意識して。倒れるように眠って、まだ起きたくないと言っている体に鞭を打って……

 そんな生活の先に得るものは何だろう? 対価として相応しいものが、手に入るだろうか? 否、だ。

 やっぱりそれは私の道じゃない。

 いつも死が私を後ろから呼びかける。
「生きるのは苦しいよな。終わるのはいつだって簡単なんだ。死ねば、全部楽になる。お前を大切に思うやつなんていない。お前が死んで悲しむ連中も、三年くらいたてばすっかりお前のことなんて忘れる。心配する必要なんてない。お前の命には、大した価値なんてない。そのどうでもいいもののために、お前はあと五十年以上苦しもうというのか? 死ぬのは簡単だ。お前がその気になれば、いつでも俺はお前にその方法を教えてやれる。お前はいつでも死ぬことができる。自分の将来が見えなくなったら、俺がいつでもお前を殺してやる。だから、安心して生きるがいい」

 その声は、心地いい。死は私を待っている。優しい声で語りかけてくる。私は、早く死にたいと思っている。でも、まだ死ぬわけにはいかないと思っている。というか、そう思わないと生きていけないのだ。ぼんやりと生きていると、ある日突然強い衝動を感じた時に、それを抑え込める自信がないから。
 生きなくてはならないという強い縛りを自分にかけていないと、ある日突然自分がふっと奈落の底に落ちていくような気がして生きている。私は未来の私のことは分からないから。

 息苦しいな。とても息苦しい。

 生きていかなくてはならない、なんて決めなくても、生きていたいと思える人生を歩みたかったのに。今からでも、歩みたいのに。でも、見えないんだ。
 見えないんだよ。何も見えない。私の前には、全ての道がふさがっている。何をやってもうまくいかない……違う。自分がやったことによって、どんなにうまくいったとしても、その先の私の顔は真っ青なんだ。
 私は今の自分より幸せな状態が想像できない。「私の幸福な人生」は、ここでもう完成されてしまっている。だからこの先に待っているのは「私の地獄のような人生」でしかないのだ。

 せめて、自分で選んだ地獄がいい。その中で笑っていられる地獄がいい。真っ青になってぶるぶる震えているだけの未来なんて、嫌だ。ただ現状を維持するために必死になって働いているだけの自分なんて、死んだ方がマシだ。

 ひとりぼっちだ。誰もいない。誰かがいたとしても、誰かがいたとしても! 私は、どうしようもない孤独の中にいるのだ。私の苦しみも悲しみも絶望も、全部私の中にしか存在しないのだから……私はそれと一生付き合っていかなきゃいけないのだ。
 私は人と分かり合えないし、分かり合うべきでもない。

 それでも私は、私のような人間が増えることを望んでいるのだ。
 私は優れているから。私は必然的な存在だから。私は必要な存在だから。

 私と同じことで悩む人が増えればいい。そうすれば世界は、より強く、より美しく、より愉快になる。

 そうだ。私は、地獄を肯定する者なのだ。地獄の使徒なのだ。違う。そうじゃない。そうではない。

 私は確かに、誰かにとっての良心の呵責になることを望んでいる。連中にとって、私が後ろめたさになればいいと思っている。私はやつらを呪って、毒を飲ませて、滅ぼしてしまいたいと思っている。

 でも、連中とは、やつらとは、誰を指すのだろう? 何が、誰が、私たちを苦しめたのだろう? 私にはそれすらも分からないのだ。それすらも分からないから、私は敵を探しているのだ。徹底的に痛めつけてもいい相手を私は探しているのだ。
 本当にそうだろうか? それは違うのではないか? 頭が痛いな。いつまでたっても私はここで立ち止まっている。

 結局これだ。私は結局、そうなんだ。前に進めない。進んだつもりになっていても、結局また同じ場所に帰ってくる。

 人とのつながりに喜び、活力と感情が蘇ってくると、憎しみと怒りが沸き上がってきて、私は立ち止まるしかなくなる。ただ意味のない言葉を吐き出して、自分が動かない理由を探して見つけて、私は結局また座り込む。

 何度繰り返せばいい? 倒れて立ち上がってまた同じ倒れ方をして。死んでしまいたい! こんな自分、殺してしまいたい!
「よし、死のう」
 とだけ書いて、夜に走り出したい! そのまま誰にも見つけられず……あいつは本当に死んだのだと思われていたい。
 私の死への欲望が、演技でも人の気を引くためのものでもなかったということを、己の死によって証明してしまいたい。
 でも結局それも、自分が死んで楽になりたいための後付けの理由に過ぎないのだ。今時、本気で死に向かっていく人間なんて珍しくもないのだから、わざわざそれでショックを受ける人もあまり多くないだろう。
 あぁそうさ。引きこもりの女学生が死んだって、小さなニュースにすらならない。
 noteだって、ただ飽きただけだと思われてしまいだ。イライラする。

 私は死なない。死なない。私が、何もできずに死んだ後の世界だって、私がただ意味もなく青ざめた顔で生きている未来と同じくらい、唾棄すべき未来だ。唾棄すべき未来なんだ。

 気に入らない。気に入らないんだ。

 こんな人生は、気に入らない。

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