自分の至らないところばかりが目につく

 潜在的な自己評価が高いからそうなるのだろうか? よく分からないのだが。

 たとえば、何かを新しく始めるとき、私は基本的にやる気満々で、全然うまくいかなくても「まぁ最初だからそんなもんだろう」と思ってそのまま続ける。
 私が最初に描いた絵は、本当にそれ何なのか分からないレベルで下手だったが、私はそれでもニッコニコのまま新しく絵を描き続けていた。
 音楽も同じだ。最初はでたらめに音を並べているだけだった。それで使い方さえわかれば、何とか一曲体裁の整ったものが作れるかな、なんて思っていた。

 実際その目論見は間違っていなかった。プロと比べるのは論外だし、何年も趣味でやってきた人と自分を比べるのもおかしな話で、拙いのは当たり前。拙いなりに、形さえ整っていたらそれで十分。今はただ、ソフトの使い方をより深く理解することと、自分自身がどんなものを作りたいかというビジョンを明確にすること。
 だから、出来上がったものが、ネット上に散らばっている無数のコンテンツより明らかに質が劣っていても、気にしてはいけない。分かってる。

 どうしても劣等感に悩まされる。劣等感というか……自分という人間がその分野において初心者であり、熟練者たちと比べて劣っているのはどうしようもない事実であり、劣等感を感じていることが間違いなのではなく、その劣等感に付属する不快感に喘いでいるのが問題なのだ。
 向上心をもってずっと続けていけば、追いつけないにしても……不快感がないくらいにはきっとなるはず。自分の技能レベルを恥じる必要がないくらいにはなるはず。

 どうして私はどうにもならないことで悩んでしまうのだろう。いつもいつもそうだ。これは悩んでいるというより、ただ苦しんでいるだけだ。感情は、思考によって多少改善されるが、しょせん多少改善されるだけだ。耐えなくてはいけないことに変わりはない。

 冷静に、それを始めたころの自分と比べれば、見違えるほど上達している。上達速度も、独学にしては早い方だと思う。センスに関しては、私は無根拠に自分を信じられる。だから何の問題もないはずなのだ。やりたいようにやっているだけでいいはずだ。

 それなのに、どうして不快感は消えないのだろう。不安感が消えないのだろう。

 こういう文章を書くときは、肩の力が抜けている。作品を作っているという気持ちはないし、どちらかというとただ吐き出しているだけだから。
 でも絵を描いたり曲を作ったりしてるときは、そうじゃない。よりよいものにしようという意識が強いし、自分の技能のレベルを実感しやすい分、いろいろと気にしすぎてしまう。
 そのくせ、根気がなくて、長時間続けることができない。毎日少しずつやるにしても、ひとつの作品を完成させるよりも、別のものを新しく作り始めてしまう。何もやらないよりはマシだし、そのような作り方も決して悪くはないと思う。続けていたら速度は速くなるし、ひとつの作品にかけられる時間自体も向上している。時間をおいてから、前に放ったらかしにしていたものに手を付けることもあるから。

 自分のやりやすいことを自由にやっていたらきっと大丈夫だと思うのだけれど。恥ずかしさも、忘れればいいと思うのだけれど。

 何が私をこんなに苦しめるのだろう。私にはよく分からない。
 私はそんなに至らない自分が認められないのだろうか。人より優れた自分でありたいと思わずにいられないのだろうか。
 私は私の肉体が感じているこれが何なのかよく分からない。

 ともあれ「飽きた」や「死ぬほど苦しい」はやめる理由になるけど「ちょっと苦しい」はどう考えてもやめる理由にはならないね。むしろ、積極的に続ける理由になる。うん。
 「楽しいけどちょっと苦しい」ってどうなんだろう。苦しみや痛みは人の感覚を鋭敏にするから、悪いことではないような気もする。

 苦しみはなくそうとするよりも、自覚して、意識して、選択する方がいいのかもな。

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