自己肯定感について話す四人組【漫画・ショートショート】
ゆり「話戻そう。でも、聞いてる限りさ、自己肯定感が低くなるのって気分が悪いときなわけじゃん? 逆に気分がいいときはどうなんの?」
たま「そりゃ、私可愛いし頭もいいから人生バラ色! みたいなwww」
まこ「情緒不安定だと思われるけど、でも実際そんな感じ」
うみ「多幸感というやつですな」
ゆり「薬でもやってんのかって感じやな。私やっぱそういうのよくわからんわ。私だって絶望的な気持ちになることあるけど、それは何ていうの? 私だからっていうより、人間だからっていう感じだしな」
うみ「私もゆり寄り。私だけがダメだっていう考え方ってあまりにもでたらめだよね。矛盾してるというか」
ゆり「非論理的。主観的」
たま「わかっててもねぇ。なかなかねぇ」
まこ「そうなんですよ奥さん。自分でも変なことを考えてるのはわかってるんですが」
ゆり「んでもめんどくさいのはさぁ。客観的に見たところで、決して救われないこともあるってことだよな。
というか、不思議なのはさ、客観的に見てどうしようもない人間とかって、どういう風に自分を慰めるん? 勉強もできない、友達もいない、可愛くもかっこよくもない、趣味も特技もない、みたいな人って、どうやって生きていくんやろって時々不思議に思う」
うみ「お前、それはアレよ。自分を客観的に見ない能力によって、よ。歪んだ自己評価によって、よ」
ゆり「そんなこと可能なんか?」
たま「私は無理だなぁ。『私世界一カワイイ!』みたいなこと思いついても、次の瞬間に冷静になって、私バカだってなるわ」
まこ「その冷静になる能力がないってことなんじゃないの」
うみ「そういうこと」
ゆり「何? 頭悪くても楽しそうに生きてる奴って、みんなそんなイカれた奴なん? んなバカな」
うみ「多かれ少なかれ、惨めな人って、自分の惨めさに気づかないでいる能力があると思う。逆に惨めさが少ない人は、自分の惨めさから目を背けられない能力があるんだと思う。私は後者でございます。客観的に見ればずいぶん恵まれているけれど、自分という人間がどれだけ惨めか深く深く考えます。考えずにいられません」
ゆり「わかる」
まこ「そうね」
たま「情けない気持ちになるよねぇ」
うみ「あれやな。テストにたとえるとわかりやすいよな。
勉強がよくできる人間ほど、自分が間違えた問題に意識が向く。全然できない人は、そもそも自分が問題を間違えているという感覚がない。むしろ数問解けたことに喜びを覚える」
まこ「それいい喩えだな。テストの問題には全部明確な答えがあるんだから、間違えている方がダメなのだと考えるか、テストの問題の答えは基本的に全部謎だから、当たっている方がすごいと考えるか、だな」
たま「私中間だなぁ。どっちも思う」
まこ「そうだなぁ」
たま「解けたのはすごいし、間違えたのは情けない。それでいいじゃん」
ゆり「正論だな。たま時々頭いい」
たま「イエーイ!」
はい。
出会いの感動を描きたかっただけです。
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