自分自身のこと

↑これ書くきっかけ。

 私の苦しみの原因は、それが解決不可能であることにある。

 苦しみの原因……そんな表現は、なんだか不適切であるような気がする。苦しみというのはもっとぼんやりしていて、あいまいで、捉えどころがなくて、たくさんの要因や感情が集まってできるものだから、どう表現したって、それは嘘になってしまう。

 なんでもいい。私はこれから、いろいろな方法を用いて、私がかつて感じたやりきれない思いを綴っていく。できるだけ大げさに。できるだけ切実に。できるだけ、正直に。(こんなこと言うのは変かもしれないが、私は正直であるということは、大げさであるということだと思う。言葉はいつだって、感覚や感情に対して、足りない。どれだけ強い表現を使ったって、もっと強い表現が欲しくなる。どれだけ読み手の心を揺さぶったとしても、私がかつて感じた心の動きには程遠い。文章は、どうあがいても、足りない。どれだけやっても、私の気持ちには届かない。だから、大げさになってしまうのだ。大げさになるしかないのだ。それが正直であるということなのだ)

 言葉は無力だ。文章も無力だ。書いたからといって、何かが解決するわけではない。伝えたからといって、何かが変わるわけでもない。いや……伝わってしまえば、不幸な人間がまたひとり増えるだけだ。私のやっていることは、無意味だ。無価値だ。そんなことは分かってる。分かってるうえで、やるしかないからやるんだ。どうせ私には……私のやることには、価値なんてないんだから。何をやったって無意味だと思うんだから、どうせなら、せめて、自分がやるべきだと思うことをさせてくれ……他に何もできないんだ。私には何もないんだ。この行き場のない思いを、ただ、正直に、そのままの形で、語らせてくれ。

 私は恵まれた環境で生まれ育った。地方都市の郊外。父親はある分野の専門家で、いつも仕事で忙しくしている。それでも、できるかぎり時間を見つけては、ひとり娘である私に構ってくれた。どんな質問にも真剣に答えてくれたし、嘘をつかないでくれた。悲しいことは、悲しいこととして教えてくれた。醜いことは、醜いこととして教えてくれた。私は父の影響を強く受けている。
 母のことはあまり語りたくない。子供っぽいところはあるが、根は優しい人だ。それだけ。何を言っても彼女の名誉を傷つけることになってしまいそうだから、黙ることしかできない。悪い人ではない。でも愚かな人だ。

 私は両親に愛されて育った。多分、これ以上ないほどに。幼稚園に入ってからも、私の人生は明るかった。人より多くのことができたし、新しいことを始めることも多かった。正方形の折り紙がないから、長方形の画用紙を斜めに折ってから切り、綺麗に正方形にして遊んでいるところを、先生が褒めてくれたのを覚えている。誰に教えられたわけではなく、自分で考えてそうしたのだと言ったら、さらに褒めてもらえて、得意になった。
 人形遊びが好きだった。私は基本的にひとりで二役以上をやるから、場合によっては、友達は見てるだけの時もあった。見てるだけの友達が、目をキラキラさせながら私の人形遊びに付き合ってくれていることが、私にはとても幸せなことだったし、それがずっと続けばいいと思った。男の子も、私の人形劇を楽しんでくれることがあって、そのことがきっかけでお互いのことが好きになって、バレンタインとホワイトデーにチョコを贈り合ったりしたことも覚えている。
 鉄棒が好きだった。雲梯も好きだった。手に豆を作るのが好きだった。何かができるようになるのが好きだった。縄跳びも好きだった。一輪車も好きだった。砂遊びも好きだったし、男の子と一緒に落とし穴を掘るのも好きだった。男の子は先生を落とした後は怒られるのを恐れて逃げ出すけど、私はいつも先生に笑顔でごめんなさいを言う役だった。時々こっぴどく怒られることもあったけど、最終的には許してもらえる。他の男の子のことも、できるだけ怒らないであげて欲しいと頼むと、先生の怒りも少しは収まる。そういうのが、好きだった。そういうのが、素敵な人間関係だと思っていた。大人になっても、こういうことがずっと続くと思っていた。警察なんて、いらない世界だった。
 意地悪もいたずらも喧嘩も、全部、ごめんなさいと笑顔で言えば許される世界だと思っていた。世界は明るかったし、美しかった。自分がこの世に生まれてきたことを心の底から喜んでいたし、不満に思うことなんて何もなかった。いやもちろん、悲しいことやつらいことはあったと思う。でも、思いだすのは全部、楽しいことだ。幸せなことだ。怒られたことはたくさん覚えている。ひどいことをして泣かせてしまったことをよく覚えている。テレビドラマで女の人が男の人を思い切りビンタしているところを見て、真似してみたいと思って、仲のいい男の子にお願いしてビンタさせてもらって、それが想像以上に痛かったらしく、叩き返そうとしてきて、私はそれにびっくりして、怖くて、さらに強く何度も叩いてしまった。きっとそれは、彼のプライドをひどく傷つけただろうし、そのあと先生がやってきた後も、私はあまり怒られず、むしろなぜか彼の方が悪く言われていたから……私はそのことを、本当に悔いている。でもそれを悔いるようになったのは、もうちょっと大きくなってからだ。それまでは、そのことなんてすっかり忘れていた。不思議なことだ。しばらく経ってからふいに思い出して悔いるということが、人間には多々ある。
 他にもたくさんの人を傷つけた。唇が分厚い子のことを、嫌がっているのにしつこく「たらこちゃん」と言ったことを覚えている。眉毛が分厚い子に向かって「性格が悪いからそんな眉毛が分厚いんだ」と三回くらい(もっと多かったかもしれない)言ったことも覚えてる。それですごく傷つく姿を見て、しめたもんだと思って、そういうことをわざと言ったんだ。小学二年生ごろのことだったと思う。すごく申し訳ないことをしたと思う。でも謝りたいとは思えない。だって、私だって似たようなことを言われた覚えはあるから。

 ドキドキすることもたくさんあった。仲良くなった近所の男の子の家に泊まりに行ったとき、一緒にお風呂に入って、いろいろなところを触り合ったりもした。そのことで、大きくなってから、彼はきっとそのことを何度も思い出しては、何かを思うんだろうか、と想像してみたりもした。ちなみにそういうことをしたのは、ひとりの男の子に対してだけではなくて……恥ずかしいことだが、いや、恥ずかしいのであまり言うのをよしておくことにする。幼少期、私は男の子のことが、みんな大好きだったのだ。早熟だったというのもある。

 秘密基地のような場所には憧れていたけれど、結局そういうのは一度もしなかった。冒険と言えば、少し離れたところにある自然公園みたいなところまで、仲良し五人くらいの子供だけで、電車に乗って行ってみたことがある、くらいだろうか。びっくりするくらいひとつもハプニングは起きず、ただ楽しく遊んで帰ってきただけだった。みんなで「なんだ大したことないな」と笑いあったのを覚えている。
 大人がダメだと言うことも、危ないと言うことも、大半は、ちゃんと気を付けていれば何の問題もないのだと私は知っていた。だからか、色んなことに躊躇がなかった。

 人の顔も名前も覚えていない。一年間くらいずっと一緒にいたことのある友達さえ、記憶はあいまいだ。名前も、ほんとに正しく覚えているか、自信がない。エピソードばっかりを覚えている。私は人間を、存在として認識していたから、顔や名前ではあまり覚えていなかったのだと思う。今でもそうだ。顔や名前がうまく覚えられない。でも喋っていると、その人と前喋ったときに話した内容を、今さっきのことのように鮮明に思い出すことができる。
 私が自分とは全然違う人の一人称形式で語る小説をすらすら書くことができるのは、そういう能力によるところも大きいと思う。人が教えてくれた個人的な経験や、愚痴を、私はずっと覚えていられる。その記憶を分解、再構成し、ひとつの仮想の人格を作って、その中に入って物語を書く、というのは私の得意とするところなのだ。

 私はすぐ人のことを好きになる人間だった。パーソナルスペースは子供のころから少し広くて、好きな人相手でも、あまり距離が近いのは好きじゃなかった。体を触れ合わせるのは、あまり得意じゃなかった。小学三年生ごろからは、男の子に体を触られるのが、死ぬほど嫌になった。幼稚園生時代や低学年の時に自分がやっていたことを恥じて、思い出すだけで苦しいから、できるだけなかったことのように扱うようになった。かつてよく関わっていた男の子とは、できるだけ顔も目も合わせず、喋るときも、意識して他の男子と同じになるように気を配った。私は男女の区別を意識するのがある意味では早く、ある意味では遅かった。

 そのころには自分がすぐ人を好きになってしまう性質であることに気づいていた。だからこそ、誰かに夢中にならないように気を配っていた。他の女の子たちから人気があるというだけで、ただ足が速くて背の高い、体格のいい男の子がかっこよく見えてしまう。だからこそ、そういう人に優しくされても、なんでもないことだと思うようにした。自分のことが好きだという噂があっても、まともにとりあわず、興味がないふりをした。実際に告白されても、よく分からないといってとぼけるようにしてきた。実際、よく分からなかったのは嘘じゃない。でもめんどくさくてそう答えていたのも、本当だった。

 なんだかもうそのころには、人生に息苦しさを感じ始めていた。

 いとこの、いとこ。つまりはとこで、養子で、なかなかに複雑な家庭で育った……お兄さんがいた。
 その人と家はまぁまぁ近かったのだが、実のところそれほど接点はなく、正直年の差が四つだったか五つだったか正確に覚えていないくらい、何だろう、詳しくは知らない人だった。
 最初に仲が良くなったのは、私がちょうど男子を避け始めていたあたりのころだと思う。近所の公園で、男女も学年も関係なくみんなで遊ぶグループがあって(多分一番多い時で十五人くらい集まっていたと思う)、彼はそのリーダー的な存在だった。優しくて、快活で、繊細で、素敵な人だった。私はすぐ彼のことを好きになったし、彼に触られるのは嫌じゃなかった。でも彼自身は、年の離れた妹分を少しもそういう目では見ていなかったらしく(というか彼はゲイであったのかもしれない。そうだと思えるようなエピソードがいくつかある)とても清らかで、素敵な関係だった。性というものを強く意識していた時期に、そういうのとは関係がなく、人間として尊重してもらえたことが本当にうれしかったのだと思う。

 そういう仲良しグループは、たいてい一年足らずで自然消滅する。少しずつ公園に集まる人が減っていって、最後には誰もいなくなるのだ。終わりごろには、私と兄さんがふたりきりになることも多くなっていた。私はだんだん彼のことがどうでもよくなっていたし、兄さんも兄さんで、自分のことに集中したい様子だった。
 色んなことを知っている人だった。
 私が哲学書や古典文学を好むのは、元々父の影響で、幼稚園生くらいのころから少しずつ読んでいたのだが、それだけじゃなくて、兄さんも結構本を読む人だったから、その影響もあると思う。
 女性は身近な男性の影響を受けて成長をする、という話をよく聞くし、それが正しいかどうかは分からないけれど、私自身の人生について言えば、それはひとつの解釈として当たっていると思う。私は確かに、女性よりも、男性から強い影響を受けている。
 逆の言い方をすれば、私に強く何かを感じさせてくれた女性は、今までひとりもいなかった。私が「浅川理知」という架空の存在を愛し、執着しているのは、そこに原因があるのかもしれない。私はバイセクシャルであるが、自分が心の底から魅力的であると思える女性とはまだ出会ったことがない。だから、彼女を欲するのかもしれない。分からない。それとは別に、自分がだんだん男性的になっていることも自覚しているから、その過程でより女性性を求めるようになっているのかもしれない。それも分からない。浅川理知が、女性らしい女性かといったらそんなわけではないし……でも、母性は感じるな。

 今日はここまでにする。続きは書かないかもしれない。なんでもいい。疲れた。自分がちゃんと本当のことを語れているかどうか確かめるのもめんどくさい。
 お腹が空いた。この時間に何かを食べるのはあまりよくないから、お水をがぶがぶ飲んで我慢する。ハァ。


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