この時代の「正しい生き方」はあまりに魅力を欠いていた

 それぞれの時代、それぞれの地域、それぞれの階級には、それぞれ「正しい生き方」が存在した。
 貴族としての正しさ。商人としての正しさ。農民としての正しさ。武士としての正しさもあれば、皇族としての正しさだってあった。

 あらゆる職業や社会的役割が世襲制であったころ、私たちは私たちの「こうあるべき」に従っていることを誇りとして生きていたし、それに従っているかぎりは、何か災難があったとしても、その災難自体に原因を見ることができた。
 つまり、私たちは役割を神や先祖が定めた通りに果たしているのだから、他の人間から悪く言われる覚えはない、というわけだ。

 たとえそれぞれの仕事が当たり前であり、特別な賞賛がなかったとしても、必要なことを必要なだけちゃんとやっている、ということ自体が私たちを生に結び付けていたし、どのような苦難があっても、それを自らと他との協力によって乗り越えていこう、という覚悟もあった。

 もし私がこれまでの人類の歩みの中で、別の時代に産まれたとして、私の性的な役割、つまり子供を産んでそれを育てるということ自体には、何らの反感もなかったであろうし、家同士の良好な関係のために、多少気の合わない男と結婚することだって、仕方ないことだと割り切れていたと思う。

 正しい生き方というものが、矛盾なくそこに必要な形であったならば、私はそれに従うことができていただろうし、それに誇りを持つことだってできていたと思う。私は結構従順な性格だったし、そういう風に生きられるなら、きっとそういう風に生きていたことだろう。


 この時代には、正しい生き方がふたつあった。
 ひとつは、みんなと同じであること。もうひとつは、自分の個性を生かすこと。
 大まかに分けて、この時代の人々は、そのふたつを正しさとして掲げている。それは今までの時代において、一度もなかったことだった。
 個性を生かすということには一切の具体性がなく、みんなと同じというのは、どこまでも具体的である反面、あまりにも魅力を欠いていた。もしその「みんな」という生き方が、誇り高く、難しい生き方であったならば、何の問題もなかったと思う。だが残念なことに、その「みんな」というのは、別の意味で難しい生き方だった。つまりそれは、列からはみ出ないということであり、他の人間を不快にしないということであり、そうでありながらある程度の「自分自身」をコントロールして表現する、ということだったのだ。
 それは、一切の理想の否定であると同時に、移ろいやすい不安定な流行を追いかけ続けるということでもあった。「これでいい」という安心は常に一時的なもので、時代に置いて行かれないよう常に世の動向を気にしていなくてはならない。

 そういう「正しさ」はあまりにも息苦しいにもかかわらず、そこには喜びや誇りの生じるような隙間はほとんどなく、その代わりに「正しくない人間」を見下す煤けた快楽だけが用意されていた。
 あぁ、この「正しさ」の中で生きている人間は、いつも「すっきり」したがっている。自分では復讐できない、迷惑な人間や自由な人間に復讐したがっている。そして、そうだと分かりない形で彼らを痛めつけるし、痛めつけているという自覚すらない。
 彼らほど誇りや喜び、幸せという生き方が似合わない生き物はいないし、もうその姿を見るだけで私は逃げ出したくなる。

 私は「みんなと同じ」が嫌なのではなく、この時代の「みんな」が気持ち悪いのである。もし、私の周囲の人々がいつも自足的な意味で楽しそうで、周りに対して親切で、自分に対しても他者に対しても個性的であることを許せるだけの寛容さを持っていて、想像力も欠けていないのならば、私はそういう人たちと「同じ」であることはいやではないし、むしろ喜ばしくて幸せなことだと思う。でも残念ながら、この時代の「みんな」はあまりに欠けているものが多すぎるし、しかもその欠陥をひとつの目印として集まっている始末だ。
「我々と同じ欠陥(常識や偏見。すなわち、考える能力の欠如)を持たない人間のことを、私たちは決して許さない」
 彼らの嫉妬深い目からはそのようなうめき声が聞こえてくる……

 「個性的な生き方」というのは、言い換えれば「例外的な生き方」という意味であって、何らの命令ではない。個性というものは成長過程で育まれていくものであるから「個性を伸ばす」というのは「何の」という意識が欠けている場合、一切意味を持たないお題目なのだ。
 つまりそれは「正しい生き方」ではなく「自由な生き方」を意味しているし、それは「こうであるべし」という命令ではなく「こうでもいいよ」という許可でしかない。

 この時代、右も左も、まともな道ではないのだ。正しい生き方、というものを示してくれる人が誰もいないのだ。誰も、なのだ。
 皆が自分の生き方に自信を持っていないし、自分と同じように生きるべしと強い声で吠えることのできる強い男の人もいない。あるのは「普通(安心)」への欲求と、無気力な自由、つまり「楽しさ」への欲求だけ。

 あまりにも息苦しくて、誇りの欠如した時代だ。本来誇りというのは、能力についてそう思うのではなく、生き方についてそう思うべきものであった。誠実であることや、高い地位に相応しい気品をもっていることこそが、誇りを産み出すものであり、決して人より秀でているとか、そういう比較によって生み出されるものではなかった。
 農民には農民の誇りがあった。単純な労働をコツコツと積み重ね、人々の生きる糧を産み出し続けている、という誇りがあった。
 商人には商人の誇りがあった。正当の取引を繰り返し、自らの富を増やし、人々と自分たちの生活をより豊かにしている、という誇りがあった。
 貴族や武士、僧侶たちの誇りは、もはや言うまでもない。彼らの誇りは気高く難しいものであったし、そうやって人々は自らを肯定してきた。そのような自己肯定の姿は美しかったし、自らと違う階級の誇りだって、互いに尊重することができていた。自分たちの生き方は、自分たちだけでは成立しないことを彼らはちゃんと分かっていたし、だからこそ、自分の役割を完璧に演じ切ること自体に、喜びを感じることができていたのだ。

 そのように生きることができなくなった原因や背景のことは、今は忘れよう。それは仕方のないことだった。

 我々は今や、理由なき時代を生きている。自分の中で何らかの確固とした理由を見つけ、自らの役割を選択することに迫られている。
 にもかかわらず、世界は機械化が進み、役割の種類はどんどん減って行く。文明を維持するのに必要な人間の数も減り、暮らしは意味もなく豊かになっていく。私たちの努力や工夫の入り込む余地はほとんどなく、世の中の流れが私たちの生活を勝手に変えていく。

 もはや、自らの生活のため以外の理由で働くことがなくなってしまう。自分が社会から必要とされているから働いているのではなく、自分が社会を必要としていて、それとの繋がりを保つために働くということになる。しかし、そのようにして得た社会的な繋がりに、いったい何の価値があるだろう? わたしたちはそれによって新たな誇りが得られるのだろうか? 社会に参加しているという誇りは、私たちにとって……むしろ悪事に加担しているかのような、不名誉な気持ちを抱かせはしないだろうか?

 実際、美しくも幸せでもない社会への参加を強制するようなシステムと、それの維持のために自分の人生を使うことは、正義というにはあまりにも不必要であると同時に、嘘くさい。
 かといって代替案がない以上は、私たちに許された回答は「YES」か「NO」あるいは「保守」か「改革」かしかないのだが、結局改革したって、それが国家という形態をとり、人々が何らの誇りも役割意識持たないまま生きているなら、結局はこの息苦しさは決して解決されない問題なのだ。

 正しく生きていたいなら、他人から正しさを示してもらえると期待するのはもうやめにするしかない。この時代の「正しさ」は腐っていて、もはやどうしようもないものだ。
 自分の意思と思考で、何とか正しさを見出していくしかない。それも、自分自身だけの正しさを。

 少なくとも、この時代の穢れた「正しさ」よりも美しく優れた「正しさ」を、己の正しさとして規定しなくては、誇りをもって生きることなどできるはずもない。


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