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あの人は僕をちゃんと認識できていないみたいだ。 「この人は変な人だ」 そう思われている…
ない。 何も、ない。 私の思想は全部思い付きの域を出ない。 それを……他に誰も言っ…
私はある。何度もある。 私は誰かを不当に傷つけたいと思ったことがあるし、ずるをして利…
私は心理学的な概念は全て疑ってかかる。 最近HSP云々という話をよく聞くし、私が喋っ…
私がマキャベリを読んで、最も感銘を受けたのは次の考えだ。 「人を痛めつける時は、強く短…
人を動かすためには、時と場合に合わせて偏った感情論もうまく用いることができるようになら…
私には友達がいない。 中学の時の友達との連絡はほとんど絶たれている。高校にも友達はひとりもいない。話しかけてくれる人はいるけど、どこかよそよそしいし、私自身も何というか、元気が出ない。 私は人に優しくするのが好きだ。多分それは、生来の性質なのだろう。もちろん根が自分勝手だから、あくまで私が優しくしたいときや、相手が優しくしてほしいとはっきり示してくれたときくらいしか優しくしないけど、まぁそういうタイプの人間だ。 私は理想主義的な人間だ。どれだけ否定しても、心のど
オルテガなど、優れた学者の著作を読んでいると、啓蒙主義的な活動への誘惑に駆られる。 …
客観的というのがどういうことかということを、まず掘り下げよう。 どこに規定を置くかと…
「兄さん……」 「あぁムツキ。どうした」 「兄さんが恋しい。欲しい」 「ん? 何が欲しいの…
私は昔から「ぼーっとする」がよく分からないタイプの人間だった。すぐ退屈するから、暇だと…
経験や他者からの評価はともかくとして、現実的な分析した場合、等身大の自分は驚くほどちっ…
私たちは時折「私たちは幸福でなくてはならない!」というような強迫観念に囚われることがあ…
私が何を獲得しようとも、どのような環境にいようとも、私は私でしかない。 全てを感じるのは私であるのだから、私の限界は私なのだ。 そこに不自由を感じるのだ。私は私以外になることができないから、私は本質的に私に囚われているのだ。 だから、惨めなのだ。 「誰か」になりたいわけじゃない。ただ、もっと広く大きな存在になりたかった。 私程度では理解できない存在でありたかった。 そうであることなどできるはずもないのに。この世界は私の肉体や知覚よりはるかに大きく、強