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あえて言いますけどHSS型HSPみたいです。

HSP(繊細すぎる人)については、このnote内でもたくさん記事があるし、特にHSPマンガ家、おがたちえさんのマンガがあるあるでした。すごく面白かったです。すごく人気なのに今さらですみません。

HSPについての本は、本屋さんで見かけてたのだけど、パラパラよんで五感はそんなに繊細じゃないし(自分判断)、花火もホラーも平気だし、好奇心旺盛でなんでもやってみたいタイプ。
でも診断してみたらがっつりHSPでありHSSでした。

繊細で疲れやすいのに、刺激を求めていきたいタイプ、アクセルとブレーキ同時押しみたいな、ですって。
一番特長的なところは、クレーム言えないところ?
クレーム入れてその担当者が左遷されたらとか考えてしまう。
一度、レジで私の前に割り込んだ男性がいて、いつもなら言えないのに「あ、並んでます」と言ったら、振り返った男性が以外とおじいちゃんで「あ、気づかなかった、すみませんすみません」とすごく恐縮していて、あーほらやっぱり言わなきゃ良かったじゃん、恥ずかしい思いさせてごめんなさい、と激しく後悔しました。大きい声も苦手。


誰が何に困っているのか察しやすいので、気が利くとは言われる。頼まれたら断りづらい。そしてキャパオーバーになって突然スイッチオフ。

あとランチの時間、みんなでお弁当食べる職場は苦痛。一人になりたい。すぐ人間関係リセットしようとする。ツイッターは閉じた関係だけ、ましてやフェイスブックなんてする気も起こらない。顔出し本名ダメダメ。なぜか怖いから。
メールやラインの文面に時間が掛かる。以前属していたネットのコミュニティでもそれで疲れてやめました。

でもこんなタイプ多いですよね?普通ですよね?と思ってました。

で、逆に、非HSPの診断だった人は面白くないかも、鈍感って言われてるみたいだしそんなカテゴリーに甘えられたら困るとか思うかも、と「公正に扱いたいHSP」は思ってしまう。そこも気を使うのか、ってかんじですけど。
気を使うけど使われるのはとても居心地が悪い。そもそも気を使って、と言えないのがHSPなのであって。

まあ、なんでもカミングアウトできる社会の方が健全ではないですか?気軽に気軽に。

その上で、その病気や性質の名前をアイデンティティーにし過ぎないこと。同一化しないことでしょうか?
「その性質を持っているけど私はそのものではない、私の一部」ということ。

私は大声や争いは苦手だけど、そうせざるを得ない場合やそうせざるを得ない人へは共感できる状態でいたい。

以前自分のnoteで書いた書評の本「紛争の心理学」のなかに

衝突のワークをやり抜くと、互いの差異を認め合う平和な状況がもたらされる。このようなワークは、コミュニティの変容は可能だと信じさせてくれる。

とあります。全ての人に抑圧者と犠牲者の両面があり、誰もが自分のランクに無自覚ではいられない。

繊細か繊細じゃないか、男か女か、肌の色や貧富、エトセトラ、全てにランクがあり自分がどの位置にいてどのランクを持ち、無意識に差別しているか、というのはよほど注意深く考えないと、と自戒をこめて思いました。

まとまりなく終わり、HSPらしく迷いながら投稿ボタン押します。

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