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短編(童話)とあとがき「あきつしまの龍王」



ここは、壇ノ浦(だんのうら)。

水平線に夕陽が沈みかけている。水面(みなも)には、平氏(へいし)の幟(のぼり)、指物(さしもの)、たくさんの兵士が浮かび、空も海の中も朱に染まっている。いちめんの紅(くれない)。

 
水面(みなも)から、光のあまり届かない青い青い水底(みなそこ)。

ゆらぐ黒髪がある。その間からのぞく、小さな口からぽこり、と泡がひとつ、ふたつ。

泡は水面へと、ゆらゆらとのぼってゆく。

その小さな口の持ち主、「トキ」は、びっくりしたようにその泡をみつめていた。

(母上の言った通りだった。水を胸いっぱいに入れると、最初は苦しいけれど、すぐに慣れて動けるようになりますよ、と)

すぐそばに、トキの祖母、二位尼(にいのあま)が横たわっていた。腰に宝剣「天叢雲(あめのむらくも)」をくくりつけている。二位尼もまだ生きてはいた。が、胸のあたりから、ゆらゆらと一筋(ひとすじ)の赤い糸が、海面にむかってのぼっている。

「おばばさま、怪我(けが)したの?」

水の中なので、《あわおあわお》としか聞こえないが、二位尼はわかったようだった。

トキはそっとかたわらに寄り添う。

二位尼は、最後の力を振りしぼるように、やっとのことで腰のひもから宝剣をはずしてトキに差し出した。

その眼は(もう行きなさい)と言っているようだった。

トキは首をふった。二位尼は口を

「や、く、そ、く」と動かした。

トキも、すぐに行かなくてはいけないと、わかってはいた。何度も、海の底に沈んでからのことを言い聞かされていたのだから。

トキは宝剣を背中にくくると、一度だけ、てのひらを二位尼の頬(ほお)に合わせた。二位尼はかすかにうなずくと、そっと眼を閉じた。

トキは二位尼から離れて、海中を泳ぎだした。名残惜(なごりお)しく何度も振り返りながら。何度目かに振り返ったとき、もう青い水に阻(はば)まれて、何も見えなくなっていた。

 
しばらく海の底を歩くように進んでいたが、(あれ、泳ぎがらくになったなあ)と思い手を見ると、指のあいだにうっすらと水かきができている。肌(はだ)もほんのり草色に変わってきていた。

トキは重い直衣(のうし)を脱ぎ、小袖(こそで)も脱いで、裸(はだか)になった。宝剣をくくり直し、また泳ぎだす。

(家来たちは、私のために海での死を選んだ。海ならば、私は泳いでどこまでもどこまでもいけるから)

 
トキは、「安徳天皇(あんとくてんのう)ときひと」としては六年の生涯(しょうがい)だった。男の子として育てられたが、じつは女の子だった。にんげんの世界では、跡継ぎ(あとつぎ)は男の子だけだったからだ。一族のために、男の子のふりをしていたのだ。母も祖母も龍族。トキの母の「徳子(とくこ)」は、陸に残ることを選んだ。

地上に、竜宮を作るのだと、それが夢なのだと。この国『あきつしま』を地上から守るのだと。

「だから、トキは「ほんとうの竜宮」へもどって、この国を海の中から守るのですよ」と。

来し方を思い出しつつ、泳いで泳いで、まる一日ほど経ったと思った頃、ようやく海面に登ってみた。

ちゃぷ、と顔を出すと、夜空には三日月がぼんやりと光を放っている。

満月の時の月は八咫(やた)の鏡のようなのに、とトキは思った。三種の神器のうち、八咫の鏡と勾玉はどこかへ行ってしまった。龍族にとって、鏡は月、勾玉は星。宝剣こそが太陽が地上に届く光を模したもの。

うすみどりの肌にできはじめているやわらかなうろこが、ほんのりとした月明かりにきらきらと光っている。トキは、翡翠(ひすい)色(いろ)の龍になったのだった。

 

静かな、静かな海だった。

トキは長くなった体をくねらせて、思うがままに時には速く、時にはゆったりと泳ぐ。

時々、海面すれすれをトビウオのように飛ぶ。背中の宝剣がからからと音を立てた。

(ばば様は、練習すれば、空も飛べるのだと言っていた)

いつしか、トキの近くに青龍、白龍の二体の龍が寄り添い泳いでいた。

凪(なぎ)の海に、三体の龍のつくりだす波が幾筋(いくすじ)ものらせんを描く。

やがて、白龍が案内するように潜りはじめた。トキも、一緒に深く深く潜ってゆく。

 

待ち受ける龍宮(りゅうぐう)では、トヨタマ姫さまが手をたたいた。

「龍王(りゅうおう)さまがもどってきます。さあ、祝いの席をととのえましょう」

 そういうと、にっこりと微笑んだ。

すると、タイやヒラメ、そのほか色とりどりの魚がぱっっと四方に散った。ほたて貝は水を吐きだして、ぱくぱくと水中を飛んでいった。

 

トキの眼に、海の底の明るい街が見えてきた。朱塗(しゅぬ)りの大きな鳥居を門として大通りがまっすぐ伸びている。通りに面したくさんの建物が立ち並ぶ。通りの並木は、梅(うめ)と桃(もも)と桜(さくら)が一緒に咲いている。薄桃(うすもも)色の花びらが舞い、ところどころで小さな渦(うず)を巻く。

トキは再び裸(はだか)の女の子の姿になって、町の大通りにふわりと降り立った。すると侍女の姿をした女たちが歓声をあげて取り囲み、あっというまにトキを童(わらべ)姫(ひめ)の格好に仕立て上げた。

「龍王女さまー」

「お帰りなさい―」

出迎えた大小の龍、大勢の海人、ヒレをつけた女神、天女、エビやカニ。みな、笑いさざめきにぎやかだ。

トヨタマ姫さまがすうっと近づいてきた。

「お帰りなさい。もう、みなさん先に着いてますよ。魂(たましい)のかたちだとすぐに遠くへ行けますからね」

トヨタマ姫さまのうしろから、泡をまとった海人(うみひと)たちがたくさんあらわれた。町人の格好をしているが、壇ノ浦(だんのうら)で命を落とした家来、兵士や侍女たちだった。

「ときひと様、いえ龍王女さま、また仕えられて嬉しゅうございます」

みな、泣き笑いしていた。トキも嬉しくて、手を取り合って喜んだ。やがて、トキの隣に、ぽんっと大きな泡があらわれた。

泡の中から懐かしい声で

「トキ!」と声がした。

泡がしゅっと消えて、出てきたのは二位(にいの)尼(あま)だった。

「おばばさま!」

トキは二位尼に抱きついた。

「海の底でなかなか体が眠りにつかず、遅くなりました。トキはちゃんと龍にもどれたのですね。よくがんばりました」

「おばばさま、おばばさま」

またひときわ大きな歓声とともに、ふたりの周りで、みなひらひらと踊りはじめた。いつのまにか笛や太鼓も鳴らされて、大通りはお祭りのよう。

トヨタマ姫さまが

「龍宮城にもご用意が……」

と言いかけたが、あきらめたようにほんのりと笑って、少し浮かんで華麗に舞い始めた。

 

あきつしまの地上では、トキの母、健礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)が、小さなお堂で祈っていた。

お堂のそばには小さな小川がある。想いを水にのせる。水はいたるところにあり、祈りを運んでゆく。

山の間を流れ、泉としてわきだし、池になり、湖になり、海にそそぐ。

水は、木や草や花、魚や鳥、そして人のあいだを網の目のように流れ、癒(いや)し、祓(はら)う龍脈(りゅうみゃく)。

 

海に囲まれたあきつしまは、龍のかたち。

龍のかたちに生まれ、龍が守る国。



(了)


初出:エブリスタ

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あとがき

タイトルにある「あきつしま」は日本の異名。秋津島。あきつ、は勝ち虫、蜻蛉(ドラゴンフライ)でもあり。

安徳天皇の説明は昨日のnote「水底の書」にもだしましたが改めて。

安徳天皇は平家一門に連れられ大宰府を経て屋島に行き、1183年に現在の屋島東町にある見晴らしの良い高台に行宮を置いた。この行宮跡地付近には、ささやかな神社「安徳天皇社」が置かれている。しかし源頼朝が派遣した鎌倉源氏軍(源範頼、源義経)によって、平氏は一ノ谷の戦いと屋島の戦いに敗北。特に屋島合戦(1185年2月)の敗北により、天皇と平家一門は海上へ逃れる。そして寿永4年(1185年)4月、最期の決戦である壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突。平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至る。以下、まず『平家物語』による安徳天皇入水の様子を記述する。

最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(平時子)に抱き上げられた安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。天皇は小さな手を合わせ、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御した(『平家物語』「先帝身投」より)。なお、『吾妻鏡』では安徳天皇を抱いて入水したのは按察使局伊勢とされている。

母の建礼門院(平徳子)も入水するが、源氏方将兵に熊手に髪をかけられ引き上げられている。この際、三種の神器のうち神璽と神鏡は源氏軍が確保した[2][3]。宝剣はこの時失われたとする説がある(宝剣に関しては異説も多くあり、それらについては「天叢雲剣」の項目を参照のこと)。オリジナルか形代かは別にして、朝廷側が宝剣の回収に失敗したのは確定している。その後、後鳥羽~土御門天皇~順徳天皇時に伊勢神宮から献上されたものを正式に宝剣とした Wikipedia

安徳天皇女子説について。

『平家物語』に安徳天皇は実は女帝であったのではないかという疑念を起こさせるような容姿の描写があり、『愚管抄』でも「龍王の娘」と記述している(上述)。これらをもとにして、浄瑠璃・歌舞伎の『義経千本桜』などでは、女子であったという筋立てを採用している(渡辺1990:82-122ページ参照)。泉湧寺に残る安徳幼帝の肖像も女子のようにも見える。 Wikipedia

日本各地に生存説もあり、いろいろなミステリーが隠れているようで、もっとじっくり調べてみたいです。平家の平は分割して八十一、(九九)なんですよね…。


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