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わたしがきれいだった時

介護の仕事をしている。匿名での文章でも、守秘義務を鑑みて負のことは書くつもりはない。今日はタイトルの茨木のり子さんの詩を強烈に思い出すことがあったので書いてみます。

ミチさん(仮名)は独り暮らしの女性だ。認知症はあるが昔のことはしっかりと覚えている。いつものようにミチさんの昼食の用意を終え、足浴を始めた。ビニールを敷き、お湯の入ったタライをおいて、椅子に座ったミチさんに足を入れてもらう。ゆっくりとお湯をかけながら、話しかけた。

「ミチさん、終戦の時ハタチでしょう、おしゃれしたい時に大変だったね、一番キレイな時だったのにね」

ミチさんは笑って

「そんなこと考えもしなかった、挺身隊でね、いろんな部品を工場で作るんだけど、神戸に爆撃に行くアメリカの編隊がいつも頭上を通るんよ。そうすると一目散に走って物影に隠れてね」

「えー、怖いですね」

「夜に、神戸の空が真っ赤になったんよ」

「どなたかお友だち亡くなったりしたんですか」と聞くと、

「亡くなったりはしないけど、逃げる時に爆撃の破片が当たって病院行った子はおるね。みんな十六、一七才とかだったね」

「食べ盛りだし、お腹もすいてたんでしょうね」「そうねえ、」と少し考えた後、

「挺身隊で行ってた工場は今、ユニバーサルになっとるんよ」

「え、USJですか?」

「そう、工場で部品を作ったり、飛行場で草刈りもしたんよ。今あんなに賑やかになって、みんなね、お母さんとかお子さんとか楽しそうにしてるの見てたらほほえましいけどね、なんか知らんけど涙が出てきてしまうんよ」

「ミチさん、私まで涙出そうです」

なんか知らんけど、とミチさんは言った。でもなんでか、はわかる気がした。

きらびやかで華やかなUSJと二重写しで、真昼の飛行場、草いきれ、鳴り響く空襲警報、隠れるところのない場所であわてふためく女学生、草や土を飛ばして突き刺さる爆弾、一七才の肌を切り裂く欠片。そして流れる血。夜になれば遠くに燃える神戸。火垂るの墓。
見えた、聞こえた気がした。ミチさんがいちばんきれいだった時の風景。

「わたしが一番きれいだったとき 」
茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

ミチさんは長生きをしている。週に二回、デイサービスに行って、家では塗り絵をしている。

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でも、自分が若いころはどうだった?
恵まれてても苦しいことはあって
すべすべの肌を持ってても
サラサラの髪がなびいていても
何を求めてどこへ行きたかったのか。

わたしがきれいだった時。
素敵な服はたくさん売ってて
美味しいものはたっぷりあった
けれど
なにを着ても
似合わない気がして
華やかな場所では場違い感で

いつも気後れがして
誉められても信じられなくて
自分が嫌いで

わたしがきれいだった時
わたしがきれいだった時
今日も小雨の降りしきる




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