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感想 かたちだけの愛 平野 啓一郎  愛を著者なりに定義したのはいいが、この恋愛物語にはちょっと違和感がある。



平野さんぽくない作品です。
恋愛物語です。

美人の不倫女優の事故現場で、不倫相手の男に10万押し付けられ
後は頼むと依頼されたデザイナーの男。

彼女を助けます。

この男と、この女優の恋を描いた話しです。
女優は、足を切断し、彼はその義手のデザインをする。

なぜか、急接近し恋愛モードに。いくら恋多き女優でもないよ、この展開。

当然、不倫相手はブチ切れるのであり、ちょっと傲慢なこの男が物語を盛り上げてくれるのですが
大金持ちなのに、なぜか、彼女のヌード写真集を出して金儲けを考えたり
彼女から、彼に連絡したりと、細部にへんてこな場面がありました。

正直に言うと、平野さんは恋愛物語に向いてません。
主人公も女優もかなり独りよがりです。

マネージャーや、主人公の後援者が、やたらと二人を結婚させたがるのも変だった。
たぶん、古い人の恋愛感覚みたいなものを表現しようとしたのかもしれないが、唐突なので浮いていた。

身体障害者だから不安、だから、君が結婚して支えてやれみたいな感覚なのだと思う。それは差別でしょ。

彼女は、パリコレみたいなところでファッションショーに出るという形で自立するのは平野さんぽい。
新しい時代の男女の形を表現したかったのだと思う。

二人がどうなるとか、もう、どうでもいいし、興味ないですが
ラストに、主人公の恋愛観みたいなのを押し付けてきます。

これは平野さんの愛の定義なのかな
わかるんだけど、机上の空論みたいな気もします。

主人公は自分を愛せない人、だから相手も心の底から愛せない。
でも、彼女と恋をし、彼女を愛している自分がいるのに気づき
そんな自分を愛せるようになったということなのかな。

彼は今、クミといる自分が好きだった。他の誰といる自分よりも好きで、この自分なら愛せるのかもしれないという気がはじめてしていた。なぜ人はある人のことは愛し別のある人のことは愛さないのか。愛とは相手の存在を通して自らを愛させてくれることではあるまいか



これは自己愛でしょうね。
自分、自分、自分・・・・、これは愛ではない気がする。
相手を愛しているというよりも、突き詰めると自分を愛せるかどうかが大切。それは恋愛と言えるのか?。

2024 7 18
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