見出し画像

書評 読書という荒野 見城徹  幻冬舎の見城徹さんの読書論だ。すごい情熱だが、少し毒気が強くないか?。

画像1

村上春樹が、この人の会社から本を出さなかったのは理解できる気がする。
毒気が強すぎる。近寄るのも躊躇われるほどの存在感だ。

子供の頃からの圧倒的とも言える読書量。それが血となり肉となり「言語」という武器を見城さんに授けたのだ。彼は、「言語」という武器1つで、この荒野を突き進んでいった。
その武勇伝・・・、読書の記録、関わった作家との思い出と情熱の日々をつづったものである。

百田尚樹、五木寛之、村上龍、村上春樹、石原慎太郎、三島由紀夫、中上健次・・・
見城さんのリスペクトした。担当した。膨大な数の作家との思い出の数々。
作品についての評論は少し浅いが量は多い。色んな問題を多岐にわたって語っているので楽しい。


読書とは、「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」だ。


 これは、「はじめに・・・」で出てくる見城さんの名言だが、ここに、この本が凝縮していると言っても過言ではない。
 このどう感じるか?。つまり、自分の「言語]の獲得の為に人は本を読み、それを血とし肉とし成長していくというのだ。まるで読書を食事のように捉えているのが見城さんなのだった。

 読書をすることは実生活では経験できない「別世界」の経験をすることだ。


読書によって視野を拡大せよと言っている。

本のページをめくるほど、人間の美しさや醜さ、葛藤や悩みが見えてくる。そこには自分の人生だけでは決して味わえない、豊穣な世界が広がっている。その中で人は「言葉」を獲得していくのだ。

この「言葉」の獲得こそが読書の目的であると言っている。自分の「言葉」を獲得し、それを武器として世界と戦っていくということ。

 読書をしていると、人間や社会に対する理想が純化され、現実が汚れて見えてくる。左翼化するのは当然であると見城さんは言っている。
 しかし、実社会に出ると、その理想はもろくも崩れ去る。現実に踏み潰される。考えの甘さがわかる。その作業が大人になるということだ。そういうプロセスなく、いきなり現実に直面し、そういうものだと思うと、やはり、生き方の芯みたいなものが育たない。何でもYESマン。指示待ち人間になってしまうのかな。

 教養についても語っている。

 単なる情報の羅列ではない。思考する言葉でなくてはならない。

 
 生き方について、こんなことを言っている。

圧倒的努力だ。努力は、圧倒的になって、はじめて意味がある。

本とは・・・


本とは単なる情報の羅列ではない。自分の弱さを思い知らされ、同時に自分を鼓舞する。現実と戦うための武器なのだ。

感想こそが、人間関係の一歩である。

 これは見城さんが、当時ベストセラー作家だった五木寛之さんを口説き落とした時に吐いた言葉だ。
五木さんの本やエッセイが発売されると、すぐに読み。五日以内にその感想を送っていた。五木だけに五日。

2020 2/20


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?