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感想 あひる 今村 夏子  根底にあるのは「寂しさ」なのだろうか。それを埋めるために人のやる行為は客観的に見ると不穏だ。

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短編が3つ。
どれも興味深い。

引退した両親が元同僚から「あひる」を貰う
その「あひる」は子供たちの人気者となり
家に子供たちが集まりはじめる
両親は喜んで彼らを接待する。

ここまではありかもしれない。
しかし、ここからが異常だ。

あひるは死ぬ
すると父親は、新しいあひるを連れてくる
死んだのではなく、病気が治ったという形で


引退した父親が昔の同僚から貰ってきたあひるは、さまざまな人間から愛される存在であるにもかかわらず、交換可能である。

ようするに、「あひる」は両親にとって客寄せパンダ
子供たちに来て貰うための餌
その背景にあるのは「孤独」だ。

問題は「あひる」は死んでも
新しい「あひる」に交換可能ということだ。

あひるはおそらくは親しみやすく印象的な姿ゆえに、愛される存在であり、その姿ゆえに交換可能である。それを人間に置き換えると慄然とするのではないだろうか。

僕はザワザワした感覚を覚えた。
不穏である。
それは、「あひる」が交換できる点だ。
そんな簡単なものだろうか?

深夜に突然、子供がやってくるシーンがある。

真夜中に突然やってきて、食べるだけ食べたらサッサと帰っていった不思議なお客さん。名前も知らない。どこの誰かもわからない。でもどこかで見たことがあるような気が、しないこともない……。 彼は何者?

深夜の一時だというのに、両親は喜んで、この子供を迎え入れる
知らない子だよ。
この不穏な空気。

この作品には、たくさん不穏なものがある。

孤独にたいする両親の恐怖、夜に突然家を訪ねてくる少年、弟の暴力的な理不尽さ、同様に理不尽な弟への家族の隷従。

「孤独」は現代病だとも言われている。
人は「孤独」を恐れている。
だから、他人にとっては異常と見えることも平気でやってしまう。

オレオレ詐欺で騙される老人、変なツボを買わされたり、新興宗教にはまる人たち

「星の子」という作品が、この作者にはある。
あれは新興宗教にはまる両親を学生の娘が冷めた視線で見守る作品だ。
背景にあるのは「孤独」とか
現実逃避ではなかろうか

あの作品の両親を見る娘の態度にも、僕は不穏な感覚を生じた。
本作の「おばあちゃんの家」のおばあちゃんも「孤独」である。

お父さんが生まれる前から、おばあちゃんはインキョに住んでいたらしい。

世話をしている両親とは血が繋がっていないらしい。

そのおばあちゃんと交流する「森の兄妹」の兄も母子家庭で友達がいない孤独な子なのだ。

彼らは客観的に見ると変である。
おばあちゃんは、独り言を言っている。
兄は、存在しないものを見たりしている。
それは現実なのか、それとも幻なのか。
病院似通っているのは母なのか、それとも彼なのか
妹は本当に実在しているのか。

「孤独」を回避するため
あひるが死んでも、交換して生きていることにする両親
そこには絶望的なまでの虚しい現実があり
人間が人との関わりなしには生きられない存在だということが示されている
故に、人は異常に走る。

これは怖い・・・。


2022 2 20



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