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後ろ向き?前向き?他にも方向あるのにねぇ

ネガティブ、ポジティブに踊らされた若かりし日


♬カスタネットをたたたんたん たたたたんたたんたんたたんたん
踊ってない夜を知らない人などこの世に一人もございません♬

踊れるものなら踊っていたいよね


7月は祇園祭に浮かれているが、気を抜くと苦い思い出─大学卒業後から6月いっぱいの試用期間終了と同時にわずか3ヶ月で仕事を辞めた─が蘇る

甘く、弱く、駄目な自分

今でも、年若い方のものすごく思慮深い考えの投稿や、同世代くらいのしっかりした人生の投稿を見て自分のダメさや薄っぺらさを痛感する

あんまり向いてないのかな、こういうの、と今更ながら思いつつつい闇を曝す

ずいぶん長いことこの事は私の心の奥の方に、癒える事なく熱を持ったままいやらしく私を苦しめていた

かなり図太くなった今でも、相変わらず良くも悪くも他人の言葉に過敏に反応して踊らされる

勝手に踊ってるだけやん

悪意をもった意地悪も、良かれと思って私を思うものまで深く深く取り込んではその放たれた言葉に深く傷ついたり落ち込んだりしていた

”いい大人”が便利に使う『悪気が無い』は『傷つけてやろうと言ってやった』と言われたほうがいいと思うくらい大嫌いだったし、『言い過ぎました』も『思ってたけど言わなかったことを全部言いました』て事??と思って嫌悪感を抱くほどにいちいち色々嫌っていた

当たり屋みたい

自分も結構やってんでしょうが

『悪気が無い』って弁解が通用しないほどに言ってはいけないことが増えた気がする

ハラスメントって言い過ぎハラスメント『ハラハラ』とでも言おうか

食うか食われるか、殺伐としちゃうわね

『後ろ向き・前向き』『ネガティブ・ポジティブ』『マイナス思考・プラス思考』もやたら聞くようになったのはいつからだろう

『ネクラ』ならよく耳にしていたし、NHK教育テレビ『中学生日記』で“ネアカ“という言葉を聞いて驚いたほどだった

大学生の時は特に積極性が求められ、明るく前向きであることが何よりも大事、弱音や不安、出来ていない事に対する焦りを口にすると『後ろ向きだ』『ネガティブだ』と言われ、いつからか”後ろ向きな人“として扱われることが多くなった

教員志望がほとんどという環境だったのもあると思う

劣等感が強く、両親も”褒めて育てる“ではなく割と辛辣な言葉をかけられていたので、褒められても『全然、全然、そんなことないです』と返してばかりいた

ゼンゼン、ぜんぜ(ん)

育てられ方だけのせいにするつもりはないけれど、褒められ慣れず、よそ様に褒められても『真に受けるな、調子に乗るな』と言われ続けていたので“つい“そうしてしまった

それなのに父親はいつも『女の子らしく素直にハイと言いなさい』という

素直な気持ちならハイとは言えませんけれども

↑こういう反応でますます怒り狂うので表向きは神妙な面持ちで反省(何をだ)し、心の中ではこう思っていた

“謙遜“のつもりのその態度は人を良い気分にはさせない、何なら不快にさせる事があるなんていう事を指摘されたことも多々ある

『謙虚なのも良いけど、褒めた人の気持ちを無視してる』とか『評価をもらって否定するというのはその人の価値観を否定している』などなど

『恥ずかしくても照れくさくても、嬉しいならありがとうでいいんじゃないの?もう少し前向きに!』

前向きに。。。前向き!?

自分が心地よく居たいがために、かけられた言葉を後ろ向きに捉えたと言うことか

こそばゆい思いを抑えながら心の底に少しでも喜びがあるならちゃんと出せるように心がけたが、親の接し方などだけでもなく、性質的に自分の足りない部分に目がいってしまったり、自分の思い描いていたところまで全然いけていないから喜べないな、と度々出てくる自己肯定感というのが無いのかな?なんて改めて思ったりする

でもそれって後ろ向き?

親に『育てられて』から『育っていく』人になってからの方が長いので多分性質的なものも大きいのだろう

ま、そういうのって人それぞれだと思うんですよぉ

真っ直ぐな木もあれば曲がってしまう木もあってぇ

そのおかげで森も華やぐっていうかぁ、面白みがあるって言うかぁ

多様性とか、個性とか?

この夏また新たに公開される『インサイド・ヘッド』の前作を見た時も、感情とかそれを持つ度合いというのもいろいろな人がいて違いに気がついたりそれぞれの感じ方が違うから寄り添ったりどう思っているのか慮ったりするのであって、何か“だけ”あったり“あり過ぎ”たり“足りなかったり”人それぞれ・その時々があるから人間なんだろうなと思ったりした

ただ、こうした事を思うとき本当に私がネガティブだというなら日々ふりかかる不機嫌や怒りの素に立ち向かいながら(自業自得がほとんどですけど)、週に1度のビールを楽しみにしたり、お花に誘われてお散歩をしたり、好きな車を探しに歩き回ったり、お気に入りのお菓子を買いに、カメムシの定点観察をするために歩き回ることが出来るだろうか

こんなに前向きと言うか、お気楽な人もそういないんじゃないの?とさえ思えてくる

後ろ向きな時もあれば前向きな時もあり、右向き・左向き・上向き・下向き、斜めもあるし、若い時はいったいどうしてこんな事にも気が付かずにあんなに思い悩んでいたのだろう

絶望しそうになっても、わざわざ“型”を探してそこにはめ込んで“らしい”生き方をしていくのは思い込みの激しい私にはあまり良い方法ではない

それに救われると思う時は誰もが間違ってると言おうが思い切りすがっても頼っても良い

同じ踊るなら、心躍る方に大いに気持ちを持っていこう、かな

な~んてな

て、事でまたまた

7月12日夕方の長刀鉾

今日の15時、ポストに投函へ行く時、後祭の黒主山の建つ帯屋さんの『誉田屋』の前に今年も登場!

金色の鯉を探せ!
室町三条を南へ少し行ったところ
木村英輝氏(キーヤン Ki−Yan)の作品

↓ こちらはわたくしの作品 笑

これ、めっちゃうまく描けた
自画自賛というやつですね










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