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ヴォルテール『寛容論』の根底に流れる “思想” とは?

こんにちは。

ムッチーのnoteを開いていただき、有難うございます!


前回は、ヴォルテールの『寛容論』を読んで、僕なりに学んだ “要点” を記録させて頂きました。

今回はもう少し踏み込んで、『寛容論』の根底に流れる、作者ヴォルテールの “思想” に迫っていきたいと思います。

できるだけ易しい言葉で、“面白くわかりやすく読める” よう(⬅僕が 笑)。


ヴォルテールの思想

さて、読んだ本の作者は、どういう思想(考え方)の人だったのか?

それを知る “手がかり” として、僕は “Wikipedia” と “コトバンク” をよく使います。

もちろん、そこに書いてある内容が正しいかどうかはわかりませんね。情報って、その情報元(書き手)の “主観” が入っていることも多いですから。

だから、(情報元が異なる) いくつかの情報を調べて “共通している内容” が、「まぁまぁ “客観的” な(誰もが納得できる性質の)情報なのかな」と思います。

ということを踏まえて、ヴォルテール(以下敬称略)がどういう思想・考え方の人だったか?、Wikipediaコトバンクで調べてみると、

ヴォルテールの思想の特徴として、

✅「啓蒙思想家」だった。
✅ 彼は、人間の理性を信頼し、自由を信奉した。
✅ キリスト教の悪習・腐敗を問いただし、是正しよう(改めさせよう)としていた。
✅「理神論」の立場から、キリスト教会を批判した。
イギリスの思想に大きな影響を受けた。

というようなことが挙げられます。

ここで、気になる(意味不明な 笑)キーワードが出てきました。


「啓蒙思想」ってなに?

ヨーロッパで17世紀末に起こり、18世紀に全盛になった革新的思想。
合理的・批判的精神に基づき、中世以来のキリスト教会によって代表される伝統的権威や旧来の思想を徹底的に批判し、理性の啓発によって人間生活の進歩・改善を図ろうとした。
コトバンク デジタル大辞泉より-

なるほど。この啓蒙思想の意味を知るだけでも、ヴォルちゃん(親しみを込めて 笑)の “人となり” が少し見えてきます。

長年、権威を持ち続けたキリスト教会に “よどむ” 悪習・腐敗に対して、

「なんかその威張った態度で、ガチガチに凝り固まった考え方を押しつけるのって、よくないんじゃない!?」
「もっと道理(筋の通った、人として行うべき正しい道)を大切にしていこうよ!」

と、“悪い所を改めて新しくしよう” とした考え方が、啓蒙思想なんですね。

言ってみれば、「あたりまえのフツーの(正常な)人間に戻ろうよ」って話のような気がしますが、当時のキリスト教社会のフツーは、“毒に侵(おか)されて” かなり狂った状態だったのだろうと推察します。

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「理神論」ってなんだ?

ヴォルテールは、そうした啓蒙思想にのっとって、「理神論」の立場からキリスト教会を批判していた、とのこと。

この「理神論」が、ヴォルちゃん(親しみを込めて 笑)の思想を理解するうえでの “肝(きも)” になるのかな、と思います。

「理神論」とは?
神は世界を超越する創造主であるが、神の活動性は世界の創造に限定されているのであって、創造されたあとの世界は、あたかもねじを巻かれた時計のごとく、神によって定められた自然法則に従い、その働きを続けるとするもの。
創造されたのちの世界の自己展開には、もはや神は干渉しないところから、超自然的な啓示、特に奇跡などを排する(除外する)。
これは歴史的には宗教の合理化、世俗化、人間化の過程に現れた合理主義的・自然主義(※)的有神論といえる。

※自然を唯一の実在・原理として、精神現象を含む一切の現象を自然科学の方法で説明しようとする立場。

コトバンク ブリタニカ国際大百科事典より-

神は “世界” と、その “世界のルール(法則)” をつくった創造主。その世界の中で起きることは、神(創造主)は干渉しません、という「神観(神の捉え方)」なんですね。


現実世界を “ゲーム” にたとえてみましょう。

神はその “ゲームをつくった制作者”です。ゲームの “ルール” も制作者(神)がつくったもの。

そのゲーム内のキャラが “人間” で、そのキャラを操作するゲームプレイヤーは “人間の心 (思考・感情) ” です。

🔹理神論における “神と世界と人間” の関係🔹
     ゲーム世界
 ゲームの制作者
ゲーム内のキャラ人間
ゲームプレイヤー ➡ 人間の(思考・感情)

ゲーム内のキャラ (人間) にとって、ゲーム制作者(神)は、次元の違う超越した存在。だけど制作者(神)は、ゲーム内の “世界” を直接操ることはできません。制作者がつくったルールを守ったうえでなら、プレイヤー(心)の思うままにプレイできます。


理神論のイメージって、そんな感じになるのかな、と思います。

つまり、人間が現実に住む世界は、神によってではなく “人間の心 (思考・感情)” によってコントロールできるんですね。ただし、神が設定したルールにしたがわないと、世界は終わって(ゲームオーバーして)しまう...


世界から争いをなくすには?

実際に、人間が現実に住む世界は、神が設定したルールに従わず、人間の “邪心” によってコントロールされてきたせいか、いまだに悲惨な争い・混乱が絶えません。このままいくと、本当に世界は “終わって” しまうかもしれません😱。

そう考えると、理神論に、説得力を感じます。

であるなら、争い・混乱をなくす世界にするためにはどうすればいいのか?

「啓蒙思想」と「理神論」の考え方に立って言うなら、

「神(世界の創造主)が設定したルールを守りながら、人間の心に “理性”(筋の通った、人として行うべき正しい道)を取り戻そう!
大いなるもの(神、自然)を敬いつつ、本来の正常な人間に戻ろうよ!」

ヴォルテールも、そんなふうに考えたのではないでしょうか!?


で、その、神(世界の創造主)が設定したルールってな~に?


ロックの自然法思想

ヴォルテールの経歴を調べると、彼はイギリスの哲学者ロックの思想に大きな影響を受けていたようです。

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このロックの考え方のなかに「自然法思想」というのがあります。

自然法とは、「人間の自然の本性に基づいて、あらゆる時代を通じて普遍的に守られるべき法」のこと。

あ~、哲学用語って、なんでこんな堅苦しい表現をするんだろう😑。

要は、「いつの時代でも “あてはまる”、人間が守らなきゃいけない “決まり”」のことですね。

で、その、なんかすっごく大事そうな “決まり” ってなに?

いや、それが明確に定義できないからこそ、色んな哲学者が “自然法とはなにか?” について考えたようですが、ここではロックが考えた自然法思想だけにスポットを当ててみますと...

「ロックの自然法思想」とは?
ジョン・ロックは何人も侵すことの出来ない各人固有の権利として、「生命(life)」「健康(health)」「自由(liberty)」「財産(possessions)」の4つを掲げて、自己保存の中に更に広範な自由の概念や財産権を含み、国家(政府)は社会契約(統治契約)によって成立するもので、国家(政府)が統治契約に背いてその自然権を侵害すれば、国民は抵抗権(革命権)によって革命も正当化されるとして自然権の優位性を唱えた。
ロックの思想は自然権の社会化をもたらすとともに、資本主義や市民社会に理論的正当性を与え、アメリカ独立革命などの市民革命に大きな影響を与えた。
Wikipedia 近代自然法思想より-

うわぁ、表現が硬いわ~(ロックだけに 笑)。

この定義を噛み砕いて言いあらわすのはやめときます(話が複雑になっていくし、硬すぎて噛み砕くのメンドウなので 笑)。

ここで僕が注目したのは、「自己保存」というキーワードです。


神(世界の創造主)が設定したルールとは?

「自己保存」とは?
生物が自分の生命を守り、発展させようとすること。
また一般に、自分または自分の種族を維持、発展させようとすること。
コトバンクより-

これですよ、これ!。いつの時代でも “あてはまる”、人間が守らなきゃいけない、鉄壁の “決まり”

もう少しその「自己保存」の意味に、厚みを加えて表現する(脚色ともいう 笑)と、

(全人類が、全生物が)自分の生命(いのち)を守り、かつ “豊かに幸せに” なれるように生きること。そしてそれを、次の世代の生命に繋いでいくこと
※僕は、“発展” という言葉を、“豊かに幸せになる” と脚色しました。

神(世界の創造主)が設定したルール、すなわち “自然法則” は、そのひと言に集約されるのではないでしょうか。


だとすれば、人間が「寛容」であることは、その “豊かに幸せに” なろうとする “自然法則” にしたがった、本来の正常な人間の姿なのだ!と言ってもいいでしょう。


今回、得られた気づき(あとがき)

昔、「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」というキャッチコピーがありました。

この言葉は表現が人権にかかわるということで物議をかもしたようですが、あえてここで、その表現を “流用” させて頂きます。

“不寛容(ディスること)” やめますか? それとも “人として生きること” やめますか?


今回の記事は、『寛容論』の理解を深めるために手探りで書いた、いわば “思索の探求記録” です。ヴォルテールの思想について解説したものではありませんので、決して鵜呑みにしないでくださいね(笑)。

あくまで、自分なりの答え(らしきもの)をどう導き出したか?

僕にとっては、その “探求のプロセス” こそが価値で、それを記録することが、noteに書くことの意義なのではないかと思うのです。

まだまだその意義を充分には果たせてませんけど😅、今後noteに記録する際のルール(ムッチーの自然法則 笑)にしたいと思います。


ということで、そろそろ締めま~す。

今回も、恒例のムッチーによる “気づき”(自分への教訓)、二つ続けていきますね😉。


💎「不寛容は、不自然な “異常な人間の姿” である!」(by ムッチー)

💎「読書を栄養にしたいなら、作品の根底に流れる作者の思想を知ろう!」(by ムッチー)


次回は、今回学んだ思想をふまえたうえで、さらに、『寛容論』の “神髄” に迫ってみたいと思います。


最後まで読んでいただき、有難うございました!m(_ _)m

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