ー不安すぎる真夜中ー
(1月30、31日の今まさにおこった出来事。)
夜中を過ぎ、朝5時すぎた。
あと1時間ちょっとすれば旦那も
起きるであろう早朝。
何故おきてるの?て?
夜、ずっとトイレとベッドの往復。
肛門から便意がかなりあり、
まさか肛門から便は出らんやろ?
ストーマつけてるし。
と思ったのが大きな間違えだった。
唯一の救いは、途中から生理用ナプキンの
大きめを途中でつけたこと。
私は夜真っ只中のなか、大をもらしたのだ。
35歳でおもらしはキツイ。
ストーマの中の色と同じの茶色で、
液状だった。
しかも、あふれんばかりに大量に。
何回も出てるし。
今日に限って何故だ?
もう手術から3ヶ月になろうとしてるのだ。
もう、不安でたまらず人類の叡智にすがるが、
検索してもストーマしてても便意があります!
は、よくでてくるが肛門から大量に便が出ると
いう事は、なかなか探しても納得できる答えがでない。
スマホとずっとにらめっこしている。
手術後すぐは残っていた便が茶色い液体として出ることがあります。
...いや数ヶ月たってるし、大量にでてるんだが?これ正常なん?
と、しまいには検索した文にツッコミをいれる。
そうこうしてるうちに、また便が出そうだ。
あ。コレ、便を我慢する訓練になるのでは?
先生が言ってたなぁ...
ストーマをなくして、しめる手術をした後、
便が急に何回もでるからケツを
ぎゅっとしめて急な便をトイレまで我慢する
練習をしましょうて。
いやでもさ...練習には良いがさ...
コレやべーわ。
永久ストーマの方が良いかも?て思えてくる。
だってストーマとったら、
この日々が、ほぼ毎日続くんだろ?
Everydayなんだろ?
実際に体験してかなり痛感させられた。
一睡も寝れそうにない。
はぁーと長く深い溜息をしながら、
某有名なネットで質問して答えてくれるページをみた。
そこに少しは自分はマシなのかもしれないと、
安堵できる記事を見つけた。
どうやら、ストーマ手術を何ヶ月前にしたが
肛門から固形の方の便が出たとか。
それ見て私はまだマシなのか?てなって
少しホッとした。
だが本当に大丈夫なのか解らないので
先生に今度聞くとしょう。
そんな事よりもトイレだ畜生!
邪魔するように夫の目覚ましが、
けたたましく鳴り響いた。
昼過ぎ。
急な出来事にどうやら、
私は案外ショックが大きかったらしい。
急に無性に素晴らしい詩を読みたくなった。
詩 有名
と検索をかける。
目に止まったのは、まど・みちおさんの詩。
「もうすんだとすれば」
もうすんだとすれば これからなのだ
あんらくなことが 苦しいのだ
暗いからこそ 明るいのだ
なんにも無いから すべてが有るのだ
見ているのは 見ていないのだ
分かっているのは 分かっていないのだ
押されているので 押しているのだ
落ちていきながら、昇っていくのだ
遅れすぎて 進んでいるのだ
一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
やかましいから 静かなのだ
黙っている方が しゃべっているのだ
笑っているだけ 泣いているのだ
ほめていたら けなしているのだ
うそつきは まあ正直者だ
おくびょう者ほど 勇ましいのだ
利口にかぎって バカなのだ
生れてくることは 死んでいくことだ
なんでもないことが 大変なことなのだ
何回も読んだら深みが増すような深い詩。
私は実は常々、金持ちやらじゃなく普通な
ごく一般的な生活に憧れていた。
普通にある程度、金があり
普通にある程度、体が健康で
ごくごく普通の暖かい家庭を築きたい
普通
やっと大人になって気づいたのだが、
普通が1番難しいのだと。
なんでもないことが 大変なことなのだ。
最後の文が突き刺さり、また最初から読むと
最初の文でグイグイと心を捕まれる気分に
なった。
生きて居たら皆、
それぞれに人生は試練の連続だと私は思う。
例え、素晴らしい人生をおくっている人でも
生きていたらやってくる。
でも前に進まなきゃならない。
もうすんだとすれば これからなのだ。
本当にコレだ。人生いつだって、
これから。
また食べたら便を漏らすんじゃないか?
と渋っていた私は詩を見て頑張れと応援された
気分になる。
いいじゃないか。
勝手に思いこむのも人生の生き方だ。
頑張れ私。負けるな私。
そう言い聞かせながら、毎日の日課の
ヨーグルトをやっと食べたのだった。
ー完ー
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