〜直腸付近リンパ摘出ストーマ手術入院 実録〜⑦
ー手術後 6日目ー
(指定難病説明や、少し過去の説明あり。
文途中、画像あり。長文。)
朝から寒気と胃が重いし痛い。
看護師さんに「今日さむい?」て聞くと昨日と寒さは変わらないらしい。
手術辺りは痛みがないがケツの管が座る向きや寝る角度で痛む。腰も痛い。
つい「いたたたた」と小さく呟く。
おばあちゃんみたい。
最初から劇的に変わったのは、
あんなに見るのも嫌で、おびえてたストーマをまじまじと直視できるようになってきた。
そうなると変わるのは、
朝から捨てる排出物が溜まっていなかったり
排出物の色が変わってたり元気が無さそうだったりすると気になる。
「お前大丈夫か?」
自然とストーマに話しかけていた。
恥ずかしさもあったが、最初を考えると
良い成長なのかもしれない。
現実を見ないようにしても結局は
見なきゃいけない。前に進むためにも。
良い方へ 良い方へ。
胃と腰が調子が悪いせいか、目の調子が悪い。
私は指定難病の強直性脊椎炎であり、
医師曰く、そのなかでも珍しいらしい
膠原病検査でBー27とでた。
実は私は前に田舎のデカイ病院で、
この検査をした事があるが結果を見ても
田舎のデカイ病院の医者は、
私の最近解った病名に気づく事はなかった。
だから膠原病検査は2回もしていた。
私も私で椎間板ヘルニアかな?と勘違いしてた
ほどだ。
病名を教えてくれた医者いわく、
日本では、あまり居ないケースらしくて
海外人によくいるとか。
何度も自分の親や私に親戚に海外の血筋は
居ませんか?と医師が聞いてきた。
ある友達に言ったら、
「海外の血がながれてるんだぜ!て
言えるやーん!」
といわれたがすかさず、
「良い方にとらえたらまぁね、確かに。でも、親戚にもいないし、親に聞いても本当に居るか解らないなら微妙じゃない?海外の血筋が居るんだぜ〜て冗談で自慢もできないw」
と半ば苦笑交じりで話した。
でもそうやって前向きに提案してくる所は私にはあまりない所なので、この友達の面白い
ところでもある。
意見を雁字搦めにおしつけられる雰囲気や意見は苦手だが、この友達は私の意見として、
ゆっくり尊重して聞いてくれるのが
助かってる。
ある意味私の意見などの情報源の1人だ。
話は長くなるが、この強直性脊椎炎は腰や関節が痛くなったり体が固まったように固くなる。一定の位置のままいると痛み出す。
例えば寝てばっかりいると、
腰の痛みが酷くなったりする。
その他、疲労感や発熱やら色々症状がある。
で私の場合、HLAーB遺伝子型で1つの遺伝子がどうやらBー27らしい。
(因みに、人間は親から2つの遺伝子をもらう
らしいよ。)
だからBー27の強直性脊椎炎なので、
腰やら胃やらに調子が悪くなると目に
影響がでやすくなるらしい。
目の上の瞼ら辺がだんだんと痛くなり、
目の充血が酷くなる。光が眩しく感じる。
しまいには痛みで夜が全く寝れなくなる。
目の病気、ブドウ膜炎である。
この病気は治ったりまたなったりの
繰り返しだ。
私は何回もこの病気になっていたが、
いつも受診して目薬で数日したら治っていたので
さほど気にしてなかったが何回目だっただろうか?
去年の12月終わりに、またなってしまった。
何ヶ月も治らなくて最終的には痛すぎて全く寝れず泣いていた。
目の中に何回か注射をしてやっとこさ治った。
今年の4月終わりかけだった。
ならないように、腰や胃を
気をつけるしかない。
一定の時間座ってたり、立ってたり、寝てたりをやらないようにしなければならない。
しかし現実は甘くない。
私はもう1つの指定難病である、
ミオパチー壊死筋性症が検査入院をし、
筋性検と言う検査手術で腕の1部の肉を切り、研究に出して検査して解った。
(免疫介在性壊死性ミオパチー)
一生忘れないかもしれない。
検査手術は5月28日私の誕生日当日だった。
この病気は名前の通り、筋肉が壊死して動かなくなったりする病気だ。
筋肉が小さい頃から弱くペットボトルの蓋が開けれなかったり、よく物を持ちきれず落とす。
最近では足が急に動かなくなったりしていたのでおかしいなぁ?と思ってはいた。
私の場合、血の検査で解ったのだが筋肉の値が医療用語で言うとCKなのだが、
だいたい1000~高い時で2000もでる。
私の年代の女性は150までが限界値だそうだ。
私はかなり高い方らしい。
それで先生から手術検査を進められ35歳に
してやっと原因がわかった。
この病気は運動するとCKが高くなり悪化する。要は、あまり動くなだ。
ここまで読んで、気づいた方もいるだろう。
そう、強直性脊椎炎とミオパチー壊死筋性症は
ハッキリ言って相性が悪いのだ。
強直性脊椎炎は簡単に言うと、適度に歩け。適度に運動しろ。ずっと座るな寝るな立つなだ。
ミオパチー壊死筋性症は逆に運動するなだ。
実際、血液検査結果CK数値が1番引くくて950で壊死筋性症の症状がマシだった。
その逆で、
CRP(強直性脊椎炎などに関わる炎症の数値)
が1.13で強直性脊椎炎の症状が悪化したのだ。
因みにCRPの基準値は0.30らしい。
数値がものがたっていた。
だいたい入院して、極力安静にしてても
950以下にならないのも異常だ。
本来ならここで胃に悪いロキソニン(痛み止め)を
のむのをやめ、生物学的製剤を投与したり、
壊死筋性症のステロイド剤も、
できなくなってしまった。
「本当に人生甘くない...辛い。」
と何度思ったことか。
そのすぐ数日後にカルチノイドが2つあり手術して取らなきゃならなくなり検査や入院や退院通院が続きながらカルチノイドを取るも、
そのカルチノイドが悪性腫瘍だと取ってから
顕微鏡検査で解った。
医者から
「まだほかの臓器に転移してないし、若いので腸を少し切り腸の周りのリンパを全部取り除いて、腸にストーマをつける手術をして、3ヶ月から長くても半年ストーマをつけて過ごした後、ストーマを外して閉じる手術をした方が良いと思います。手術に伴い、他の病気の治療は腸の為に後回しに...」
とゆっくり淡々と説明があった。
他の病気の薬をいれると腸がどうやら
繋がらなくなったりし、よくないらしい。
医者の話を聞いて私は思った。いやどうやら、
医者の顔を見たら口に出てたらしい。
「もう手術したくない。
死んでもかまわない。」
光も何も見えない真っ暗だった。
次から次に襲いかかる病気や手術や入院や金や仕事の問題に直視できなかった。
いや、したくなかったのだ。
学生時代は小学~中学生まで嫌ってほど、
いじめられて女子や男子からも菌扱いされて
自分は絶対結婚できないと思ってたが
結婚できた。
体も弱いため病院を転々としてきたし、
子供はできないかもしれないとある先生には
言われたけど、だがそれは仕方ないと、
最近では思っている。
金もないし。
ちょっと前に仕事に受かって今年の春から
新しい仕事だったが病気のせいで、
1回も行けず、クビになった。
体や心はきつくても、
私なりに必死に35年間生きてきた。
充分だ。
もう諦めていいじゃないか。
でも私は最終的に生きる方へ選んだ。
どうしても嫌だったストーマをつけ、
早く退院できるように胃が痛くても食べて
歩きたくなくても歩いてる。
私のペースで私なりに頑張っている。
今じゃストーマに話しかけてるのだから
何だか可笑しくて笑いが込み上げてきた。
人生甘くないけど辛いけど
やって見なきゃわからかない。
どうしてこんな気持ちになって、手術して
ストーマをつけたか?
それはまた明日。
「むーちゃんさん、今日の昼から流動食から
三分粥になるそうです。」
もうすぐステップアップした昼ごはんが
くるのだから。
#闘病
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