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成立しても施行されない、ミャンマー特許法の不運ふたたびか!

ミャンマーの歴史は、まさに混迷の歴史です。
それは、ミャンマー特許法にも現われており、紆余曲折しています。

ミャンマーの混迷の歴史は、知財の歴史?

ミャンマーでは、まずイギリス統治下の1914年に著作権法が施行されました。
その後に、第2次世界大戦後の混乱期から、1946年にミャンマーは独立しています。
当時では、東南アジアでは、最も豊かな国として、特許法と意匠法が成立しました。 
しかし、1947年にアウンサン将軍が暗殺されてしまいます。
これにより、せっかく成立した特許法も意匠法も施行されませんでした。

きちんと施行されない知財関連の条約

東南アジアでは、成立した知財法が、きちんと施行されないことが、現在でも珍しくはありません。
現に、知財の国際条約を批准するために成立した国内法が施行されずに、特許のPCT条約も意匠のヘーグ条約も商標のマドリッドプロトコルも、遅れて批准した国が、いまでもあります。
たとえば、カンボジア、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、ブルネイなどが、このような国です。
アセアンは、ミャンマーをのぞくと9か国あるのですが、そのうちの6か国が、2000年代でも、このような状況です。
しかし、1946年に成立した特許法も意匠法も、70年以上も施行されていないのは、さすがにミャンマーのみです。

70年経ってからのミャンマー知財保護

1947年のアウンサン将軍の暗殺後は、軍事政権時代が続き、民主化デモを封じ込めたり、欧米による経済制裁があったりと、経済は疲弊していきます。
ただ、明るいニュースとしては、1997年にアセアンに加盟したりしていました。
また、2001年に世界知的所有権機関(WIPO)にも加盟したり、知財の保護を進めていくうねりが、ミャンマーでも見え始めました。
ミャンマーは、知財関連の四つの法案を議会に出していたりしてましたよね、軍政から民主化へ移行していく過程で、経済の発展が目覚ましかったじゃないですか。
日本企業も多くが進出していたはずでしょ、と思っていらっしゃるかと思います。

知財の制度がきちんと確立していないと、西側諸国の投資の環境整備が進まないのが通常です。
日本も西側諸国の一員なので、知財関連の法案が議会に提出されたことを踏まえて、日本企業の投資が進んでいきました。
実際に、2017年に 知財関連の法案が議会で審議され、その後に、新投資法が施行され、新会社法も施行され、知財関連の法案も2019年に成立しました。
しかし、1946年に成立した特許法や意匠法が、翌年のアウンサン将軍の暗殺により施行されなかった悲劇が再び訪れます。
知財関連の法案が成立した2019年から1年経過せずに、民主化から軍政へ戻す今回のクーデターが発生したのです。

特許法が成立すると政変が起こるという悲劇

ミャンマーでは、特許法が成立すると政変が起こるという悲劇が、ふたたび生じてしまったのです。
これは、投資法や会社法が整備されて、締めの知財関連の法案が施行される時期が、国内状況の政変を起こす時期とリンクしているのかもしれませんね。

ミャンマーの歴史は、まさに混迷の歴史です。
それは、ミャンマー特許法にも現われており、特許法が成立した直後に政変が、過去2回起こっています。
そのため、せっかく成立した特許法が、70年以上も施行されずに続いていた歴史が、ふたたび引き起こされてしまうかもしれません。

今回の政変と1947年のアウンサン将軍の暗殺との違い

今回の政変では、1947年のアウンサン将軍の暗殺の際とは、国軍の対応が多少異なっています。
具体的には、新らしい商業大臣は、民政へ移管する際の副大臣だった方が就任しています。
他の経済系閣僚も民政へ移管する際の実務経験者ばかりです。
さらに、外交・行政・経済の政策方針は前政権から継続する予定であると、現在の軍政は説明しています。

タイの政変後に、撤退した日本企業は、ほぼない

でも、クーデターを起こして、暗殺されたアウンサン将軍の娘のアウンサンスーチー氏を拘束してるし、もう選挙で選ばれた民主的な環境は難しいでしょ、と思われるかもしれません。
もし、民主的な環境が整なわなければ、海外から投資する国も少なくなるんじゃない、とは、一概には言えません。

たとえば、タイもクーデターにより軍事政権が政変を起こし、そのまま統治しています。
タイの政変後に、それを理由に撤退した日本企業は、ほぼありません。
今回も、政変後の経済政策がどのように引き継がれるかによっては、そのまま経済的な関係は続くのではないかと思います。

ただし、心配なのは、ネット遮断を契機にデモが活発化し、デモの激化により税関・物流・金融業に甚大な影響が出ていることです。
ネピドーで銃撃を受けた重体女性を含めて、もう何人も死亡している民間のデモ隊がいます。

これを機に、米国が制裁を発表し、 国連の人権理事会がスーチー氏の即時解放を求める決議を採択しました。
日本、米国、オーストラリア、インドの外相会談でも、ミャンマーの民政復帰を求めています。
加えて、EU外相理事会は、デモ隊への発砲に対し強い批判決議をしています。これに対して、ミャンマー 国軍は、「内政干渉に等しい」と反発しています。

今回のミャンマーの政変は、1947年のアウンサン将軍の暗殺の際とは、国軍の対応が多少異なっています。
しかし、せっかく成立した知財関係の法律も、過去のアウンサン将軍の暗殺の際と、同様に施行されない可能性も出てきました。


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