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なにかを思い出させる、アメリカと中国の貿易戦争

最近の中国へのアメリカの半導体製品の輸出入制限は、1980年代の日本への輸入制限を思い起こさせます。
昔から、アメリカのハイテク製品に対する、他国への圧力は、何ら変わるところがないのではないかと、今の中国への対応を見て思います。

アメリカが行った1980年代の日本からの輸入制限

少し前の話になりますが、日本は、1975年頃から、半導体製品の本格的な量産開発が始まりました。

当時の半導体企業の大手は、テキサス・インスツルメンツ、フェアチャイルド、モトローラといったアメリカ企業が中心になっていました。
当初、半導体の開発で先行していた米国企業に、時間をかけつつ、少しづつ開発できる製品を増やしていきました。

そして、1980年代から、半導体の輸出も、日本からアメリカへ、どんどん増えていきました。
半導体の輸出は、1985年以降、日米の貿易問題の中心になっていました。

そのころ、問題となっていたのは、半導体の日本国内の販売価格よりも、アメリカへ輸出していた価格が3割引きくらい安かったので、いわゆるダンピング輸出が中心でした。

つまり、日本の高い品質管理で、かつ、アメリカ企業よりも半額くらい安い半導体製品が、アメリカ企業の収益を圧迫していたのです。
徐々に、日本の半導体製品が、米国企業のマーケットを奪い始め、世界中の企業が日本の半導体を、求めるようになってきました。

アメリカが日本に行った2つの対応

そこで、アメリカは、1988年に2つの法律を柱に、このような状況に対応しようとしました。

その一つが、不公正貿易国に対する徹底交渉と制裁を柱とする法律スーパー301条の設立です。
この法律はトランプ政権下でも、中国との貿易問題をめぐる強硬姿勢の根拠とされています。

そして、もう一つが、知的財産法の解釈の拡大です。

当時、アメリカの半導体大手のフェアチャイルド社は、1985年頃には生産すべき新製品がなくなっていました。
赤字が続いていましたが、特許のライセンス収入がかろうじて会社を支えていたのです。

しかし、それも存続期間が切れてしまい、フェアチャイルド社は、倒産しそうになっていました。
このような状況を見ていた、テキサス・インスツルメンツやモトローラは、ものすごく焦りました。
自分たちも、フェアチャイルド社のように、所有している知的財産権の存続期間が切れてしまい、日本企業に市場を奪われてしまうと、危機感を感じたのです。

見て見ぬふりの欧州

でも、それは、自由なビジネスが国際貿易の基本だから、自分の国の経済に都合が悪いからといって、他の国の貿易を不当に制限できないはずでしょ、と思うかもしれません。
欧州をはじめとする、世界の貿易国が、アメリカの自国優先の制裁を許すはずがないと、思ってはいませんか。
しかし、自国に都合が悪いから、他国へ圧力を、かけるのがアメリカなのです。

これは、トランプ政権になったからわかりやすくなっていますが、もともとそういう国なんだと思います。

特に、1988年に柱としたスーパー301条設立と知財法解釈拡大を、他国のことは一切考えずに、自国のみの利益のために運用しました。
この米国のスーパー301条と、知財法解釈拡大については、それぞれ別にまとめていますので、参考にしてください。

このような国際貿易の根幹を覆す対応に、欧州は、見て見ぬふりでした。
当時は、東ドイツが1989年のベルリンの壁崩壊に始まる国が滅びる現象を起こしていました。
もう、当時のソビエトが、東ドイツをコントロールできなくなったのです。
西ドイツは、東ドイツにある都市が、西ドイツに新たに「加盟」するという形式で、国家統一を成し遂げようとしていました。

このような状況を、見守っていた欧州は、アメリカと日本の貿易戦争どころではなかったのです。

最近の中国へのアメリカの半導体製品の輸出入制限は、1980年代の日本への輸入制限を思い起こさせます。

昔から、アメリカのハイテク製品に対する、他国への圧力は、何ら変わるところがないのではないかと思います。

昔は、日本へ行っていたことをベースに、人権問題を加えた対応を、いまは中国に行っています。


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