見出し画像

友だちという存在は?

久しぶりに友人ゆいとランチをした。

ゆいは、調理師でお店のチョイスは間違いない。

私は、ただついていくだけ。

いつも楽をして美味しいものにありついている。


今日は、焼肉屋さんのランチを食べた。

ゆいのどうでもいい話を長々と聞いたが、焼肉とスープの旨さに舌鼓を打ちながら、驚いたりにっこりしたり怪訝な顔をしながら、話を聞いていた。

まあ、私はゆいと会っている時間を共にするだけで楽しいし、さして話の内容なんかはさほど問題にならない。

私にとってはどうでもいい話でも、ゆいにとっては一大事な話で、けれども多少スピルチャルな話は多いものの聞いていてこちらが苦しくならないというのがゆいの話の特徴だ。

どうでもいい話でも、黙って食べるより、すっごくいい!!

スピルチャルな話を聞いて、ごちゃごちゃしていた私の頭の中が整理されて、正常が戻った感じすらする。


話はわき道に逸れるが、時々話を聞いていて、こちらが苦しくなったり、イライラする友もいる。

パターン的には、3つある。

Aパターン

今こうして思い返してみると、大抵は友が私の子供のことを心配?したあまり、自分の気持ちに整理がつかなくなって、「○○やでいかんのやてー」というような訳のわからん推論を押し付けられたとき、一気にイライラする。

「子供のいないあんたなんかにいわれたないわー」(モラハラだが)的な勢いで、打ち負かしてしまう時もある。

致命傷だとわかっていながらこんな時は、もうこの友と会うのが嫌になってしまった時だ。

私のような年になると、若い頃とは違って、別段そこまで我慢して友達でいる必要なんてないと悟り切っている。


Bパターン

友が大病などをしてその治療が辛いというような話の時。

それは、聞くのは辛い。

ああーっ、と嘆きながら、心でどうにかならないのかと焦りを感じながら、聞くか励ますかするしかない。


Cパターン

人の悪口を話すタイプの友人。まあ、私も人のことは言えないかもそれないが、、、

友が正論振り翳し、あいつは(夫だったり姑だったりする)とんでもない!と怒り心頭でいる時、当事者じゃあない私は、もっと旦那に感謝しないかんとか思っていたりするのだが、友という以上、「そうだよねー」などと言って共感したりする。

まあ、それで友は多分スッキリするはずだ。

これがお互いにできれば、別段問題はないが、たまに私が共感して欲しい時、してくれない友がいる。
私は、自分の意見を押し殺し、共感したのにも関わらず.。

そんなとき「もう、やめよっかなあー(会うの)」とか思ったりするが、長年の付き合いな場合は、こちらからは誘わないけど、誘われれば会ったりする。


そうして、だんだん友達が減っていって、今ではランチする友だちは2人ほどになってしまった。

けれど、友だちが欲しくなったら、サークルに入ったり、趣味を広げてみたりして、また作ればいいと思っているので、別段困ってもいない。

遊ぶ時間もないのに、友だちがたくさんいても、忙しいだけでありがたみも薄いかもしれないし、付き合いにもそれなりのお金がかかる。

それに今の時代、ネット上にはリアルに会うことはなくとも、多少のコミニケーションなら可能だし、家族というコミニティを充実させた方がよほど自分の為になると思うからだ。

この記事が参加している募集

読んでくださって、ありがとうございます。尻尾を振って、喜びます!!語彙を深めるために、本の購入に充てさせていただきます。