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祈りについて(信仰とか、、、)

独身の時、ほとんど信仰心はなかった。

けれど、受験の時に、神社に行って神さまにお願いしたことは鮮明に覚えている。

無事、合格できた。

けれど、別段心の底から信じているわけでもなかった。


私が神社に行って、神さまに祈りだしたのは、子どものことで悩んでいるときに、教育関係の偉い先生から、「神社効くよ」と教えてもらってから、、、その先生の言葉なら信じられる。

それからというもの車で30分ほどかけて、大きな神社に行き、毎月祈るようになった。

半信半疑だったけど、自分の中の不安を消すためにも必要なことだった。


お寺にも行った。

当時家庭内がぐちゃぐちゃで、どうしようもなかったとき、200円で護摩木を買って『家内安全』と書いて置いてきた。この1カ月は大丈夫という確信があった。


御祈祷もしている。
山の上にある薬師如来のところまで、母を連れて行き母の『病気平癒』のご祈祷もしてもらった。1か月のご利益で特別祈祷といって5000円する。

気休めかもしれないけど、それを2度ほどした。
本当は多分、年単位でご祈祷しないといけないのだろうな、、、
すごい金額、専業主婦のわたしには無理だった。

それで効果があったか?聞かないでほしい。
幸いまだ生きているが寿命は短い。

けれど、イベントとしては満足している。

父と母を連れ山門の前で写真をとり、重要文化財になっている本堂で真言を唱えてくださる僧侶声を聞き、太鼓も叩いてくれて、「もう、安心」という気になったのは確かだ。

ただ腹立たしかったのは、近くにある大したことない料理屋に入って、父がいも田楽を食べている最中、「あんなのただの寺の金儲けやと思わんか?」
といったこと。

じゃあ、来るな!!

父の時には、絶対にやったらんでな!と口論になった。

私と父は、昔から口論が絶えない。


そんなこんなで、信仰とは呼べないかもしれないけど、私の祈りはあることをきっかけに止まった。


実は、お世話になった方の奥様が癌だということで、私は忙しいその方に代わって同じようにご祈祷と毎月の護摩木を備えることにしていた。

けれども、わりに早く、奥様は亡くなってしまわれた。

少なからずショックを受け、やる気を失った。






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