スリランカのアーユルヴェーダは、わたしの本質を思い出させてくれるものだった
今日はこの記事の続きを。
前回書いた「外側の」ことに加えて、Tagiru.での滞在を通して生まれた「内側の」変化について書いてみようと思います。
行くべき場所には、必ずウェルカムのサインがある
わたしが搭乗したのは、偶然にもスリランカ航空45周年記念日のフライト。チェックインのときにやたら人が多いなぁと思っていたら、搭乗時に記念タオルをもらって、やっとそのことに気づいたのでした。
こういうのは、自分が行くべき場所に行くときに起きるウェルカムのサイン。ヨーロッパ旅でもそうだったけれど、「えいや!」と思って行くときの旅って、よくこういうサインを受け取ったりします。
ちなみに2週間の旅で感じたスリランカ人は、めちゃくちゃフレンドリー。わたし自身、もともと人に話しかけられやすいタイプではあるけれど、それ以上にみんなめちゃくちゃ話しかけてくるのです。
成田空港での搭乗時、後ろに並んでいたスリランカ人が日本語ペラペラで、到着してからもまた出会って、なぜかVISAの案内をしてくれて(ちょっと間違ってたけど)、搭乗機の機長も入国審査官も知り合いで、はじめてのスリランカは、謎のスムーズさで入国できたのでした。w
そして、空港で出会ったドライバーも、その人の知り合いの知り合い。
スリランカって2000万人くらい人口いるはずなのですが、なんだかみんな田舎の知り合い感覚で話をしていて、不思議な国だなぁという印象でした。
まさかの、強制リセットからはじまる
Tagiru.に行こうと思った一番の目的は、デンマークで少しだけ学んだアーユルヴェーダを実際に「体感」したかったから。
それから、そのとき学んだTM瞑想を帰国後全然続けられていなくて、一度ちゃんと時間をとってあの習慣を取り戻したい…という思いもありました。
ちょうど帰国して1年経ったこのタイミングで、もう一段純度をあげて深い自分に潜りたい、受けとる器を広げたいと思っていたのです。
そして、到着した翌日。まさかの朝から体調不良で吐いてしまうという…
朝ご飯までは全然元気だったのに、そのすぐ後からとにかくお腹が痛くて、気持ちが悪くて動けないのです。
出発前が忙しかったこと。めちゃくちゃ暑い日本から来て、フライトが寒くて身体が冷えていたこと。それからもともと貧血持ちで、ちょうど生理だったこと。何が原因かわからないけれど、しんどくて立っていられない…。
起き上がれないので最初の面談に行けなくて、とりあえずロビーまで這うようにして辿り着いたところ、日本人スタッフの明奈さんが気づいてくれて、そのあとすぐお部屋でドクターが診てくれることに。
なんだかよくわからない薬を飲まされて、身体に直接オイルを塗られる…一瞬不安な気持ちになったけれど、ここはもう言われた通りにするしかない。
その後身体を温めてもらううちに20分くらいで楽になってきて、そのままいつの間にか寝ていて、2時間後にはすっかり元気になってしまったのです。(しかも生理痛もなくなっていました…!)
実はこれ、たまにあることなんですよね。何かが変わるタイミングの旅って、初日とか2日目にめちゃくちゃ体調不良になるのです。1回目のフィンランドも、1回目のデンマークもそうでした。
はじめて訪れる場所で体調を崩すのってめちゃくちゃ不安だししんどいのですが、何かが強制リセットされて、その後に何か起きるなって思わずにはいられない、わたしの中で不思議なジンクスみたいになっているのです。
思いがけず体調を崩したとき、お医者さんに「大丈夫よー」って笑顔で言われると、なんだかホッとすることってないですか?
どんな薬よりも施術よりも、その言葉に癒される感じ。心が回復すると、身体がちゃんとそれに反応する感じ。ここでの医療は、そんな印象でした。
ちなみにTagiru.のドクター2人は女性なのですが、そもそもアーユルヴェーダのお医者さんは、女性が多いのだそう。
それはきっと、アーユルヴェーダが家庭の医学であり、生活と共にある知恵であり、母親のようなまなざしで、人々を守り育ててきたものだからなのかもしれないな、と思いました。
アーユルヴェーダの豆知識と前提知識
話を進めていく前に、少しだけアーユルヴェーダに関する前提知識を書いておこうと思います。
これらのほとんどは、わたしがデンマークで習ったことと、出発前に日本でいくつかの本を読んで学んだこと。加えてTagiru.にあった冊子の情報も加えてまとめてみました(わたしの個人的な考えも含まれているので、詳しく知りたい方はご自身でぜひ調べてみてください)。
まず、アーユルヴェーダにおいて、この世界は5つの元素で成り立っていると考えます。
そして、人間もその要素から構成されるものと考え、5元素から成る3つの性質(ドーシャ)をもとに、個人の体質や性質を判断するのです。
アーユルヴェーダでは、一人ひとり固有の性質を持って生まれてくると考えます。すべての人は等しくこの3つの性質を持っており、ただ含まれるバランスの違いが、体質の違いや個性を生み出していくのです。
けれど、人間は生まれてきたときのままで、歳を重ねることは難しいもの。長く生きているうちに環境の影響を受け、周りの人の影響を受け、本来のバランスを崩してしまうことで、不調が生まれてきます。
それらを未然に防ぐための生活の知恵と、さらに起きてしまった不調に対処するための医療として、この土地にはアーユルヴェーダがあるのです。
また、季節や1日の時間帯においても、これらの性質が与えられています。そうした自然のリズムを理解しながら、与えられた自分を生きるということ。アーユルヴェーダを知れば知るほど、その教えは「生命の科学」であり、「調和の科学」でもある、そんなふうにも思えてくるのです。
そして、わたしがデンマークで教えてもらったふたつの言葉も、今ならより深く、その意味がわかる気がします。
すべては「本来のわたし」に立ち戻ること
というわけで、改めてわたしの体験談に(まだ2日目なのに、書きたいことがありすぎる…!)。
ドクターの治療により少し復活したので、ランチの前に1つ目のマッサージに行くことにしました。メニューはヘッドマッサージ。
これはおそらく飛行機に乗って乱れてしまったVATA(ヴァータ)を整えるメニュー。(VATAが象徴するものは「風」。構成要素は「空」と「風」)
デンマークの初日に体調を崩したときにも、先生に言われたのです。自分が思っている以上に、「上昇・降下する際の気圧の変化を受けること」と「上空1万メートルに身体を置くこと」(加えて、長時間フライトの場合、自国との時差も身体に負荷がかかる)ってダメージだから、まず一番最初にやることは、気持ちと身体を落ち着けることだよって。
そして、お昼を食べた後は、ドクターとの面談へ。
午前中の施術ですでに、アーユルヴェーダのすごさは体感していたけれど、この個別の診断もめちゃくちゃ興味深かったのです・・・。
アーユルヴェーダでは個別にヒアリングをしながら、その人のもともと持っている性質と、今のバランスを見極めていきます。けれど驚くべきは、その一番の判断材料は、ドクターの脈診だということ。
以前デンマークで行ったチェック診断と、先生と話していた印象から、わたしの性質はVATA(ヴァータ)+PITTA(ピッタ)だと思っていたのです。
けれど、もともと持っていた性質はまったく逆のKAPHA(カファ)がメイン。VATA(ヴァータ)とPITTA(ピッタ)は、むしろ後天的に身につけた性質だったのです。
「今のわたし」に出会っている人は、おそらく好奇心があって、活動的で、エネルギーがあって、社交的で、頭の回転が速い…という感じだと思うのですが、たしかに思い出してみれば、小さい頃は白くてぽっちゃりしていて、一人でいるのも好きで、むしろのんびりしているほうだったな、、、と。
実はこれ、最初はあまり腑に落ちていなかったのです。KAPHAの性質って、むしろわたしが苦手とするもの。というか、現代社会で生きていると、あまり褒められない性質のほうが多いですよね…?
大きくて、冷たくてずっしり。ウェットでオイリー。動きが遅くて、いつも眠そう。そして体質はぽっちゃり・・・
けれどこの診断を受けたあと2週間をかけて、わたしは自分の性質を思い出し、少しずつ受け入れていくことになるのです。
アーユルヴェーダの本質は医療。リラグゼーションと思ったら大間違い
コンサルテーションを終えた後は、それを元にしたドクターの指示でプログラムが進んでいきます。そして2日目にして早くも、わたしの考えが本質的に間違っていたことに気づくのです。
アーユルヴェーダとは、ただ気持ちよくのんびりするだけの施設ではない。これは個別最適化された、伝統医療なのだということに。
医食同源という言葉があるように、ご飯も薬も治療の一部。一方マッサージは、そうした薬の効果を口ではなく皮膚から吸収しているだけで、方法は違えど結果としてめざしていることは同じことなのです。
食事はすべて、乱れたドーシャのバランスを整えるために提供されています。なので、好きじゃないものももちろんここでは食べないといけない。
お薬も1日2回。めちゃくちゃ時間がかかりながら飲んでいました。
そしてマッサージもただの癒しだけではないのです。個別にハーブが配合されたオイルを皮膚に塗り、人の手でマッサージすることで、薬効効果をカラダに浸透させているのだなと気づいたのです。そうやって必要なものを補給して、不要なものの排出を促しているのだと。
クリーニングデーまでは、それまで溜め込んだ毒素を一箇所にあつめていくため。それ以降は必要な要素を補給し、巡らせるため。そういう意図を持って、すべてのプログラムが組まれていました。
最初の数日は、ただマッサージを受けているだけなのに、だんだん身体が重くなってきて、眠くてたまらないのです。もはや、トリートメントの時間も含めてほとんど寝ているような感じでした。
そして、ヨガや瞑想や太極拳は、おそらく自分の中に流れるエネルギーを整え、自然のエネルギーとうまく調和するための方法。
これまでに少しだけ身につけていた知識は、実際に身体を通したTagiru.での体験を持って、よりわたしの中に深く入っていくことになるのでした。
カラダがクリーニングされると、ココロもクリーニングされていく
実は、初日の夜Tagiru.に到着したときは、インスタからイメージしていた風景とは違っていて。建物やお部屋もすごくシンプルなので、質素というか、ちょっと色がない感じがしたのです(到着が夜だったからもある)。
けれど、この場所で過ごすうちに、その良さがだんだんわかってきて。毎朝のクリーニングに、夕方のベッドメイキング。彩り豊かなお食事は、見た目だけでなく味も美味しい。だんだんここで働く人たちの顔も見分けられるようになってきて、この場所はここにいる人たちによってつくられているのかもしれないな、と感じるようになっていきました。
それからそれは、同じ時期にこのTagiru.を訪れる人も同じ。たまたま今回は、同じ人たちが長く一緒に滞在していたので、不思議と仲良くなって色んな話が聞けて、それもわたしにとってとても楽しい時間だったのです。
これは、Tagiru.で出会った「あっちゃん」の言葉。
あっちゃんのお部屋はわたしの隣。まるで、ハッピーの真ん中にいるような明るい人で、一緒に塗り絵したり、おしゃべりしたり、ゆるく楽しい時間を過ごしたのでした。
たまたまそのとき、「西園寺さんは家事をしない」をTver.で見ていて。愛とか家族とかって本当にいろんなカタチがあるよなぁって思っていたこともあって、わたしの中にも何かが水滴のように落ちていった感じがしたのです。
津田健次郎さん演じる料理系YouTuber横井さんのセリフもとても素敵で。
そうだよなって。これまでに出逢ってきた人、すべての経験がわたしをつくっていて、わたしもきっと誰かに何かを残している。そういう、見えないつながりみたいなものにも改めて意識が向いた瞬間でした。
これは、わたしが昔ある人に送った言葉なのですが、この世界を引いて見たときに、ちゃんとみんながいい意味でパズルになっていて、全体として美しい絵を描いているって思っているのです。
自分の本来のカタチを知り、それを自分でちゃんと認めていくこと。
わたしという存在は、つながりの中に生きていると思い出すこと。
アーユルヴェーダという深いつながりの伝統医療に浸かっているだけで、なんだかわたしという存在の見え方もまた、少しずつ変わってきたのです。
わたしって実は人付き合い苦手だよな、とか。
白黒はっきりつけなくても意外と何とかなってるな、とか。
そのままのわたしで生きているだけで思ってた以上に愛されてたな、とか。
Tagiru.には、曼荼羅塗り絵が置いてあって、あっちゃんとたまに塗り絵をしていたのですが、一つの絵を塗っていくうちに気づいたことがあって。
わたしは最初、「すべての枠に」「きちんと」「カラフルな色」を並べていたのです。隙間なく、色味が隣り合わないように。全体の色をイメージして。
けれどあっちゃんの自由さに少しずつ影響を受けていって。実は、何も塗らない白い部分とか、グレー・茶色といったダークカラーがあるほうが、完成した絵はキレイだったんですよね。そして、偶然に任せて一つずつ色を塗っていった方が、思いもしない絵が生まれてくる楽しさがあることに気づいたのです。
まるで身体をデトックスすると、一緒に思い込みも外れていくような。そして、それが深くなればなるほど、古いものとか奥にあったものがぽろぽろと取れてくるような感じがします。
そうするうちに純粋な想いから行動できたり、起きてくることにシンプルに対応できるようになっていく。変な力を入れなくても、とんとんとんってものごとが進んでいく。
内側で起きていることは、外側でも起きること。内側がちゃんと流れると、外側の流れにも敏感になって、きっともっと大きな流れの中に入っていけると思うのです。
そんなふうに思うようになっていきました。
一人ひとりみんな違って、そのままで尊い存在
Tagiru.7日目は、いよいよクリーニングデー。わたしはペーストの薬が飲めなすぎて、ドクターにスプーンで食べさせられる羽目に…。
ここまで数日をかけてデトックスのための準備をして、1日のクリーニングで毒素を排出(薬を使った強制的下痢みたいなもの)。その後はエネルギーを回復して、日常に戻していくというスケジュールです。
そして、このクリーニングデーの反応も、一人ひとりまったく違うもの。変わらず元気な人もいたのですが、わたしはお腹が痛くて、1階まで降りる体力がなくて、昼食と夕食はルームサービスに変更しました。
西洋医学(現代医療)では、「病名」に対して「処方」が決まっています。そこには一人ひとりの人間に対する個別差は加味されません。
けれど、アーユルヴェーダは一人ひとりが固有の存在であり、それぞれが持つ体質も、何かへの反応もすべて違うという前提で考えます。そもそも「同じじゃない」ことから始まっているのです。
だからこそ、ドクターが常駐して、日々のそれぞれの様子を見ながら、プログラムを調整しているということが、大きな意味を持ってくるのです。
クリーニングデーの後の面談では、わたしは水分が出過ぎて脱水症状になってしまったことで、体力がなくなっちゃったんだねという話になって。
それを受けて、日本人スタッフの明奈さんがくれた言葉が素敵で。
たしかに!と妙に納得してしまって。
「器を広げる」って、そういう意味もあったのかも? とまた一つ腑に落ちたのでした。
つづく。
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