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積読

そもそも『積読』とはなんだろう? 「読み終えたから積まれた本」ならどんなにしあわせか。『積読』とは、手に入れたもののまだ読まれていない本(の山)のことだ。

わたしは大きな本棚のそばで寝ているのだけど、かなりの数の『積読』がそこに突っ込まれている。突っ込まれているというと聞こえが悪いが、もう本を立ててしまうスペースがないので、文芸書の上の空いたスペースに文庫本を束ねて突っ込んであるわけだ。まさに積読と呼ぶにふさわしい光景。

なぜ読まないのか?

いや、その前になぜ読んでない本があるのに買うのか?

永遠の命題、のような気もするがそんな格好のいいものではない。本が好きなんだ。とにかく本が好きで、本に囲まれていると安心する。少しずつ売りに出しているものの、買ってくる量が多い。

買ってくるのは99パーセント文庫本なので場所は取らない。大きさも統一されているので山を築くのに申し分ない。そう、山。

それとは別に文芸書をふらっと買ってしまってどこにしまったものかと困ってみたり。みんな読んでいるみたいなので芥川賞、直木賞掲載雑誌を買ってみたりするのだが、雑誌というのは腰がないので収納に実に困る。売り払いたい。

結局のところ興味だけで買ってしまって一息に読むことは読むのだけども、元々、自分の領分にないものだからいつまでも部屋の中で異質なものになる。好きではない本を長いこと部屋に置くのは好まない。

ましてや、「〇〇賞取った人の作品、まさにすごい!」とツイートする相手もいないのだし。好きじゃないものは無理をして読むものではないし、好きになる本はすっと手の中に収まるのだ。

そう、そして積読の一冊へと変わる。

要するに気に入らないから積読、というわけでは必ずしもないのだ。好きな本でも読むのがしんどそうだったり、その時、波長が会わないと積読になる。

そうそう、枕元の本、積読だけじゃなく、お気に入りも何分の一か含まれている。まぁ、本棚の中なので含まれているもなにもないのだけど。村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』や桜庭一樹さんの『ファミリポートレート』、江國香織さんの『神様のボート』などなど。

積読に入っている本は恐ろしいので名前を挙げられない。怖。

最近、Amazonでブックカバーを無料ダウンロードできるようになったので、ガンガンカバーかけまくっている。特にBOOK・OFFはカバーがつかないので助かっていた。ところがここへ来て、コロナ対策という名目で書店がカバーをかけないままくれる、という異様な状況になった。心境としては電話を先に切られて「ツー」となった感じ。ブックカバーは大切。背表紙を日焼けさせるのが好きじゃないから。

しかし。カバーをかけないで放っておいた『R帝国』(中村文則著)がものすごく面白そうに見えて、いやもちろん面白そうだったから買ったんだけども、なんと読み進むに至ったのだ。……カバーがないほうが読むのでは?

まだ確証は得ていない。もしかすると、そうかもしれないという話。

それでも最近は読もうという気持ちになることが多い。なにしろ自作が書けないので読んどくか、みたいな。ちなみに乱読はするけど速読はしない。その本の世界にみっちりハマり込むのが好きだから。言葉のひとつひとつを大切にしていると、独特の表現に出会うこともある。

かたつむりのような読み方だから、いつまでも積読が減らないのだけれど。

困るのが娘たちから回ってくるラノベ。どれとは言わないけど、読んでみるとわたしの読みたいものとはちょっと違うのだ。年齢も全然上なのだから当然とも言える。やっぱりわたしはラノベの読めない女で、Twitterでラノベを何冊も読んだと書いている人を見ると、とりあえずその冊数にビビる。

まぁ、とにかくラノベはもういいのだ。二十代にたぶん、卒業したんだ。

どうやらTwitterの皆さんと読んでるものが、傾向が違うんだよなぁと思いつつ、積読とにらめっこするのである。『R帝国』の次は何を読もう。むかしなら夜通し読むところだけど明かりをつけると怒られちゃうので本はお預け(これもたくさん読めない理由の一つ)。

続きは明日読みます。なかなかエキサイティングな本。『教団X』よりずっといいと思います。お試しあれ~。

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