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おわりに 不妊治療当時の話 つらかったこと…のはずが途中は愚痴

私は不妊に悩みつつも、
1日中そのことしか考えられないとか、
落ち込んで仕事が手につかないとか、
子どものいる友達と話すのがつらいとか、
移植結果を聞いて病院で泣き崩れたことはない。

でも、もちろんまったく平常心で暮らしていたわけではない。
特に、夫が子どもを熱望していたことを知ったころは、
夫に申し訳なくてたまらなかった。

夫の両親からは、一度も子どもを催促されたことがない。
一人息子の子どもをどんなにか楽しみにしていらしただろうと思うと、
その心遣いがありがたく、同時に申し訳ない思いでいっぱいになる。

母は自分も筋腫があったことから(多発性ではない)、
「私に体質が似ちゃったから申し訳ない」などと言っていたが、
自分の体質は誰のせいでもないと思っているので(強いて言えば手を抜いた神様)、むしろ母を悲しませて申し訳ないなぁと思っていた。
丈夫なメンタルに生んでくれたことを感謝こそすれ、不満は何もない。
そして、孫のことよりなにより、いつも私のことを心配しつつ、
不妊治療に関する情報を仕入れても、私に直接言うのは気を使って、
母経由で教えてくれる父のことも安心させたかった。
幸い甥っ子たちがいるので、孫がいる楽しみはあるのだが、私の子どもを楽しみにしていた両親に孫を抱かせられなかったのも残念に思っている。

こうして書いていると、私は「わが子を抱きたい」というよりも、
夫や家族と子どもを授かる喜びを分かち合いたかったのだと思う。
自分自身の子どもへの思いが足りなかったのか、と思ったりもするが、
やはり、最初に書いた「産めないかもしれない可能性」を理解していたから、子どもを持つことにのめり込まなかったのかもと思う。

とは言うものの、実は1回占い(タロット)に行った。
「何かを生み出すカードは出ているけど、子どもじゃないかも。
何か、プロジェクトを成し遂げるのかも」とのこと。
今のところ、子どももプロジェクトも生み出していない。

そして、元来のせっかちも加わって、移植後は不妊治療ブログで知った早く反応が出るという検査薬を買い求め、本来10日後くらいから反応が出るところ、5日目くらいから使いまくっていた。線が2本(陽性)出るのを見ることは最後までなかったが、わずかにでも見えないか、角度を変えてみたり、しまいには分解して透かして見てみたりしていた。
あらやだ、かなり必死だったかも。

とにかくストレスだったのは、「子どもを持てない」ことよりも、
自分が無駄な時間を過ごしているもどかしさだった気がする。
どんな経験も無駄ではないと言うけれど、
予約したのに5,6時間待つあのシステムは何度考えても無駄だと思う。
治療を求める人が多く、先生方がキャパ以上に予約をとって、お昼を食べる時間も削って診療してくださっていることは重々承知している。
でも、あの重苦しい雰囲気の中での長時間の耐久戦が、
不妊治療をする人たちのメンタルを削っているのは間違いないと思う。
どうにかならないものですかね。

話が脱線しましたが、つらかったことの話に戻ると、
1回の診察の拘束時間の長さに加え、
卵の育ち方によって採卵日が変わることから、
採卵や移植がいつになるかわからず、食事や旅行の予定も入れられず、
先の予定が決まらないこともストレスの原因だった。

ゴールが見えていれば、なんてことなく耐えられることも、
ゴールが見えないことで、何十倍もつらく感じてしまう。

勉強も仕事も、努力すればなんらかの成果が得られる、
うまくいかない場合でも何らかの反応があるけれど、
不妊治療の場合、努力しても結果が伴うことは少ない。
何か月も何年も時間とお金をかけても残るのは“無”だ。
うちの場合、それによって絆が深まったなんて美しいこともなかった。
むしろ、治療終了後の方が、一緒に何かをする機会が増えて仲良しだ。

不妊治療が無駄だったとは思わない。
やり切ったからこそ、思い残すことなく、夫婦2人の人生を歩めている。

でも、しなくても子どもを授かれるなら、その方がいいな、と思う。


これで子宮筋腫と不妊治療の話は終わります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

皆様が穏やかに健やかに過ごせますように。


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