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ひとりの自分が寂しそうだと思ってしまった時のやるせない気持ちといったら

誰ともつながっていない、ということもないのだけれど基本的に無接続な状態でいる。それはたぶん他人から疎まれるのが嫌なので自分から積極的に人と接しないのと、私自身に旨味がないから。一緒にいると楽しいとか、いろんな知識が得られるとか、そういうものは私にはない。昔からそうだけれど私の元に来る人は傷を負って癒しを求めて、回復したら自然と離れていく。とりあえず人と付き合うのが下手すぎる。それは自覚していて、惨めだとさんざん思ってきた。久しぶりにその感情を本日味わってしまって動揺している。 

チクッと痛みが走ったあとに自身の芯の部分がぐらっと動く。眩暈。心の中が波立つ。さざ波がよせてはかえす間ずっといらいらする。怒りが前に出るそれではなくて、落ち着きをなくしてる状態。そんな風になってしまう自分が哀しい。惨めだと思う私が惨めだ。
誰とも交われなくてそれがどうして酷いありさまなのだろう。何かが肌に合わないのは誰のせいでもない。私だって好きでこうしているわけではない。ただ誰にも迷惑をかけたくはないし、私も嫌な思いをしたくないだけなのに。

もっと内に籠らねばならない。修行が足らぬのだ。いうなれば今の私は根も歯もない噂に踊らされているような状態。もっと自身の幸福を追求せねば、一心不乱に。そうそう、よく空回りする癖があるのだった。今もそんなところに違いない。

人に求められることがよいわけではない。人の喜びが私の喜びと思えることは尊いけれどすべてがそうではない。楽しようと誤魔化している間に本当の感情や何が大切かがよく分からなくなってしまう。
人を思いやることを知っていればそれでよくて、あとはとにかく無理をしないこと。無理をする時は理由が欲しい、期限付きで。無理をしたらずっと同じ調子で走れない。いつか倒れる。そうなっては元も子もないではないか。
こういう時は立ち止まってよく考える。いつだって私の好きな時にやり直せる。誰も何も言ったりしない。
私の人生なのだから。



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