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俯瞰、修飾、すばらしき世界



ワクチンの副反応として起こった、からだの痛みと発熱。熱さましをのんで解熱したあとは、泳いだあとや眠りから覚めた時のように、ちょうどよく力が抜けている。この状態は色で例えると真っ白だ。いかに普段へんな力が働いていることか、と思う。
不安、緊張、見栄、怒りなどが知らぬ間につきまとい、白地に黒い点を落とし色を変えてゆく。



言葉の伝え方によって相手の受け取り方は決まる。向こうの状態を考慮したとしても、なかなか上手くいかない。
私は言葉を飾るエネルギーを捻出できないことが多い。特に日が暮れてから眠るまではくたくたなので素っ気ない物言いしかできない。



時々物語の中で自分が何者かを見失った人が出てくる。名前を失ったから、呪いにかけられていたから、毒におかされてなど理由は様々。
現実世界ではどうだろう。もし同じだとしたら、人の意識とはものすごく脆弱なのか。
多忙、喪失などを理由に今まで保ってきたバランスが崩れ、自己を見失う。確かにあるのかもしれない。
人の意識は脆いのかもしれない。惑わされ影響され形を変える。

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心因性頻尿の原因を精神的外傷だと仮定して治癒方法について医療機関を頼れないため何の知識もない自分の頭で考える。それではいつまでたっても答えは出なかろうが良心のかけらもない医師にただ薬を飲んでおけと言われる際の精神的苦痛を想像すると私のやり方は間違っていない、そう言いたい。
「あともう少しで治りそう」を半年以上続けているが、さらに「もう少しで治るのではないか」へ自力で意識を移行させた。意識と体の状態を観察し、結果お手洗いへ行く回数を少しずつ減らしている。
「こわい」と「いや」がある時お手洗いへ行きたくなる。怖がることも嫌がることも間違ってはいないため、どうやったら自分の気持ちが納得するか答えを探している。
「ずっと嫌がり怖がり続けるだけでは、今この時間がもったいない」
この思考はわりと効果的かもしれない。ネガティブな感情のその背後でこの状況を楽しんでいれば、きっと私はお手洗いへ行きたいと思わなくなる。


Everytime , my emotional is right .
the point is the way how will be deal with each the emotional .

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