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ダンテ『神曲』読書途中の覚書 #7

正確には、『神曲 地獄篇』は読了したので、読書「途中」の覚書、ではないんですけどね。でも、まとまった書評を書く前に覚書を書いておかないと色々新鮮な感覚を忘れそうで……

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・「地獄篇」の第三十四歌まで読み進める、つまりこれにて「地獄篇」は終了
・最後の最後で大ボスが待っていた!でかい!怖い!笑
・最後の最後で罰にあっているメンツも、スタープレイヤーばかりだ!!笑
・地上からはるか離れて地下の奥深く、絶望の行き止まりのようなところから、わずかな隙間を抜けて一気に「下降の物語」から「上昇の物語」に転換する。鮮やか、これは鮮やか。
・そして、「地獄篇」最後の歌の最後の単語(描写)、ここでやはりぐっとくる。それほどの解放感。ここは原文でどう書かれ、どう読めるのか、いつか読んでみたい。
・ダンテの『神曲』が書かれたのは14世紀初頭、「中世の文学」ということになるのだろうけど、なんていうか、「現代と地続きの文学」という感じがした。ギリシャ、ローマの文学など、ダンテ以前の文学作品からはあまり感じられない感覚。

・この「絶望的な行き止まりから一気に別世界への脱出(転生あるいは帰還)」という構造や仕掛けは、現代まで続く様々なコンテンツにものすごく強い影響を与えているんじゃないかなあ。
・例えば、キューブリックの『2001年宇宙の旅』なんかもそうかも。
・近年の作品だと、クリストファー・ノーランの『インターステラー』もそれっぽい(キューブリックなどのSF映画を経由してのものかもしれないが)
・ていうか、クリストファー・ノーランの『インセプション』の世界の構造って、割とまんま『神曲 地獄篇』なんじゃないのか。
・あー、そうなると、スタニスワフ・レムやタルコフスキーといったソ連系SF、もっというとドストエフスキーといったロシア文学との世界観との比較もしてみたくなる。
・やはりイタリア文学は面白い。
・このダンテの『神曲』を、スペースオペラと見立てた小松左京はやっぱり慧眼だと思う。

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