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これを読めば誰でも鬱展開作品が書ける

緒言

無双留年ボルバルザークと申します。
容姿と挙動と言動以外、怪しいものではございません。

鬱作品・後味の悪い作品を嗜んだ結果…

突然ですが、僕は映画や漫画などの考察が大好きです。その中でも、鬱要素のある作品や、後味の悪い作品が大好きです。

初見のインパクトが強く、読んだ後には心に寄生虫を産み付けられたような気持になる作品。たとえば、世にも奇妙な物語や、『闇金ウシジマくん』『笑ゥせぇるすまん』『奇子』とか、そんな作品が大好きです。

より強い刺激や脱力感を求めた結果、鬱展開や後味がより容赦なく描写されていた、エロゲ業界にどっぷりハマってしまいました。

過激な表現が許されるコンテンツは年々減っており、気が付けばエロゲくらいしかなかった

そんな中でも、「WHITE ALBUM」「キラ☆キラ」「車輪の国、向日葵の少女」「マブラヴ オルタネイティヴ」「沙耶の唄」など比較的キツめの描写があるゲームにハマりました。

絶望的な状況でセックスすると、より一層悲壮感が増す

エロゲにはまっていた過去など、本来は吹聴するべきではないかとは思います。それでも公言するきっかけとなったのは、Youtubeの動画です。

バキバキ童貞こと、春とヒコーキのぐんぴぃさんの動画「大人向けゲームの歴史を全力解説!魂をかけた授業にバキ童感動【リップグリップ岩永】」にて以下のように述べられていました。

「どうしようもない悲しい運命や、救いようのない世界で、恋愛だけで終わるのは希望に満ちた幸せな印象を受ける」
「対して、同様の状況で言葉なくセックスをすると切なさや絶望感が如実に出る。救いようのない世界で肌を重ねることは『生きる』ということへの生々しい執着を表す。」
「セックスしないと命は生まれないし、作中の彼ら彼女らもセックスによって生きていることをより強く実感する。」

上記リンクの動画の、20分24秒以降参照

セックスをして離れないことを約束することで、悲惨な運命を飲み干すことで、絶望的な状況でのセックスは、生きる事への強い執着を表現に寄与するわけです。

ToHeartも、WHITE ALBUMも、Kanonも、CLANNADも、共通点は全てこれです。ハッピーではない、救いはない、でも生きる事を肯定したい感情がどこかにある。古のエロゲやってた頃に思ってたけど、救いがない絶望的な状況で肌を重ね性行為をするシーンほど、生きる事への執着を強く描ける描写は無いと思っています。

余談ですが、この感覚をすごく端的におしゃれに表現したのが、THE YELLOW MONKEYの「LOVE LOVE SHOW」だと思ってます。

「愛には形がないよ」とか言うけど
触れられなければ淋しいもんだよね
散らない花はないけれども
花は咲き続けるだろう

陽キャの極みみたいなTHE YELLOW MONKEYと、陰キャの極みたる泣けるエロゲがこんなところでつながる、なんか面白いと思いませんか?

鬱作品は泣ける作品と紙一重

鬱作品というよりは泣ける作品としてメジャーになったものなら、たとえば「世界の中心で愛を叫ぶ」や「恋空」は近いのではないでしょうか。
たとえ自分がこれから先の未来がすべて潰える状況になっても、残す子孫が命をつないでくれることにある種のロマンを感じられるわけです。

余談ですが、ホラー作品とギャグ作品も紙一重というのが僕の持論です。これについてのくっちゃべりは、また別の機会に。

泣けるエロゲに限らず、人間はどういう状況に強く引き込まれるのか、ここでは鬱作品によくあるパターンを考察してみました。

鬱展開ってざっくり分けると2パターンしかない

エロゲやエロ漫画に使えそうな展開という縛りを付けて、一例となるストーリーをそれぞれ挙げてみました。

いわゆるMECEには敢えてしていません。重複する事で面白さやハマり度を高めている作品も多く、漏れなくダブりなくではナンセンスになるためです。他にもパターン自体はありますが、この何方かが殆どだと思います。

・真っ暗な時間が続く型

実家が町工場を経営している家に生まれた女性Aは、工場に勤める同年代の男性Bに惹かれている。
しかし、不景気が町工場を襲った。潰れそうな町工場の借金を肩代わりしてしてくれる資産家が現れた。資金提供の条件は資産家の息子(ドラクエ8のチャゴスみたいな感じ)に嫁ぐこと。
女性Aは最後に思い出として、男性Bに抱かれるため寝室に押しかけ…。

家族や恋人など大切な存在のために、不正義な行為や墓場まで持っていくしかない秘密を抱えるのが最大の特徴です。
似た例では、企業の不正隠蔽に起因する作品、戦時中の行動をきっかけに終戦後に辛い目に遭う作品なども、ここに該当すると考えています。

・人生の残り時間そのものが短い型

ある児童養護施設では、臓器を提供するためのクローンとして生まれてきた子供たちが暮らしている。彼ら彼女らは、15歳の誕生日になると、この国の人間に臓器を提供するために殺処分される。
あるクローン体Aが施設を脱走した。この国では、臓器提供用クローンの脱走は発見され次第連れ戻される。クローン体Aの脱走の件も、警察にすぐ手配書が共有された。
首都のから少し外れたドヤ街では、肉体労働や性産業が主な産業になっている。その一部には身分を隠してクローン体が隠れて暮らす地域が存在する。クローン体であることがいつバレるか、いつ殺されるか分からない状況で、肉欲のまま肌を重ねる時間は何物にも代えがたい。

ハイリスクな職業や、余命宣告されうる病気などで、いつまで生きられるか分からない抱えるのが最大の特徴です。
ある意味特殊な状況であるためか、作品としてもパターンが多くないという特徴があります。
1つ目は、現実世界とは常識が大きく異なるフィクションの世界観を用意して死を身近にするパターンです。「バトルロワイヤル」や「約束のネバーランド」など、国家権力や上層階級により生殺与奪を握られている状況が分かりやすい例でしょう。
2つ目は、誰もが知る犠牲者が多い実際の戦争や事件などをモデルにして、登場人物が命を落とす運命を観客にのみ公知の状況にするか、この2つに1つです。

元ネタは実在する生物の交尾や産卵をモチーフに作る

前述のバキバキ童貞さんの動画に深く共感した理由は下記になります。
私が子供の頃の自分語りになってしまいますが、TBS系列で放送されていた「どうぶつ奇想天外」という番組が大好きでした。番組内容は動物の生態をVTRで紹介し、VTR終了後にレギュラー陣などが感想を少々くっちゃべるという内容でした。

そのVTRでは、視聴者を泣かせるために出産や子育てなどを取り上げる内容が多かったのです。命がけで交尾や産卵、出産、子育てをする、ときには孵化するまで子育てした後にすぐ死んでしまう生命体の映像は感動が伝わりやすいです。
この時の経験から、動物の生態をモチーフにすると面白い創作物に繋がりやすいという着想が生まれました。

例を挙げると、鮭やマスなどは川を遡上して産卵することで知られています。餌も殆ど食べず、筋肉や内臓に貯蔵した脂肪分などの栄養を使い果たしてしまうため、産卵を終えたマス類の死骸は野生の熊でも食べないらしいです。

こういった動物の交尾や育児などの生態からヒントを得て、創作の糧にするのは非常におすすめです。話の中心にしたいテーマがブレにくいから訴えたい事が明確にできるし、生物として成立している生き方であることから矛盾や非合理が生まれにくいです。
交尾や産卵などは生物の研究テーマとしても王道でネットや本などで調べやすいですし、タイトルや伏線描写に小道具的に登場させるなどでき使いやすいという利点もあります。

結言 本当に面白い作品が見れる環境はどんどん減っていく事が予想される

面白いものを作ると人が集まる、人が集まるとだんだん面白くなくなる

まず今回挙げたのは、僕なりに築き上げてきた自論を、便所の落書きとして書いたほんの一部です。それでも刺さる人に刺されば幸いです。

さて、ここで同時に言いたいのは「日の目を浴びる業界は表現の規制が付きまとう」「アングラな業界で隠れ家的に発表する方が好きに創作できる」ということです。

たとえば地上波のドラマでは、年々エロやグロという表現手法が年々厳しくなっていく、表現のノウハウを取り上げられてしまっています。

仮に日の目を浴びる業界で名のある作家になっても、思う事をふんだんに書けるフィールドが減ってしまっている。これは完全に自分の憶測ですが、エロゲはアングラでマイナーだからこそ、表現の規制から逃れられた場所だったのではないでしょうか。

1つ生態系の話をしましょう。森林では階層構造と呼ばれる、背の高い木と、背の低い木が、それぞれ異なる生存戦略を取っており、生態系ピラミッドにように相互関係が構築されていることが知られています。

 Wikipedia「階層構造 (植生)」より引用

これと全く同じ事が創作物にも起きていたのではないでしょうか。日の目を浴びる大衆映画やテレビ作品ではできない過激な表現をできたのは、同人誌やエロゲなどオタク文化が担っていた。そのオタク文化に人が集まり、儲かる産業に成長する過程で、本来の魅力であった表現の幅や多様性が失われていくと、そう考えてしまいます。

オタク文化が日の目を浴びることは否定するつもりはありません。しかし、日の目を浴びることによって、良識ある範疇での表現を望む風潮が叫ばれつつあります。

カード会社の圧力も大きいです。実際、アダルト動画を閲覧できるプラットフォームでの支払いで、カード会社が過激な表現に難色を示して企業に表現規制のガイドラインを用意させた例もあります。

現実的にあり得そうなのは、日本国内だけで成立するようなガラパゴスなキャッシュレス事業を行う企業が、市場の狭さをカバーするためにVISAやMastercardなどよりも高い手数料をとってネット配信の販売を請け負う状況です。

面白い創作物は妖精のような存在

マイナーな文化に人が集まり、儲かる産業に成長する過程で、本来の魅力であった表現の幅や多様性が失われていく。また新しいマイナーな文化が生み出されていく。技術革新により、この流れがどんどん加速していくように思います。

これは完全に私見ですが、俳優や芸人やミュージシャンなど俗物的なアーティストから、インテリの皮をかぶれる文化人と呼ばれる存在に舵を切る手段の一つとして、ある時代まで映画で1発当てるのが手段の1つだったと感じています。芸能人がいきなり映画を作る現象、よくあったけど最近は聞かなくなりました。

つまり、人が集まっているor流行っている環境で、自分が表現したい事ではなく、自分が注目されるための作品が蔓延る。そういう空気感が蔓延してくると、面白い作品がどんどん減っていくのではないでしょうか。

僕にとって、本当に面白い作品は、妖精のような存在だと思っています。
誰も足を踏み入れたことがないような大自然に、綺麗な心で足を踏み入れた時に、人間は妖精と遭遇できる。
妖精と出会う事を目的にした旅路ではなく、そこに自然があるから足を踏み入れるような純粋さを持ち合わせていないと、妖精には出会えない。
まして、「ここに妖精が出るらしい」と噂が立ち、人がごった返し、挙句の果てに自然を切り開くような開発までされてしまえば、妖精はそこにはもう生息していない事でしょう。

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