最近、けっこう本気で考えていること(僕の価値観、考え方、構想)
どうも、musoraです。
ここ最近、全ての仕事をストップして、ダラダラ過ごしてます。
自分の内面と向き合って過ごしてきて
やっぱり損得ではなく、自分の内から湧き上がるやってみたいことがあります。
これは、今に始まったことではなくて、自己紹介の記事にも書いた
個人的ないろんな経験の結果として、人生の本質的なことが詰まっているんじゃないかと考えている構想です
▼自己紹介の記事(なんか、適当に書いたんですけどスキが毎日増加して、ちょこっと嬉しいです笑)
父親の病気、大学時代の詐欺被害、うつ病経験、独立後の借金貧乏時代、快楽に明け暮れた日々、結婚、などなど。
自分なりに20代は色々経験できて本当に良かったなぁ〜と思ってます。
まぁ、世界にはもっと大変で、いろんな人たちもいるんでしょうけれど、僕の人生は僕が主人公で、人間そんなもんですからね。
で、僕が思っていること、価値観、考え方、など改めてまとめるいい機会だとも思っていますし
つらつらと真面目な話も交えつつ、書いていこうと思っています
■やってみたいのは「ポツンとダッシュ村」
テレビ番組で、「ポツンと一軒家」と「鉄腕DASH」という番組がありましたね
それの掛け合わせみたいなやつですね
自給自足に近い、不便で、自力に根ざした暮らしに近づける、というのがコンセプトです
ポイントは大きく分けて3つ。
①生活レベルの基準を、極限まで低く維持する
②貨幣、他人、世の中、に依存しない暮らしの割合をできる限り多くする
③自然の一部として、溶け込んで生きる(人間中心というフィルターからの脱却)
ド田舎のできる限り小さな古民家的な家で、湧水を引っ張り、果樹・野菜を育て、ニワトリを飼い、卵を取り、日々の暮らしを習慣として生きる、という状態です。
まぁ、そんなに肩に力を入れてやるのではなく、普通に生きるってイメージですね
その中でも洗濯や調理、お風呂やトイレなどは現代文明に頼ろうと思っています
これは全て、ずっと自分の個人的なオタクでもある、穏やかに心豊かに暮らすための究極だと思っています。
不安、不満をできる限り小さくし、喜び、幸せをできる限りコスパ良く感じ続けるための日々の努力の方向性を、上記の暮らしに集中させることができれば、豊かな感性を最大化できるのでは、と思っています。
詳細なイメージはまた追々書かせてもらうとして、考え方を少し詳しく。
①生活レベルの基準を、極限まで低く維持する
人間、生活レベルを上げるためにお仕事頑張っている人も多いと思いますが、僕自身は「幸せに感じる日々」にするために、生活レベルを上げないことを結構意識してます。
毎日、3万円の高級お寿司を食べるより、100円寿司を「最高にうめぇ〜」と思える人生の方が、心は豊かで幸せが多いと思うからです。
「幸せ」と感じるのは、絶対的な基準があるわけではなくて、あくまでも自分の中での「相対的」なところにあると思っています。
つまり、お腹がいっぱいな時に食べる100円寿司、お腹がペッコペコの時に食べる100円寿司、どっちが美味いか、って話ですね〜!
だったら、お腹ペッコペコにしたほうがいい。(あ、ちなみに僕は1日1食です)
ですし、僕の好きな言葉が「舌を肥やすな、メシが不味くなるぞ」という言葉です。結構思慮深い言葉です。
不自由の中に、自由がある、みたいな感じですかね。
普段の基準を下げておくから、なんでも美味しく感じる、っていう意味合いで幸せ基準を徹底的に低く維持する努力をするってことですね。
②貨幣、他人、世の中、に依存しない暮らしの割合をできる限り多くする
なんとなく心の中にある不安感。これも①に近い部分があるのですが
人間は安心、という感情は
「先太り」の人生が見えている時に安心感じて
「先細り」になる人生には不安を感じます。
時と共に、良くなるか、悪くなるか、を直感的に感じ取っているわけですね。
これも、いくら貯金があったら、いくら年収があったら、どんな可愛い女の子と結婚したら、何人抱けたら、どれだけ美味いもの食いまくったら、みたいな絶対的な基準はありません。
あくまでに「今」「今日」「今年」という、今の自分の生活レベルが基準になります。
だから、一気に良くなる人生よりも、ちょっとずつ長〜く時間をかけて良くなって生き続ける人生の方が、不安感は少ないですね。
つまり、時と共に、人間生きている間に成長し続けていくもの。
お金は使えば無くなる、人は裏切ったり、死んだりもする。経済や技術はものすごいスピードで変化するし。もうついていくのも大変です。
自分の知恵、経験は先太りですね。(死ぬ間際は一気に衰退しますけども笑)
生きる、にまつわる、食う、飲む、寝る、を自分で完結できるようにすることが、「何か無くなったらどうしよう」という不安を小さくすることだと思っています
・お金がなくなったらどうしよう
・奥さんが死んじゃったらどうしよう
・経済がもっと不景気になったらどうしよう
など、関係ありません。淡々と粛々と生きるのみですね。
③自然の一部として、溶け込んで生きる(人間中心というフィルターからの脱却)
仏教では求不得苦(ぐふとくく)という生きる苦しみの1つがあります。
「得たい、と思ったものが得られない苦しみ」ですね。みんなあるんでしょうね、僕も含めて。(僕はガンガンにあります笑)
・食べたいけど食べられない
・欲しい物がお金がなくて買えない
・付き合いたい子に振られる
・セックスしたいのに、できない
・ダラダラしたいのに、仕事に行かないといけない
などですね。で、そもそもその欲望は「自分の内から湧き上がってくるのか」「誰かに湧かされているのか」があると思います。
僕は自分自身や、ほとんどの人たちは「誰かに湧かされた欲望」に生きていると思います。
無意識に、ですけど。
TV番組、CM、家族、友達、会社の人、などなど。
根本的に、僕は世の中の90%のサービスが無くなっても、生きるには問題ないと思っています。だって、人類はもともと何もない世界を生きてきたんだから。
でも、もっと稼ぎたい、もっと経済成長させるんだ、みたいな欲の塊の人間たちが、不要なものを作って、もっと儲けるというゲームをしているだけですね。
「あったらいいな」を求めて、「もっと便利」を求めて、経済の奴隷になっていることに気づいていない、本当に資本主義に洗脳されっぱなしな感じですね。まぁ、それがいいか、悪いか、はなくて、僕は嫌だな〜って思うので、脱出したいって感じですね。
自然の中で、1つの生物として、気候や他の動物、色々思い通りにいかない中で、生き抜く知恵を出して、自然中心の中で生きていく。
「人間の思い通りになる」なんて思っているから苦しい。そういう領域から抜けられるのか、っていうのを自分で実験してみたい。
外の世界を変えるのではなく、外の世界を受け入れる。自分の役割や、できる範囲を見極める知恵を身につける。
生きる、という刹那を我欲ではなく、循環の一部として捉える。
そんな生き方ができれば、また違う世界を感じることができるんだろうな〜、なんて思っています。(ちなみに養老孟司さんの考え方がわりかし好き)
■僕が敬愛する考え方の人物
・ホセ・ムヒカ
・ガンジー
・樹木希林
・養老孟司
・ブッダ
まぁ、どんな生き方をするか、自分で選択肢がある世の中に生まれただけ、本当に幸せなんでしょうね。豊かな日本に生まれたのが、幸せか、不幸か、どうなんでしょうね。
貧しい国で生まれ育った人は、日本で生活することは本当に天国みたいで幸せに感じられるんでしょうに。
まぁ、人の人生のこと考えてもいい事ないんで、僕自身は、僕の人生の中の時間の旅をぼちぼち楽しんでいく方向性です
取り止めがなくて、申し訳ないです笑
自分の中にある構想のほんの触りの部分だけですが、結構な文章量になっちゃいました。
じつは結構イメージはもっともっと具体化していて、色々な自分的な価値観、考え方が詰まっている構想なので、
時々思い立った時に、もっと詳細な内容を覚書としてもつらつら書いていこうと思います。
最後まで読んでもらってありがとうございます。
今回はここまで。
また別のnoteでお会いしましょう。