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サヨナラは悲しい言葉じゃない

この言葉を初めて聴いたのは、小学校5年生の夏休み。幼馴染のお姉ちゃんがコンクールで歌っていた。

当時既にいきものがかりのファンだったけれど、この歌詞の意味はまだわからなかった。「だってバイバイするのは寂しいから悲しいじゃん?」って不思議に思ってた。

このことについて、私の応援してる人が書いたnoteを読んで改めて考えてみた。
読んだことない方はぜひ読んでからこの下の文章を読んでほしい。







読んだ?じゃあ始めるね。




私は「出会いと別れについて」のところが特に感じることがあった。


これ、出会いはちょっと時間が経たないと出会いが良いものだったかわからないのに、別れは別れが来るのがわかった瞬間から辛いのがしんどいなって思う。

わかりみが深い。わかりみオブザイヤー。

別れが悲しいのって、別れが決まった瞬間から別れの時まで全力で楽しんでいても頭の片隅に別れのことがあるからだと思う。その意味で別れが来るのがわかった瞬間から辛いんだよなぁ。


だからといって、予期せぬ別れがいい訳でもない。

私の場合、予期せぬ別れが一番辛いなって思う。例えば同じ死別でも、おばあちゃんの場合は私が小さいころに既にガンの診断を受けていて入退院を繰り返していたから「来たるべきときが来たな」という感じで受け入れられた。でも友達の事故死は5年以上引きずっていた。もちろん普通に生活してるし周りに心配かけたくなかったので何でもないように振る舞っていたけれど、ニュースで交通事故の話をされるだけでしんどかったし、1か月くらいは気付いたら泣いていることがよくあった。


あれ?別れってどうであってもしんどくない?
逆にしんどくない別れってどうなん?それはもはや別れとして意識することすらない気がする。




私がこんなことを考えているあいだに、彼はこんな結論を導きだしている。

読んでる人は多分25歳の僕よりも歳下の人がほとんどで、別れに対してめちゃめちゃネガティブな意見を持ってる人ばかりだと思うんだけど、なんやかんや別れありきで人間って勝手に幸せな方に向かうんだと思う。

確かに。
別れありきで幸せな方に向かっていくって確かにそうだと思う。

永遠の別れでなくても卒業や転校というかたちで別れはやってくる。「いつも一緒」では気付けなかった相手の良さや好きなところに気付けるし、たまに会えることを糧に毎日を頑張れたりする。

ちなみに私が大学が遠距離通学にも関わらず実家から通ってるのは、家事やってもらえるとかお金が浮くとかもあるけど、たまに中学や高校の友達に会えるからというのもある。たまに駅とかで会えて嬉しいのって、今同じ時間を共有できていないからだと思う。学校帰りに友達と一緒に帰るのもそれはそれで楽しいけど、そういう友達に駅で会えた嬉しさってそんなにない。普段会えないからこそ感じられる嬉しさってあると思う。


そういえば私がいきものがかりを好きな理由の一つに別れを歌うことが多いということもあった。少し例を挙げると、今回タイトルにしたYELL、茜色の約束、春、ラストシーン、あなた、生きる、さよなら青春、ノスタルジア、LIFE、、、などなど。一見マイナスに捉えられがちな、でも誰にでも必ず訪れる「別れ」から逃げないで歌ってくれているところ。そんなところが好き。
これはまた別の機会にでも書こうかな。



それでも寂しいものは寂しい。直近の別れとしては、大学の学科の居心地が良すぎて離れたくないなぁって思ってる。卒業できないのは嫌だけどね。


あと3年でこんな大人な考えが出来るようになるのかな。3つも違うのか、3つしか違わないのかわからないけど、こんな考え方ができるたなっちを尊敬しています。




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