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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 7


第一楽章 シューマンのお話

6.ライプチヒのシューマン、パリのクララ

 シューマンがヴィーク家に来てもうすぐ一年が経とうとする1932年秋。

 ヴィーク先生とクララは、ドイツ各地を巡った後、芸術の都・パリに乗り込むと言う大がかりな演奏旅行を計画しました。あいにく、その頃ドイツでは恐ろしい病気であるコレラが大流行中で、父娘の旅の予定も大幅に狂ってしまいましたが、何とか9月末に出発できることになりました。

 シューマンも、コレラにおびえて心細い思いでしたが、先生がお留守なのにいつまでもヴィーク家にいるわけにはいきません。二人を見送ってから一人暮らしをすることになっていました。

「君の成功を祈っているよ、クララ。くれぐれも気を付けて」
「ありがとう、ヘル・シューマン。この家を出ても弟たちのことをよろしくね」「ぼくの部屋はこの近くだからたびたび見に来るよ。先生が居ない分、ぼくも君に負けないようにしっかり練習しなければ」
「私も頑張ってくるわ。行ってきます!」

 こうして旅立った父娘はまずワイマールに向かい、そこで大作家のゲーテと知り合うことができました。クララの演奏を聞いたゲーテは、
「この少女には男子6人分の力がある」と驚いて、
自分の肖像画を彫ったメダルをプレゼントしてくださいました。

「ゲーテが認めた天才少女、クララ・ヴィーク」は一躍有名になり、宮廷に招かれて演奏するなど、幸先の良いスタートです。クララの演奏は行く街行く街で評判になり、クララ・ヴィークの名前を世に広めながら父娘の挑戦の旅は続きます。

クララ・ヴィーク

 しかし、知らない街を渡り歩いての毎日は決して楽なものではありません。ボロボロのピアノで弾かなくてはならないこともあるし、冷たい目で見られることもあります。ピアノでは大人顔負けのクララですが、まだまだ子ども。
次第にホームシックにかかって寂しいクリスマスと新年を迎えているところに、ヘル・シューマンからユーモアたっぷりの手紙が届きました。

「・・・・信愛なるクララ。ぼくはたびたびあなたの事を思っています。・・・あなたのお留守に、ぼくはあなたが気に入るようなおとぎ話を仕入れにアラビアまで行ってきました。人間の分身の話を6つ、100と1のなぞなぞ。8つの面白い判じ物。その上に面白くて恐ろしい強盗の話、そしてあの白い幽霊!うおー!ぼくはふるえているのです・・・・・
 あなたは作曲をしましたか?どんな曲ができましたか?・・・
 ぼくは変ロ長調のソナタと「蝶々」の組曲を作りました。
「蝶々」は2週間のうちに印刷になります。・・・
 紙がいっばいになりましたから、友情をのぞいてこれで終わりにいたします。

    常にCクララ.Wヴィーク嬢の熱心な賛美者なる   R.シューマン」

「まあ、ヘル・シューマンは相変わらずね」
 シューマンの手紙は、いつもクララを笑顔にしてくれます。
 手紙には弟たちの様子も書いてあり、心細い思いでいたクララの心を大いに慰めてくれました。元気を取り戻したクララの旅はさらに続きます。

 そして2月、父娘はついにあこがれのパリに到着しました。
しかし、前の年の7月にまた革命が起きたばかりのパリは混乱していて、想像以上に騒々しく、危険を感じる事も度々ありました。
 しかし、そこは芸術の都。そんな時期にもかかわらず、半年前にはあのショパンがポーランドからパリに辿り着いていましたし、ライプチヒからはメンデルスゾーン、ハンガリーからはリストがやって来ていていました。何と豪華なメンバーでしょう!
 何かに導かれるようにパリに集った若く才能あふれる天才たちは、すぐに仲良くなり、パリの街を我が物顔で歩くようになります。天才同志音楽の話題は尽きることが無く、お互いに刺激を与えあう仲間が居ることは彼らにとっても素晴らしいことでした。
 そして、そんな天才達の間にも、クララのピアノの素晴らしさは広まっていました。

「ああ、君が噂の天才少女クララ・ヴィーク嬢か。
ぼくたちはよく君や君のピアノの話をしていたんだ」
「まあ、嬉しい。皆さんにお目にかかれて光栄ですわ」
「こちらこそ。パリはお気に召しましたか?マドモワゼル」
 クララはすぐに若き天才たちの仲間に入れてもらえました。

 もちろん若い音楽家だけでなく、パリではすでに巨匠としてカルクブレンナー、マイヤーベイヤー、そしてパガニーニたちが活躍して、音楽界もライプチヒとは比べものにならないほど華やかです。
 そして、その巨匠たちもまたこぞってクララの才能を認め、褒めて下さったのです。ヴィーク先生は、クララが世界的なピアニストとして活躍できるようになるという確かな手ごだてを感じていました。

 一方、ライプチヒに居るシューマンは、そんなクララの活躍ぶりを新聞などで読むたび、誇らしく思いながらも、心のなかは複雑でした。

 と言うのも、先生の留守中、シューマンは言いつけどおり作曲家のドルン先生に音楽理論や作曲を習いましたが、古い考えの先生とはぶつかってばかり。結局、ドルン先生から「もう君には教えられない」と断られてしまったのです。

 実は、のちの大作曲家リヒャルト・ヴァーグナーも同じドルン先生に習っていましたが、シューマンと同じように反抗的で、大変扱いにくい生徒でした。ドルン先生には理解できないような新しい音楽の流れが、すでに始まっていたのです。

 しかし、それよりもシューマンの心を悩ませていたのは、ピアニストとして命ともいえる「手」が動かなくなってきたことでした。彼は、先生の留守中にピアニストとしての遅れを取り戻そうと猛練習しただけでなく、弱い指を鍛え、手をしっかりさせるために特別な器械を使って訓練をして、逆に手を痛めてしまったのです。ヴィーク先生には、そういう器械は絶対使ってはいけないと注意されていたというのに・・・。

 理由は何であれ、手が動かないのではピアニストにはなれません。シューマンはわらにもすがる気持ちで、ありとあらゆるお薬や治療法をためしました。動物の内臓に手を浸したこともありましたが、何をやってもよくならず、お医者さんもお手上げです。

 シューマンは夢を失い、再び絶望と悲しみで目の前が真っ暗になっていました。
「お母さんやヴィーク先生に何て言おう・・・。」
 考えれば考えるほど、シューマンの心は混乱して、自分で自分の心がコントロールできないほどになってしまいました。

 シューマンが悩み苦しみ続けているうちに再び春がめぐり、パリからクララが帰ってくるという知らせが入りました。

 実は、ようやくクララの名前がパリでも知られるようになり、いよいよ本格的にデビューしようした矢先、あの恐ろしいコレラが国境を越えてパリに広がってきたのです。クララの才能を認めて下さった方のおかげで何とか音楽会を開く事ができましたが、パリ全体がコレラにおびえて音楽会どころではありません。クララたちも逃げるようにしてパリを後にし、7か月ぶりに懐かしいライプチヒに戻ることにしました。

「お帰り、クララ。すっかり背がのびたね。そしてきれいになった」
 5月のそよ風に乗って帰ってきたクララを、弟たちとお母さん、そしてヘル・シューマンが優しく迎えてくれました。クララが夢中になって話す沢山のお土産話のお返しに、シューマンはできたばかりのピアノ曲「蝶々」(作品2)を差し出しました。

「これがお手紙にあった曲ね。まあ、素敵な曲。あの「生意気盛り」を曲にするなんて素晴らしいわ。お話の情景が目に浮かぶようだわ」

 クララはさっそく「蝶々」を練習しはじめました。旅の間にクララのピアノの腕はぐんと上がり、一か月もたたないうちに、「蝶々」をシューマンが望むように弾きこなしていました。

 旅から帰って間もない7月、クララは久しぶりにゲヴァントハウスの音楽会に出演し、楽譜を見ない「暗譜」でピアノを弾いて人々を驚かせました。
 今の音楽会では当たり前の事ですが、当時はとても珍しかったのです。
わずか12歳にして有望なピアニストとして人々の関心を集めるようになったクララ。ヴィーク先生も、クララを超一流の、ヨーロッパで一番のピアニストに育てることに夢中で、自分の不注意で手を痛めたシューマンのことなど、関心がないようです。

 そして、残念なことにシューマンの手は一向に治る気配を見せず、ピアニストになる夢は遠ざかる一方でした。




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