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ー女性能楽師の軌跡と今ー  シテ方観世流能楽師 梅若能楽学院 教授 富田雅子師インタビュー <後編>

能の表現

―能楽の作品というのは非常に文学性に富んでいますが、演じる上でどのように取り組まれているのでしょうか。

富田先生:
現在の能は、1曲1曲が皆永い時間というフィルターに掛けられた素晴らしいものです。
題材となったテーマは人間性全てを網羅されていると思われる程です。
他の演劇に比べて言葉の数は少ないんですけど、その言葉が重層に扱われて、人間の心理が濃密に籠められてるということを常に感じます。
読み物としても謡は完成されており十分に魅力的です。
 
だからこそ演じる場合、自分が表したいというイメージがないと通り一遍の言葉の羅列になってしまう。そこに演じる生身の気持ちを加える。それで“その人の能”として成り立つのではと思っています。ですが生の感情が出すぎると能への昇華の妨げになる、魅力がなくなってしまう。その兼ね合いがお能としての難しさかと。

言葉を並べ、節をつけて“これがお能です”とか、“謡”ですとか一応は成り立つんですけれど、なんかそれだけでは物足らない。

初歩の段階では声を出すこと、運び(ハコビ・仕舞での歩く型)の訓練しかありません。どうにか自分の声や身体をコントロールできるようになると、次はその曲の気持ちを加える。その作業がないと型どおりの通り一遍のものになってしまう、ということが分かる様になってきます。

いわゆるお能を構成する素材をそのまま並べるだけでなく、その中でいかに心を動かし感情を豊かに働かせたうえで、本当の自分のお能になるということでしょうか。

―そこが、言葉が明瞭なだけではなく、思いや感情が加わることによって、表情が出てくるということになるんでしょうか?

富田先生:はい、そうであってほしいと思うんですよね。

富田先生「江口

声をイメージしていく

富田先生:
よく言う言葉ですが、まず大きな木を育てる、そういうイメージで大きな声を作る。
次に声の密度を高くして小さくても遠くに明確に届く声をと目指しております。
大きな素材を削っていって、その中に例えば彫刻ならその中にいらっしゃる仏さまを彫り出す。そういう作業じゃないかなと思うんですね。

―声をイメージしていくということですね。面白いですね。西洋のそのいわゆる発声とはやはり全然違いますよね。

富田先生:違うとおもいます。

―日本の発声法というのは特に決まったメソッドなどはないと思うのですが、先生がおっしゃったそのイメージといいますか、そういったものがおのずとその能楽の中で謡の表現に繋がっていくのでしょうか。

富田先生:
はい、そうであってほしいと思います。
上手く言えませんが、心持ちのない人が技巧だけに囚われると、胸に届かないものになってしまう。テクニックも大事ですが、基礎を積み上げた上で。心があっての言葉だと思うんですね。

富田先生「当麻

演劇の気持ち

―やはりその作品の理解力とかも必要になってくるんですね。

富田先生:
はい、とても大事です。及ばない乍も理解しようと曲に対面するのは楽しいですよ、1曲1曲テーマがみんな違いますでしょ。
曲中の人に寄り添って自分がどのように感じ、どう動くか。

作品や演目ごとに登場人物の心の機微と言いますか、それぞれが時代、時間の流れや空間を超えているというのが非常に面白いと思います。
 
例えば、“ワキ(注6)が朝早く旅に出ました⇨どこどこに行きました⇨そこで誰々に会いました⇨時間の経過で夜になりました⇨僧は寝ます⇨夢の中にさっきの方が現れて…”

これらは謡本の中に、細かに設定されております。
その設定の中で自分のおかれている場面や状況。
非常に多岐にわたりますが、その時代の現在の人物なのか、僧の夢の中の亡霊なのか。花木の精なのか、悲劇の主人公なのか、神仏の化身なのか、宇宙観を表す人物なのか、空間的には大きな広がりの中だったり、一点を凝縮させるような存在だったり~。

そういう設定された中で改めて自分なりにイメージを膨らませる。これもある意味でやりすぎてはいけないですが。
又そんな役を演じる自身を客観的に観る自分を設定する。

それを昔より、『離見の見(りけんのけん)』(注7)と言われますけど、なり切ってしまうと独りよがりとなり、押し付けがましくなるし。
そこを少し控えて俯瞰的に自分を冷静に見る目を持つ。そこまでちゃんとコントロールできればいいのですが、今は少しでも近づけられるようその言葉を心の隅に置いております。

富田先生「天鼓
富田先生「天鼓

プロの女性能楽師で初めての「卒塔婆小町」演能

―梅若能楽学院が60周年ということだそうですが、この記念の年、秋口に先生が「卒塔婆小町」(注8)を演じるにあたって思うことはございますでしょうか。


富田先生:
お陰様で「卒塔婆小町」をお許し頂きまして。梅若の女性のプロの能楽師では初めてとなりますようで。

―そうなんですか!

富田先生:
そういう意味では責任が大きく重圧を感じております。私にこの曲を舞うようにと、実先生(四代 梅若実/五十六世 梅若六郎)よりお薦めのお話がありました。
先生のお考えでは梅若能楽学院卒業生で初めてプロになった人間だし、現在の女性では一番の年配者。そろそろさせてもいいのでは、と思われたのではないかと思うんです。とても名誉な事で有り難い事と感謝致しております。また大きなプレッシャーでもあります。

―それだけやはり重いといいますか…。

富田先生:
重いですね。お能には色々の段階があります。
難易度に応じてお披き(おひらき)(注9)をすると言う曲目があります。代表的なものとして「猩々乱」「石橋」「道成寺」「」。
その他「」「安宅」など色々かありますけれど、次に重いものが「鸚鵡小町」「卒塔婆小町」などの“小町もの”のお披きとなります。

その上は“三老女”といわれるものです。

「卒塔婆小町」を披くお話を頂きましたのは、新型コロナ禍の始まる少し前、2年ちょっと前でしたでしょう。
わたしも今年で丁度80歳になりますので、人生の締めくくりに出来ましたらとの思いでお受けいたしました。

―先生はもっとお若く見えます!!

富田先生:
ありがとうございます。
私は30歳で梅若能楽学院に入学し梅若の門をくぐりました。
60歳のときに「道成寺」をさせていただき、今回は80歳ということで、大きな節目かなと感じております。
お陰様で体力的にはギリギリかと。あとは気力と記憶力がどうかと少々不安ではありますが、お薦めいただいた事を有り難くお受けし、頑張ってさせていただくしかないと自分を追い込んでおります。

―「卒塔婆小町」もやはりその演じる方によって表情は違いますよね。

富田先生:
ええ、色々拝見しておりますがそう思いますね。
男の方が若いときになさる場合もあるし、ある程度年配になられての方もいらっしゃいます。劇的な演じかた、老残のイメージの強い演じ方等々。
女の方でもどうでしょうかね。
良くは存じませんが、他のお家の方の例では主には60代とか70代の方がなさってるんじゃないかなと思うんですけど。

今の私は年相応でしょうか、この頃は歩いたり階段上がったりすると息切れを感じる時があります。あぁ、これなんだなぁ、と老いを実感するこの頃です。
まず小町が幕より杖をついて…都からあこがれ出てきて途中で立ち止まり杖にすがって一息、また歩み出て、朽ちた塔婆のところで一服する。
疲れたなぁという思い、よくわかります。
ですから”老い“については体感でいけるかな、と思います。

―先生は「卒塔婆小町」という題材はどのように捉えてらっしゃいますか?

富田先生:
小町が過去の華やかで驕慢な世界を体の奥底に抱えて、現実は老残の身を晒す。その落差は自分には想像も出来ませんが、現実の自分にも細やかなおごりや、生命の衰えへの寂しさや虚しさは日々感じます。 
才気、学問ある非凡の小町。常軌を逸するかの如くにふるまう小町の心の動きに、少しでも凡人の自分を近づけられたらと思うのです。

それと深草少将に取り憑かれた状況ですが、この言葉は小町の言葉なのか少将の言葉なのか、どちらの気持ちかとちょっと理解に苦しむ部分もありますが、間違っているかも知れませんが、乗り移り、乗り移られた状況の人物二人の二重構造なのかなって、そんな気がしますね。

―すごく面白いですね。想像するとどういう人生を積み重ねてきたらそうなるのかしら。

富田先生:
本当に面白いですよね。
単細胞の自分にはない世界を創造する楽しみ。ああなのか、こうではないか迷いながらも、毎回お稽古をしていても新鮮に感じられて飽きないです。
だから出来不出来はともかく、苦しみながらも楽しませて頂きます。

―先生は、何か身体のトレーニングなどなさっていらっしゃるんでしょうか?

富田先生:
早朝の日課である公園散歩とラジオ体操の他に、週二回ほど体力維持にと筋トレに通っています。
あとは自転車で日々の買い物に出かけます。今はそれぐらいです。

―身体の動きも制御するのは大変だと思うのですが。

富田先生:
今回のお役は小町の老女ですが、深草の少将が憑依するという劇的なものです。老いの嘆き、誇り、狂いと変化の激しい曲
自身では解りませんでしたが、冷静に勤めようとしてもが夢中になりますとゆとりもなく、思い込みも強く声や動きが生になる。

現実には経験出来ないとても魅力的な内容で、先生にご指摘頂きました、あくまでも生(ナマ)の自分が出てしまわないよう謡も動きも制御することが今の最大の課題です。
いかに能的に自然に見え、お客様の心に素直にお伝え出来るか模索の段階です。

これからの能楽について思うこと

―先生、これからの能楽について思われることはありますか。

富田先生:
今は能に限らず日本の伝統芸能の置かれている状況は厳しいと感じております。
戦後多くの家の形が核家族に変わり、家としての縦の繋がり、最小単位の伝統が希薄になったようにおもわれます。
日本人の心の在り方、旧いと言われるかも知れませんがそんな無形の何かが繋がり難くなってしまったような、そんな危機感を感じるんです。

昭和40年頃までは、中流といわれる家庭の生活の中には身近に謡や、仕舞のお稽古という形で“能の世界”が息づいていたように思います。

日本人の奥ゆかしさ、あからさまに顕さないけれど言外に相手の思いを感じ取るとか、相互にそういう配慮を感じ取るという心。若い人には言葉で表さなければ解らないでしょ、とも言われますが…。相手の思いを察して行動するとか、それはもう望んでも無理な時代なのでしょうかね。

話が外れましたが、能は時間、体力、言語(古語)の解釈など多くのエネルギーが要求される芸能ですが、その奥にある日本人ならではの深淵な世界を多くの方々に体感して頂きたい、そんな心持ちでおります。
 
能は数ある芸能の中でも非常に簡潔であるがゆえに見る側にも想像する心が要求され、また育まれるという特異な世界といいますか、ご覧になるお客様にも少し負荷のかかるものではありますが、皆様もご存じの通り世界遺産としても素晴らしい文化だと認められた能楽。何とかもっと広げられないかと思っているのですが。
 
今、CGとか色々映像の表現方法がありますよね。
確かに表現は日々進歩しております。私は古い人間なのでしょう、お能はとことんアナログ的であるべきではと思っています。

能楽堂にお運び頂き、簡潔な舞台と、一挙手・一投足・一声・一打手等、息をつめて観る、見られる緊迫した時空で見る人演じる人の想像力を共有してのみ出来上がる世界と思うかです。その時間・空間をいかに守るか。
安易に妥協しないで純粋なものを残して頂きたいとねがうのです。

能楽は、その時その時の社会が反映され、新しい題材が取り上げられていたようです。
現在能は二百数十番と言われておおります。新作能もいろいろ創られておりますが、それもその演目の普遍的な魅力で上演回数が重なれば将来は古典になるかとは思うんです。

横道に逸れるかも知れませんが、お能とは世阿弥の時代にはほぼ完成された構成を持っており、言葉をお能のパターンに組み込めばお能になるという不思議な方式があるんですね。
どんな曲でもそのパターンにはめればお能になってしまうといわれています。能とはそれ程完成度の高い演劇と言えるでしょう。

―お約束事ということでしょうか。

富田先生:そうですね。例えばワキ次第(しだい)、道行(みちゆき)、シテ一声、サシ、上歌、クリ、サシ、クセ、以下~
キリ(注10)があって、と大団円で終わりという。その段階を踏んで組み立てれば能的な物になる。その内容の深さは別として、それらしくなるようです。

―そういう意味ではその新作能であっても、能のパターンというのは決まっているが故に能になるということなんですね。

富田先生:はいそう思います
どんなものを組み合わせようが。最近はバレエとかピアノ演奏家とのコラボレーションなども拝見致します。
何日か前から新聞で見たテレビドラマのコマーシャルだったか、能面を持った3人が並んでいらっしゃったのを観ました。
どんな分野の方々も能は見過ごせない、気になる存在なのでしょうね。
ドラマ「金田一少年の事件簿」能面は宮城県栗原市一迫の能面作家菅原夢玄さんの作品3点)
3人の方が能面を手に持った大きな広告でした。

世の中にいろんなものが出尽くしちゃって…今まで永く存在していてもあまり知られていない?能がちょっと新鮮に感じられる。
能に興味を持ってくださる人が少しでも増えて下さるのを心から願っています。

―富田先生、この度はお忙しい中お時間をいただきありがとうございました。「卒塔婆小町」も楽しみにしています。

こちらこそありがとうございました。

―編集後記―
能楽は歴史的にずっと男性が演じてきたもので、女性の能楽師を最近こそ見かけるようになったとはいえ、女性能楽師として、見えない部分で非常にご苦労されてきたのではないかと内心思ってインタビューに臨みました。
 
富田先生は、そのようなご苦労を感じず『置かれた場所で咲きなさい』を内に、自身の能の鍛錬に邁進され、後進の育成や一般市民への講座を通して啓蒙や広報活動もされてきました。
 
そこには、役を勝ち取った、とか苦労を乗り越えて今があるのだというような堅苦しさや、緊張感、厳格さはなく、上品でお優しい方でした。
八十歳になられるということですが、身体の動きも機敏で、インタビューも長い時間お付き合い頂いたのですが疲れを全く見せられませんでした。
 
富田先生は男女というより、ご自身の能の研鑽を真摯に向き合って積み重ねてこられた、常に学びながらしなやかな強さを内面に秘めた人間的に魅力的な方だなぁと思いました。
 
石神井公園のご自宅には能の舞台もお持ちで、ご自身の会のほか、新年会や忘年会、浴衣会、着付け教室、太鼓の教室など、そういう使い方でいろんな先生が使ってくださっているそうです。
 
今までに富田先生は能のお囃子も心得として勉強され、今度は80歳の手習いでし残した囃子のひとつをはじめらるとか。
 
ご自宅の裏手の石神井公園でラジオ体操をし、謡本を覚えたり、スマホで青空文庫を読んだり、俳句を嗜んだり、静かな時間をとても大切にされています。
取材を通して、富田先生のような生き方、歳の重ねかたは女性としても人間としても魅力的だなぁと改めて自分のこれからの人生についても考えさせられました。

梅流会 能「卒塔婆小町」 富田雅子 2022年9月18日(日)午後13:00開演
於:梅若能楽学院会館(中野区東中野2-6-14)入場料金 ¥4,000
申込/問合せ:03-3363-7748  FAX:03-3363-7749
(公演の1か月前より受付致します)

■富田雅子師プロフィール 

富田先生 仕舞 平成12年4月9日「玉鬘」緑隆会 公演写真

昭和17年(1942年)旧満洲国新京市 生 (愛知県安城市出身)
昭和40年(1965年)愛知学芸大学・音楽科卒業
昭和48年(1973年)梅若能楽学院(先代・梅若六郎師院長)入学
昭和53年(1978年)梅若景英師(現・六郎玄祥師)に師事
昭和57年(1982年)観世流 梅若会所属
平成 2年(1990年)観世流師範資格認定
平成17年(2005年)観世流準職分資格認定
 現在
梅若能楽学院 講師 在校時より助手を経て現在に至る
NHK文化センター(青山教室)講師
素人会「緑華会」を昭和53年より主催
演能履歴
昭和57年 初面 能「猩々」
以後、「三つ樹会」・梅若会主催の「梅若女流能」「梅流会」・「緑華会」「緑華会能の会」の舞台にて
披き 能「猩々・乱れ」/能「石橋」/能「道成寺」/能「砧」/舞囃子「鷺・乱」等
現在に至る。

●補足
*もともと能を演じるのは男性のみに許されていましたが、1948年(昭和23年)女性の”能楽協会”(各専門的役割を職能とする各流の能楽師が加入)への加入が認められ、2004年(平成16年)には”日本能楽会”(文化庁の総合認定を受けたより高い技能保持者の能楽師を構成員とする)への加入が認められました。また国立能楽堂では2007年から毎年、女性能楽師による定例の能会も開催しています。

●文中 注)
注6)ワキ(能の脇役のこと。シテに対峙して演技を引き出す重要な立場。諸国を廻る僧、神職、武士など、現実に生きている男性のみではつけない)
注7)離見の見(りけんのけん)(*世阿弥が能楽論書「花鏡」で述べた言葉。)
注8)「卒塔婆小町」かつての名声と美貌は失せた老女となった小野小町の百年という人生を生き続けなければならない盛衰の記憶。
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_069.html (the能.com)
注9)お披き(おひらき):ある程度修行を積み、宗家の許しを得て特別な演目を演じること。
注10)次第(しだい):曲の中で囃子が主となる部分
道行(みちゆき):登場人物が地名、風景、旅の様子など、旅行をする場面を謳う場面
クリ:高い調子の謡でクリ⇨サシ⇨クセと接続する
サシ:さらさらとリズムをとらずにうたう謡
クセ:能の表現の中心部分で謡と囃子の複雑なリズムの面白さ
キリ:一曲の中で最後、終結部分に置かれた構成要素。拍子にあった謡。

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