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音楽批評宣言:Francis and the Lights「See Her Out (That’s Just Life)」評

 そろそろ音楽批評をやらないとな…と漠然と思った時、やはり僕はここから始めなければならないと思った。最も思い入れが強い曲について語り、これからの駄文や渾身の論考をこの初期衝動と常に闘わせる。それは僕の人生にとって意味がある。そもそも漠然とそろそろ文章を!と思った訳ではない。今年の元旦に「2022年こそは文章を定期的に書きたいです!」とか言っていて。今からならなんとか間に合いそう、まだ10月だし。何事も遅過ぎるということはない。Francis and the Lightsの新譜『Same Night Different Dream』が出る。その時をただ待っている。

 Francis and the LightsはFrancis Farewell Starliteによるプロジェクトで、R&Bやシンセファンク、ネオソウルをベースとした音楽性を有し、初期の 2 つのEPである『Striking』(2007年) と『A Modern Promise』(2008年) ではJames Brown、Prince、David Byrneといったアーティストの系譜を感じさせ、周りの空気音を含む臨場感あるピアノやドラム、そしてボーカル、踊りだしたくなるシンプルなシンセでのメロディーなど、楽曲の最も基本的な事項で人を、特に後述するような有名ミュージシャンたちをも惹きつけた。「シンプルで誰にでもできるようで誰にも真似できない」「似ているようで誰にも似ていない」、最も得難いPOPとしての強度を有している。
 また、その名を世界に知らしめるきっかけとなった『Farewell, Starlite!』(2016年)では、前2作のEPと1stアルバム『it’ll be better』(2010年)の雰囲気はそのままに、強烈なシンセサウンドが前面に飛び出し、その勢いに負けない今まで誰も聴いたことがない神々しさを感じる「サイボーグによるゴスペル」のようなボーカライゼーションを披露し異彩を放った。

 この「サイボーグによるゴスペル」、デジタルクワイアを生み出す特殊なハーモナイザーは”Prismizer”(プリズマイザー)と名付けられた。Prismizerはボコーダーのように、歌手の声とリアルタイムで押された鍵盤の音を基に最大 5 人分のハーモニーを作成する。彼はこの機材(手法?)をBon Iver,Frank Oceanに見せ「Close To You」で共作を果たした。その後すぐに、ワイオミング州にあるKanye Westの牧場からプロデューサーとして招待状が届くこととなる。2016年にはKanye West,Chance The Rapper、2017年にはCashmere Cat,The Weekndと立て続けにコラボし、日本では米津玄師が「海の幽霊」でこのデジタルクワイアを再現しようと試みた。誰もが魅せられる発明がここにはあった。
 彼は今もなお続くトレンドの起点である「2016年の音楽」の影の功労者だと言える。彼のことを、Bon IverのJustin Vernonは、音楽の総合的なセンスをPrinceに、ピアノの達人具合をRandy Newmanに例え、「これほどポップスターになる運命にある人に会ったことがない」と評し、Kanye Westは彼を“掟破りの独創性”と評した。

 しかし、この話題以上にアーティストFrancis and the Lightsが批評されることは日本はおろか世界でも遂に無かった。彼の素性は謎めいていて、インタビューはほぼ受けないし、3rdアルバム『Just for Us』(2017年)の後、アルバムのリリースもない。今どうして彼について語るのだろうか?と不思議に思うのも無理はない。しかし、僕個人にとって重要である以上に彼の音楽には、彼の苦しみには力がある。この世界の苦しみに対する解像度が。彼はどこにも属しておらず、ライブもほとんどすることがない。
 彼はUSポップの中心にいながらも常に外部にその身を置いている。アウトサイダーは常に闘っており、その闘いの痕跡は我々にとって重要な道標となる。そして、巨大資本を動かすミュージシャンにとってそれは更に意味を持つ。彼のようなプロデューサーミュージシャン(注1)が抱えるのは、しばしば音楽に対するピュアさ(私が真にやりたいこと)を貫くことで「大衆に理解されること」から遠ざかってしまう現状への苦悩である。そして、「大衆に理解されること」の重圧に常に押し負けそうになるポップミュージシャンにとって、この諦念を許さないピュアさを貫く姿勢がプロダクションに加わることは、自身の音楽に対する情熱を再燃させる燃料となる。

 では本題の「See Her Out (That’s Just Life)」の話をしよう。この曲の此性(この曲らしさ)は曲それ自体の分析のみでも勿論示すことができるが、MVにおいて曲展開と密接にリンクした形で示されており、この曲を真に理解する上でMVと共に観ることは非常に重要である。MVの監督であるJake Schreier(現在は映画監督としても活躍。2024年公開のマーベル映画『Thunderbolt』の監督を務めている)は、Francis Farewell Starliteと共に育ち、元Francis and the Lightsのキーボードである。故に活動を共にしていたバンドメンバーが作るこのMVもまた純粋な「See Her Out (That’s Just Life)」の一要素であると言える。Francis and the Lightsの全てのMVに彼が関わっており、Francis Farewell Starliteという人間の性格やこれまでの人生が強く込められている。この曲やMVが私達に示すことは「分裂者の散歩」である。

”「愛と、その力とその絶望について私たちに語るのは、ソファの上に横たわった神経症患者なのではない。それは分裂者の無言の散歩であり、山々や星々におけるレンツの歩みであり、器官なき身体の上の強度における不動の旅なのである」”

『アンチ・オイディプス: 資本主義と分裂症』下巻p.145

 「See Her Out」の楽曲それ自体が私たちに知らしめることは、まさにこの分裂者の無言の散歩であり、その脳内に弾ける”ここから逃走せよ”と命じる分裂者を導く神の声、その甘美なる旋律である。Francis Farewell Starliteは中学生の時、医師から双極性障害と診断され(その後、別の医師からはうつ病と診断された)、精神科の薬を処方されたが、「薬を飲むと自分ではない何かになってしまうのではないか。」と彼はその薬を捨てた。ある精神科医は面談で彼に、「誇大な自尊心と誇大妄想」という躁病の症状を引き合いに出し、”私はJames BrownやMichael Jacksonにならなくてはいけない!”と強く思い込んでいるのは妄想の表れだとほのめかした。
 「最悪の時は、自分が何者なのかわからなくなる」と彼は言った。薬物療法を続けては辞めてを何年も繰り返してきた。安定している時には音楽の生産性は上がり、創造性は遺憾なく熱狂をもって発揮される。彼は言う。「何がつらいって、人々が私を助けたいと思うことです。彼らは私を受け入れようとした。そして、その出口が見えるや否や、私は逃げ出した。何度も何度も何度も。」

 MVにおいてFrancis Farewell Starliteの後ろ姿が一貫して映し出される。彼は街を仰け反りながら、ぎこちなく歩く。一歩ずつ一歩ずつ。腰が砕けたように、街に眩暈を覚えているかのように。私たちは都市における存在の吐き気をショーウィンドウに映る自分の姿から感じ取る。リバーブが深くかかっているが輪郭がはっきりとしている固いPluck音のループは彼が使う楽器、Prophet、アナログシンセ、その特徴的な音色で鳴らされる。脳と手と脚がちぐはぐに動くように、3オクターブを行き来するアルペジオが8小節で少しの差異を生じさせながらループし破裂を繰り返す(0:00〜0:55)(注2)。このサウンドが鳴り続ける中、幽玄なプリズマイザーを用いたデジタルクワイア、その歌声が更に存在感を持って立ち上がり響く。
 まさにプリズムのようにボーカルはキラキラとした質感を持ち、囁いているように、怒っているように、また叫びだすように、都度ただの声の抑揚以上の感情そのものの変化がうかがえる。ひどく高いピッチと地響きのような低いピッチがリアルタイムで元の声と重なるように鳴り響き、彼が自分の中に存在する様々な側面を制御できずに苦しんでいることを強く直感させられる。
 Kanye Westが4thアルバム『808s & Heartbreak』で哀しみの表現としてオートチューンを使ったように、さらに強くこの社会からの苦しみ、哀しみを表現するものとしてPrizmizerが使われている。ヒップホップに内面の吐露の表現をもたらしたKanye WestとFrank Oceanが彼に魅せられたのは必然だ。そして、ポップスターの資質というのはこのような“哀(ai)”の性質だ。

 つまり、Prizmizerが表現しているのは存在の眩暈が引き起こす聴覚上の私の声のズレなのである。結局、私は私の声に苦しめられ、私の声によって救われる。脳に反芻する自分の声。他人が聴いている声とは違う私が感じる私の声。この曲から聴こえてくる声の状況はさらに深刻だ。熱にうなされているとき声が遅れてくるように、熱中症で倒れる間近に人が二重にも三重にも見えてしまうように。自分が何者なのか分からなくなるが、「お前はこのような人間だ!」と自分を規定してくる声に従っては、私は私では無くなってしまう。増幅された自分の声の中のどこに本当の自分の声があるか、いや、この上ずった1オクターブ上の、下の、化け物のような声こそが本当の私なのかもしれないと怯えながら、注意深く耳を済ませなければならない。救われることなき狂気の中に確かに私は存在している。
 そうして、私の声がズレ始め、よれ続けた後、シンセの音色はストリングスのようなPad音(0:55〜)へと変わり、ノイズキャンセリングをオンにしたように静寂が訪れる。不安が消え去ったと錯覚もするし、危機の前に感覚が鋭くなり、時間が引き延ばされる感覚や決断を迫られているかのような焦燥感もある。一番か二番か何がドロップ(注3)なのかも分からぬうちに、もう一度あの身体同士が接続することを拒否するようなアルペジオが流れ(1:43〜2:07)、そしてもう一度辺りは静かになる。彼は「I live it twice」と歌い、2度目に首元のベルトを締め、遂に決心をする(2:30)。

ここから走り去らなければならない!

走り去るといっても分裂者の散歩は全力疾走ではなく、このように悠々と行われる(2:30〜2:55)。ジョーカーは主人公で無いにも関わらず何度でも監獄から優雅に脱走する。そのような方法で。

 前を向くのではなく、その敵の正体を捉えるために勇気をもって振り返らなければならない(3:07)。背中に圧を感じるその方向へ。映画において登場人物が決心をする時に音楽が流れるのではない。音楽が流れるからこそ、彼らは現実世界の私達とは異なり、決心を愚かにもすることが出来るのだ。この曲においてその決心を担っているのは、私達を救ってくれるのはシンセサイザーだ。シンセサイザーが彼を決心させる。私達はどのようにして私の人生に音楽を、シンセサイザーを鳴らすことができるだろうか?アルペジオの上をリードシンセが鳴り始める(2:54~3:17)。「器官なき身体」は「死のモデル」であり、音楽は「悦びのうちに死を感じさせる」芸術だ。このリードシンセは今までよりもCut offが開いており、キラキラと高音域のエネルギーが流れ出ている。私の身体は欲望する機械となり、欲望の流れを自由にする方向へと歩み出す。リードシンセ、その悦び。Prophetの機械的な暖かみは街の声をかき消し、この社会に囚われず生きていける事を夢見て、先ほどのアルペジオとは異なる、それとぶつかるような旋律を街に響かせる。
 もはや赤信号の切り替わりを知らせる点滅を気にする素振りすら見せず、彼は横断歩道のど真ん中でバク宙をし、カメラの側に始めて顔を向け、そして踊り続ける(2:56~3:07)。踊り終えた後に彼は振り返り、その眼差しによってカメラは狼狽え、揺れ動き、そして真っ暗になる(3:13)。その時、都市は彼を見失った。成長し続ける都市は赤信号(死の間際の生)を欲望することが出来ないからだ。彼は都市それ自体を遂に正面から捉え返し、そして少しの間だけ都市のこの檻の中で自由を手にしたのだ。ほんの少しの間だけ。逃走を許されるのは画面が真っ暗になる20数秒だ。そしてまた直ぐに檻の中へと引き戻されてしまうだろう。

 ”whole damn world is a cage”、世界中が檻の中だ。創造に触れる時、人は僅かな時間だが心から自由になれる。批評もまた創造である。君は音楽を聴き涙したことがあるだろうか?君はMVを見て涙したことがあるだろうか?君は、批評を読んで、涙したことがあるだろうか?商品と重なるように半透明の私がショーウィンドウに映る。その眩暈。アーティストたりえない文章は捨て置こう。批評を始めよう。一義的な視線を拒否するために。ある流れに対し、私という身一つでこれに抵抗するのだ。私の視線を誰かが持つカメラに預けてはいけない。自身の意見と同じ方向にあるというだけで私を寄り添わせ、それで済ませてしまうのも危険だ。
 Francis and the Lightsは3分35秒でこれを達成している。彼は器官なき身体が織りなすダンスによって、優雅な、しかし終わりなき逃走のためにカメラの方を向く。出口なき自分自身の獲得のために、都市が放つ抑圧と対峙しなければならない。それは他者からすれば近づきがたい分裂者の無言の散歩に見えるだろう。分裂者の散歩はロカンタン(注4)のようにただ漫然と街を眺め歩くだけでなく、一時停止と突然走り出すことを繰り返し、バク宙をし踊り出しさえする。手を差し伸べることは叶わない。その瞬間を他者が予測することなどできないからだ。そして、決して予測されてはならぬ。彼が彼であることを、私達が私達であることを祝福する以外に出来ることなどない。彼は自身の声にうなされながらも、常に都市の抑圧に晒されながらも確かなものを探し続ける。私達も同じように突然走り出す散歩を。都市で、私の人生に、音楽が流れる瞬間を目にするために。

 farewell(別れ)、starlight(星の光)、星はそれぞれが出会うことなく孤独に輝き、星空を作り上げている。あなただけの眼差し。あなただけの人生の輝きが織りなす都市は膨張する宇宙を捉える星空。

whole damn world is a cage

世界中が檻の中だ

Don’t say it softly

そんなこと、やさしく言わないで

Francis and the Lights「See Her Out (That’s Just Life)」

参考文献
『Francis and the Lights, Pop Star Interrupted』
(遮られるポップスター、フランシスアンドザライツ)

注1:造語。自身も音源を出しライブなどを行いながらも、有名アーティストのプロデューサー覧に名を連ねるアーティストのこと。Jack Antonoff, Jim-E Stack, Fred again…や広義ではJames Blake, Cashmere Catらも含める。
注2:(0:00~0:55)はMVでの再生時間を示す。MVのその箇所について言及をしている。
注3:洋楽においてサビのことを”ドロップ”と表現する。
注4:サルトル『嘔吐』の主人公


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