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完璧さを求め不完全さを楽しむ 音楽の魅力

 芸術や音楽は、どこまで完璧さを追求するか、そもそも完璧という状態があり得るのか、という疑問が湧く。周囲が非の打ち所がないと感じても、本人は自分の思い描いている完成形には程遠いと思っていることもある。そして楽器演奏の場合、一度完璧に近いところまで到達したと思っても、しばらく遠ざかると、めっきり下手になってしまったりするのが厄介なところだ。

 始めたばかり、初級の段階では、完成を目指すより、とにかくたくさん曲をやった方が上達が早い。これは、外国語を学ぶとき、多読が効果を発揮するのと似ていると思う。様々な曲想や音形に触れて、手と耳が対応できる範囲を広げていくのが近道だ。

 だから、最初から異常なまでの完璧さを求める先生は、あまり初級者向けではない。そもそも始めたばかりで、完璧に弾くことは不可能である。趣味であればなおさら、完璧重視の先生は避けた方が無難。練習曲を1〜10まで全てやるとか、ミスがひとつも無くなるまで同じ曲をやるとか、手の形に異常にこだわるとか、こういったレッスンのやり方は非効率的。つまらないばかりでなく、せっかくの能力が伸ばされない可能性がある。

 楽器を弾くといっても、人により得意分野は様々。初見能力に長けた人、即興演奏が上手い人、アンサンブル能力が高い人。ひたすら完璧追求型だと、たくさんの分野を試す機会が減ってしまう。思いもしなかった部分で自分の能力を発見するかもしれないのだ。生徒自身には分からなかったとしても、先生が発見してくれるはず。

 そして、楽器演奏は、不完全さを楽しむ、というくらいのスタンスで続けた方が断然楽しい。完璧さが欲しければ、コンピュータで音楽を作ればいいのだ。人間的不完全さ、偶発性、意外性などが存在するから面白いのだ。試行錯誤する過程こそ、音楽の醍醐味。上手くいったり、上手くいかなかったり、前進したり、後退したり、満足に出来たり、思い通り出来なかったりするから魅力を感じるのだ。

 不確定要素が全くないものなんて、面白くない。その点音楽は、失敗したからといって命の危険がある訳でもなく、損害賠償が発生する訳でもなく、暇と退屈を持て余すコロナ禍の昨今、手軽にアドレナリンが放出できる、格好の気晴らしになり得るはず。

 

 

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