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モラトリアムの終焉。

唐突だけど「やりたいこと」って何だろうか。巷に溢れる「やりたいことやろう!」の空気に感化されたり、あるいはうんざりしたり。人によって反応は様々だと思うのだけど、今日はそのやりたいことというものについて思うことを書きます。

今でこそ「もしかしたら【やりたいことやってる】部類に入るのかなー自分も」とちょっと思うようになってきたのですが、当然のようにものすごく迷走したし、大量に失敗しています(笑)。やりたいことって言ってもそれ自体がさまざまなレベルで大量に存在するので、普通に周りに感化されて迷子になるし自分のフェイクの欲に惑わされるしで、全然ストレートに歩けなかったです。私は。そういう紆余曲折を経つつ、何となく自分を探す迷路から抜け出てきたかも知れないと思うので、今絶賛迷いまくりんぐな人にも「大丈夫だ」と言いたい。そんな思いで書いています。


「やりたいことがわからない」期

「やりたいことがわからない」あるいは「やりたいことがない」という人もいると思います。こういう人って、「やりたいこと」のハードルがめちゃくちゃ高いか、自分の中にある「やりたいこと」の定義がめちゃくちゃ狭い場合が多いです。「やりたいこと=人の役に立ち、人に喜ばれることで、お金がもらえること」とか、「やりたいこと=ずっと続けられるような立派なもの」とか「やりたいこと=仕事になるもの」とか、めちゃくちゃ狭い定義づけや意味づけをしたものを「やりたいこと」だと思ってたりする。特に「=お金がもらえること」という縛りは結構あるんじゃないかな。もちろん、それも含まれている場合もありますけどね。でも、やりたいことはやりたいことでしかなく、本来そのような定義づけは不要なのではないかと思うのです。いいんですよ、サーフィンするために海の近くに住むのだって。それが出来る仕事を探すのだっていいのですよ。あるいは、ひたすらゲームしたいとか、本読んでゆっくり暮らしたいとか、そういうのを自分の中で勝手に「これはやりたいこととして相応しいことではない」とかジャッジして除外しなくていいんですよ。あるいは今ものすごく疲れているなら「ひたすら寝たい」というのも立派な「やりたいこと」ですしね。


「自分探し」の旅期

で、そういう「ひたすら寝たい」とか「遊んで暮らしたい」とか自分の目先の欲求をひたすら叶えていくと、ちゃんと飽きる瞬間がきたりします。もちろん、来ないなら来ないでいいんです。そのままやりたいことし続けてください。「とりあえず寝よう」「とりあえず海外行こう」とか、そういう抑圧が弾け飛んだ後のハッチャケ期って誰でもありますが、いずれちゃんと終わります。ちゃんと終わってくると、子供の頃の自分は何がしたかったんだろう?とかこれから何をしようかな?とか、ちょっと振り返る余裕が持てるようになります。で、とりあえず子供の頃の夢が自分の本当の夢だったんだーとかそういう「自分探し」が始まったりします。これはこれでOK。自分の未練をきちんと消化したり、あるいは自分の興味を再発掘したり。参考になる部分も多いので大いに楽しんでください。ちなみに自分は子供の頃は占いにはさほど興味はありませんでした。どちらかというと絵を描いたり、お話を考えたり、工作したり「芸術家」への憧れを持っていたので、それに対する未練がたくさんありましたね。肥大化した憧れが「アーティストになりたい」「目立ちたい」欲となってそれはそれは迷走しました。ハンドメイド作家になろうとしたり、絵描きになろうとしたり。自分はなにか特別な人間になりたいというコンプレックスと相まってそれはそれは勘違い野郎になっていくのですが(笑)、結局どこかでしんどくなったりトラブル連発してましたね。でも絵は今でも好きですし、やっと息抜きとして描いたりチラシ作ったりで適切な距離感が掴めてきたような気がします。あとは、自己啓発系や起業系の「やりたいことで生きて行こう」の熱に憧れてふらふらついて行って大火傷したりもしたな。憧れられるような自分になろうみたいな。今でこそ笑える体験もありますし、得たものもありますが、空虚だったなとも思います。中身がないハリボテを動かそうとしていた感。

過去記事



この迷走と同時期に、「叶えている人」というのを目撃する機会を得ます。これは私が幸運だったことのひとつですね。自分のやりたいことを実際に非常に高いレベルで叶えている人に出会い、その人と触れあうことで得たものは大きいと思います。超超超超個人的な欲求こそが美しい。ものすごく端的にいうとそういうことになるんですが、自分の欲求や欲望、先に言ったような「立派な」ものでなく、それこそ「誰の役にも立たないように思えるもの」だったりします。そういう純粋な欲求をストレートに放つと、豪速球で叶う。そういう事例を謂わば「見取り稽古」させてもらったように思います。



モラトリアムの終焉、そして。

実際には稽古してもほとんど出来なかったんで、今もこれは実戦と研究の最中でもあります。ただ、自分の中にある程度方向性や指針が出来たことは確かですね。それは「自分に誠実に生きる」という指針です。これだけでも、私は迷ったら立ち止まって問いかけることが出来るようになってきました。瞬間瞬間で自分というのはいくらでも変化するものなので、その自分に対して誠実で在りたいという欲求ともいえるのかも知れません。そうじゃないと、また自分を嫌いになってしまうから。私は、もう自分を嫌いになってウジウジしていれば誤魔化せた時期は終わってしまったんだと思います。モラトリムの終焉というか。「自分が嫌い」とかテイのいい言い訳をして自分の欲を見ないで生きていくことは、出来なくなったというか。結局自分からは逃げられないし、逃げたところで満たされることはないので、醜い自分と正対するしかなくなったとも言えるのかも知れません。

ここできっと逃げ続けると酒とかドラッグとかセックスとかギャンブルとか刺激の強い劇物で自分を紛らわせるようになるんだと思うけど、私は出来なかったんだよね。というかもう既にやってみたけど結局溺れることは出来なかったとも言う。幸運なことではありますが。





そうして「何もない自分でこのままで行くしかない」と諦めて、曲がりなりにも一歩ずつ歩いてみると、案外自分は何もないわけではなく、恵まれている部分もあるし、苦手な部分もあるし、未熟だけどこれはこれでいいか、みたいな気持ちになって、ミニチャレンジはしやすくなったように思います。まだまだこれからどうなるか未知の部分もあるけれど、少なくとも誰とも道は同じでなくても構わないという開きなおりは出来るようになった。だから、安心して間違えたらいいし、安心して失敗したらいいんだと思う。そもそも間違いも失敗もないんだけどね。でも、自分がそうだと恐れていることの妄想を打ち砕く意味で間違いも失敗もしたらいいのだと思います。そして、違ったなら修正することを厭わないこと。すぐやめていいんです。それに意味づけしたりしすぎなくていい。スピリチュアル好きな人って結構因果関係を求めてしまいがちだけど(つまづいたことに意味がある的な)そんなものはない。ただ、曲がることを選んだら、その正当性とか意味とか考えなくていいので、ただ曲がるだけでいいのです。


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