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厳選していくことで明確になる。

こうして静かにパソコンで文章を書いている時間が、とても好きだ。こういう時間をたくさん持ちたい。安心して、落ち着いて、自分の頭の中を整理する時間。人によっては、それがスポーツであったり、絵を描くことであったり、人と話すことであったり。または、その時々でも変わる気がする。自分と向き合うというと、坐禅組んで…とかそういうことを思いがちだけれど、そういうことでもないんだろう。(それもアリだけど)自分の純度を高める。自分をクリアにしていく。そのためにやるのでなければ、座禅はただのお座りだし、写経はただの習字だ。


最近、新しい住処を探している。いろいろ物件を見ていると、自分がどういうものが好きなのか、どういう暮らしがしたいのか、改めて選ぶときなんだなと思う。自分のではない価値観を頑なに信じていたり、「こうでなくては」というこだわりが案外強いんだなということを思い知る。あるいは、過去に住んでた場所のことを思い出す。学生時代に住んでいたアパートは、親なりに私の安全や利便性を考えて探してくれてたものだったんだな、とか。あんまりそういう思いやりを理解できないまま暮らしてたな…とか(親の心子知らず的な)。

布団が好きなのか、ベッドにしたいのか。机が欲しいのか。とかとか。どのような空間を創りたいのか。それは自分がそこでなにをしたいのか、どういう暮らしがしたいのかということを考えることなんだなと思う。当たり前すぎるけど。あまりにも無自覚に、本棚はあるべきものと信じていたけど、自分は本当に使うかな?とかね。そういうことを思う。

ミニマリストと呼ばれる人達は、そうやって自分の価値観を再構築した結果、あのような空間にたどり着いたんだろう。少ない持ち物で、豊かに暮らす。あのシンプルで合理的な感じがとても素敵だなと思いつつ、自分の場合はどうだろう?と考える。暮らしがシンプルな方が迷わないと思うのでそういう考え方は採用したいが、内装はあまり殺風景だと寂しいかな、と思う。

過去に何度か断捨離したけど、一時的にはスッキリしたけどまたいつの間にかものが増えている。ただ闇雲に断捨離しても一時的な快感にしかならなくて、根本にある自信のなさや寂しさを自覚しないままに綺麗にしても変わらないものなんだな…と思う。寂しいからものを買う、寂しいから男性と付き合う…とかね。寂しいのが悪いってことではなくて、寂しさを誤魔化そうと躍起になることをやめると、そのさざ波のような揺れは次第に小さくなっていく。ただものを捨てるんではなくて、持ちたいものを厳選するんだ、という目的を忘れると、単なる大量のごみ捨ての達成感で終わってしまうのかも。そう考えると今までは単純に持ち物を要・不要に分別してただけなのかもしれない。

それってアレじゃない?旦那さんの大事なプラモ捨てる奥さんと変わりなくない?アレ?と思い至る(笑)。それって本末転倒じゃないの?みたいな。

大好きだけを選びたい。今まで好きだったものが変わることは悪いことではない。むしろ変わって当然なんだけど。今大好きなものはどれだろう?もう飽きてしまったものはサヨナラしよう。そうやって丁寧に選び続けて、進み続けると、周りの景色も変わっていくんだろう。それこそ、旅のように。ものが少ない旅が快適だったんだとしたら、ものを厳選した暮らしもきっと快適なんだろうなと思う。そのようにシンプルにしていきたいと思う。




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