自分のことを知らないと質問すら出来ない。

昨晩、人と話していてテーマになったのが「質問力」だったので、ちょっと覚え書きしておきたいと思う。

質問する、尋ねる、問いかける。「分からないことはきいてね」と言うと、そんなの当たり前だろと思うかも知れないが、自分のことをよく見てないとそもそも質問すら出来ないのだと思う。わかったつもり、出来てるつもり、あるいは自分が知らないということが恥ずかしい、とか。そういう不要なプライドが邪魔をして質問することすら出来ない人は案外存在するのだと思う。

仕事でもなんでも、分からないことややっている中で迷うことってたくさんあるんだけど、そういう時に「あー今の自分には分からないや。どうしたらいいのかな?」と適宜周りに問いかけるだけですぐに解決に向かったりする。一人で考え、あくせくしたり悩んだり奔走したりというのはほとんど徒労であると思う。これは会社に所属していてもそうだし、個人で仕事をしてもそうだなと思う。

「私はこれがしたい。だけどここからここへのプロセスが分からない。やり方を知りたい」とか、そういう質問を丁寧に出来る人はとても自分に誠実なのだと思う。正直、大企業的な体質だと、どれだけ上に行けるか(本当はそんなもの存在しないのだが)トップ争いをする人もいるんだけど、トップを争いたい人たちにとって「自分が知らないと認める」というのはハードル高く感じるのかも知れない。争う人にとっては質問することは相手に弱みを見せることであり、隙を見せることであり、誰かに負けることとイコールになるからだ。書いていて悲しくなるほど貧しい世界だ。それはもう昭和・平成の遺物として置いていきませんか。令和には全く違う世界を見ませんか。

話を戻して、質問力というのは誠実さの現れなのかも知れない。「自分はこれがわからない。知りたい」と素直に認めて質問出来る人というのは本当に真摯な人なのだと思う。自分もそうありたいし、それを許容する優しい世界に住みたい。


占いも基本的には問いかけるという行為なんだけど、その問いかけることがぼんやりしている人ほど、それを明確にしていくプロセスが大事で。その時点でぼんやりと「悩み」だったものは単なる「知らないこと」に変化して、じゃあこれを知りたいね、どうしようかね、とどんどん具体的な問いかけに変わっていく。その人が自分を認識していくプロセスとして占い手は問いかけるだけなんだが、問いかけてそれを見極めていく作業が結構大事な部分だと思ってる。占いやり始めてから問いかけの訓練ばかりしてるので、こういうことを書こうと思ったんだけど。本当、一度きちんと占いをしてみるとわかるんだけど、知らないことを知ろうとす姿勢がないと占いは出来ないと私は思っている。アグレッシブな受け身、みたいな(笑)。人の話を聞くのではなく、能動的に聴くという訓練なんだよね。それは問いを明確にしていく力とも繋がってくるんだと思う。


というわけでつらつらと書いたけど、是非これから新社会人になる皆さん、「自分がわからないことは恥ずかしいことではない」という意識で、どうぞ気軽に質問してください。それに答えてくれない人や「そんなことも知らないのか」と怒鳴る人は、あなたを尊重しない人/企業です。どうぞ速やかにその場を立ち去ってください。こんなタイミングですが、門出を祝う気持ちを伝えたいと思いました。




占いをしています。


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