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サトシ先生の記憶①

いつもお世話になっている美容室では、カラーやパーマの待ち時間に暇つぶしができるようにとdマガジンの入ったタブレットを貸してくれる。
色んなジャンルの雑誌が読み放題で、どれを読むか迷ってなかなか決められない感じがなんか贅沢に思えるので好きだ。

今日も、なんとなしに目についた雑誌をザッピングするようにあれこれと斜め読みしていた。

ある雑誌の特集に目が止まる。

「夏目漱石や太宰治など昔の文豪の作品を音読すると、彼らがいかに日本語の使い方が上手だったかが分かる」
という記述があった。
黙読ではなくあえて音読をすることで、五感を使って言葉を理解することができるそうだ。
結果、脳への定着も早くなるので、学習にも効果的らしい。

おもしろいもんだねぇ。四十路のババアが1人でぶつぶつ本を音読するとしたら何がいいかしら、というか四十路のババアが1人でぶつぶつ本を音読するってキモイよね、などと考えていたら、ふと中学校の時の国語の先生を思い出した。

サトシ先生だ。

ヒゲダンス風の口ひげと、ツルっと広いおでこがトレードマークで、担任するクラスの生徒には自分のことを「デコ髭」と呼ばせていた。

音楽が好きで、当時のヒット曲にも明るく、卒業式ではMr.Childrenの『終わりなき旅』を弾き語ってくれた。
Coccoの歌唱力の凄さについて、中学生を相手に本気で熱く語ったりもしていた。

何より印象的だったのは、サトシ先生が「死んだ目をした教師」ではなかったことだ。
面白くなさそうに授業をする教師、疲れ切っていてやる気のない教師は生徒からすぐに見抜かれる。中学生をナメてはいけない。
でもサトシ先生はそうではなかった。
瞳が輝いていたし、生徒に媚びたりせず本気で怒ってくるし、授業では先生自身がいつも楽しそうに、イキイキとしていた。

サトシ先生は、教科書の朗読が素晴らしく上手だった。
作業的あるいは事務的な感じが、先生の読み上げには無かった。
スピード、抑揚、間、表情。
悲しい場面ではハッとするほど静かに低く沈んだ声で、明るい場面では目尻まで下がり柔らかな声色になっていた。
大げさかもしれないが、ちょっとしたホールでお客さんを入れても成立したんじゃないかと思う。

そんなわけだから、特に物語が教材のときは最高だった。
サトシ先生が文章を読めば、白黒の味気ない活字はたちまち頭の中のスクリーンで鮮やかな映像になって浮かび上がったものだ。

中学25年生くらいになってしまった今、授業の内容について記憶はかなりあいまいだが、なぜか1つだけ忘れない教材がある。

『空中ブランコ乗りのキキ』だ。

今の国語の教科書には掲載されていないようだが、この物語をサトシ先生の朗読で聞いた時のことはずっと鮮明に覚えている。
まさに映画のように、動画で脳に定着しているのだ。

サトシ先生のことを思い出して、『空中ブランコ乗りのキキ』を音読したくなった。
単行本があると知り、手元に置いておきたくなって思わずポチる。
物語の内容も悲しくも美しく素晴らしいので、この記事を見てくれた方にもぜひ読んでみてほしい。


サトシ先生の授業についてもう一つ思い出したので、こちらへ記録。


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