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【大人の習い事】基礎と応用を、滑らかにつなぐ取組み(インタビュー)

コツをつかんで早くうまくなりたい生徒と、基礎からしっかりと身につけてほしいと考える先生。特に大人向けのレッスンでは、足並みをそろえるのは容易ではありません。幸せなレッスンの形はどこにあるのか。私たちの教室の取り組みをご紹介します。

ひとつしか無いルートが塞がると、登れなくなってしまう。

――趣味であっても「しっかりと歌がうまくなる教室」を目指すなら、基礎と応用の両方に取り組む必要があります。でも、趣味というジャンルでは、必ず「楽しさ」を求められます。このシンプルで究極的な課題にどのように向き合っているのでしょうか。

「基礎と応用で言うと、みんな、基礎から始めると思っています。中にはコツコツ、最初からきっちりやる人もいます。でも私は、基礎を1割、2割とやったら、わりとすぐに応用に飛びます。みんな基礎が大事だということを、「体」ではわかっていません。「頭」ではわかっているけれど。」

――「体」では、わかっていない?

「そうです。理解ではなく「実感」として、基礎が大事だとわかっている人は、本当にひと握りしかいません。基礎練習全体の2割くらいやった時点で、「大体基礎は終わりだろう」と多くの人が思っています(笑)。」

「「まだ基礎練習が残っているの?」という生徒の思いを感じ取った瞬間に、応用に飛ぶのです。飛んでみる。そうすると、「基礎を使って歌える」と思っていたのに、全くうまく歌えない・・・。でも、それに気づけたら、次は「基礎の3合目」に行けます。また「飽きてきた」と思う頃に応用に行って、次は5合目くらいに到達して・・・。行きつつ、戻りつつ、の繰り返し。「基礎を全部やってから応用」という順番ではありません。」

――なるほど。どういう経緯で、そういった方法にたどり着いたのでしょうか?

「この仕事を始めたときは、「基礎やってからでしょ」と思っていました。ピアノで体験してきた世界がそうだったからです。勝手に飛んではいけない。バイエルやったら次はこれ、ツェルニーやったら、次はこれができます、とか。これが終わらないと、次には行けない。そういう世界でした。基本的には「耐えること」がレッスンの流れだと学んできたし、そういうものに全く意味が無いとは思いません。けれど、子どもはピアノのレッスン回数も多いし、進度が速いから良いものの、大人のレッスンって、多くの人は月2回程度です。ずっと基礎をやっていたら、もうなんか、終わらないというか(笑)。」

――そうですね(笑)。

「かつては私ももちろん、そういうスタイルしかないと思っていたから、そのようにやっていました。それが「生徒のため」だと思っていましたし。そうすれば、1回1回やる課題は決まっている、道が決まっているということになります。1番ができたから、2番。できたから、次は3に行きたいでしょ。「そのように、生徒も思っている」と思っていました。けど、生徒からしてみたら、「3が終わったのに、まだ4もあるのかよ」と(笑)。」

「音大を目指すとかではなく、自分の生きがいとか、もっと漠然としたものを目指してレッスンに来ている人にとってみたら、なかなかしんどい。一方、私の方も、「なぜ私はこんなに一生懸命やっているのに、生徒が離れていくんだろう」って。2が終わったのに、なぜ3に行きたくないのか。最初は理解ができませんでした。」

「でも、よくよく考えてみると、本当は、同じことなのだと思います。自分(=生徒)が必要になったら、次の練習をやる。それは、どちらも変わりません。大人の生徒は、(子どもの生徒と違って)強制力が働かないし、いつでも好きな時に辞められる。そういう背景もあって、私は、より生徒の感覚に寄り添うレッスンになったということだと思います。」

「基礎からコツコツやっていくことも、基礎・応用を行き来することも、根本的に、やっていることは一緒。必ずしも、前者のやり方だけが正解ではありませんでした。いろいろなタイプの人が訪れる生々しい現場を、講師という立場で引っ張っていくとなった時に、初めて、「一つのやり方だけではできない」と、それこそ私が痛みを持って知りました。」

――先生が生徒に合わせてやり方を変えるということですね。一辺倒のやり方では、やはり、上達に導くのは難しい??

「そうそう、「どんな練習方法が好きか」は人によって異なります。それに、技術さえ渡せば受け取ってもらえるかというと、そうではありません。レッスンだけでなく、日常の中の何気無い会話でも、この人は何に喜びを感じるのか、どんなときに熱狂して喜んでいるのか。それを知りたいのです、いつも。」

「「(方法を)私に合わせてください」というのは、言い換えると、「やり方を一個しか持っていない先生」ということになりかねません。「型にはめられている」と生徒側が思ったときに、嫌気がさすというか、抜け出したくなるというか、無理強いをさせられている感覚になるというか。そこにレッスンに臨むうえでの感覚の齟齬が生まれます。」

「上達のビジョンに行き違いが生じてしまわないよう、なるべく、私もいろいろな回り道の仕方を持っておきたいなぁと思います。あなたは山道一直線コース、獣道コース、湖を周遊してからコースとか、途中までロープウェーで行く人とか(笑)。ちょっと例が極端ではありますが、そういう、先生側が、「やり方は一つではない」と心の底から思えているかどうかが、重要な気がします。「どっちが正解なのですか」と言うけれど、「どっちも正解」ということが多いのですよ。」

自身に「ときめく感覚」。それが、「レッスンが楽しい」ということ。

――よく、「楽しくレッスンする」と言いますが、楽しくレッスンするための秘訣はありますか?

「「楽しいこと」と「ゆるいこと」は違うような気がします。ゆるいというのは、「できないこと」にずっと目を背けていて、もうちょっとうまくなりたいのに、いつもそこで諦めてしまうことです。それは、すごく惜しいと感じます。」

「基礎から応用に飛んだときの、「できない」という実感というか、「私にはもっと練習が必要だ」と痛感すること。それが一番重要で、これは、先生が100回言うより、自分で1回感じる方が身になります。」

「基礎が足りなかった」というよりは、「自分で感じて気づく」ということ。それが最も大事です。気づいた瞬間をピックアップしたい。気づいた瞬間、体感した瞬間を鮮烈に残したい。その瞬間は逃したくない。そういう思いです。それは、できなかったことができるようになることが、とにかく楽しいから!!」

「できることをグルグル回すのは、一人でやれば良いです(笑)。レッスンに来る必要がなくなってしまいます。レッスンの醍醐味は、「自分にこんな力があったのかよ!」という、己が持っていた力に気づいて、「私、やるじゃん!」という感覚を得られてこそ。その時に初めて、「レッスンって楽しい!」と感じると思います。」

――自身の成長を実感したり、「やれるぞ」という実感が湧いたり。楽しいというと、軽く聞こえてしまいますが、充実感を味わうということに近いですかね。

「適切かどうかはわかりませんが、刺激、非日常、興奮というような表現になるでしょうか。心が弾けるような嬉しさ。人と会って、しゃべって、好きな歌を歌って、ちょっとした時間を過ごす。いわば余暇ですよね。それも良いのだけれど、その効力って、効き目が凄く短いように思います。3か月もやれば、その楽しみって終わってしまう。」

「本当に「自分の人生に彩りを」なんて思ったら、「何歳になっても、私、まだまだやれるじゃん!」という感覚を味わうくらいじゃないと。それは、スポーツでも、絵でも、生け花でも、一緒じゃないですかね。自分で自分に「惚れ惚れする」というか。「私、いいな」と。最近は子どもに対して「自己肯定感を」などと叫ばれていますが、「私、まだまだ、かっこいい!」と思えるような瞬間があったら、大人であっても、その効力の効き目は長いと思います。」

自分に「必要なもの」だと実感してもらうこと。(具体的な取組)

――次に、具体的な取り組みについて伺います。多くの人が避けたいものの代表格と言えば、楽譜があります。基礎と応用というわけではないですが、苦手なものを能動的に取り組むには、どうしたら良いのでしょうか。

「楽譜は、実際に楽譜に取り組む前に、楽譜を使うことに対するイメージが直感的に分かるように工夫しています。楽譜は何が嫌かと言ったら、複雑だからです。歌に使う楽譜は本来、シンプルなものです。単旋律ですし。コードとか、調号とか、楽譜には、全ての情報をまとめて載せてしまっているから、自分がどこを見れば良いかわからない。難しそうなものが、いきなりドッと押し寄せる感覚だと思います。駅から自宅に帰るだけなのに、市内全域の地図を渡される感じ。徒歩5分の道のりを知りたいだけなのに。」

「だからレッスンでは、最初は、「楽譜の導入」とも言わず、「楽譜の練習」とも言わずに、とにかく、歌を歌うとき、「音は目に見えないから、目に見えたら楽じゃん!」というお誘いで、「楽譜めいたもの」を使うんですよ。それで、生徒さんが「目に見えると歌いやすいですね。」と言ったら、もう、「ヒット!」とばかりに、「さすが、わかっていらっしゃる」と(笑)。」

「それで、なるべくシンプルなメロディ譜から渡して、始めます。「あなたが先程良いと言ったものはこれですよ。」と。」そうすると、「うわっ」と拒絶反応が出るか、拒否反応を見られまいと、楽譜を見ているふりをして、歌詞を見てたり・・・(笑)。急に情報量が増えたら、それは当然、そうなりますよね。処理能力が追い付かない。そんな時は、「見てほしい部分」だけをピックアップします。」

「うまく歌えないところは、音の構造を理解していない部分。だから、「前後4小節くらいだけ」を見てもらって、そのヒントや根拠が「ここにある」ということを理解してもらいます。そうすると、その人の「苦手の傾向」が見えてきます。例えば、高い音がうまく出せないときには、いつも、前の部分でつまづいている。そんなことがわかってきます。」

「苦手部分の解決法が、レッスン中の私からのアドバイスだけでなく、「楽譜の中にもあるんだ」と気づけば、その後は、楽譜の利用範囲を増やしていけば良いということになります。」

「それができるようになった人は、「音楽のもっと大きな構成」とか、「何調によって、この曲が作られているから、こうなる」とか、「コード進行がこうだから、旋律とのバランスが・・・」となっていきます。そうなると、もはや楽譜は、「歌のため」を超えて、音楽を深く味わうためのツールになってしまいます。そうなったら、「いやもう、楽譜なきゃ無理ですわ」となるのです(笑)!」

――なるほど。一度に学ぶ単位をなるべく小さく、シンプルにして、そこから徐々に拡大していくということですね!ひとつのやり方に固執せず、課題に対して、いろいろなアプローチをして、改善して。それを繰り返してレッスンを磨いていることがよくわかります。

「なるべく、私が楽しくレッスンをしたいなーと思っているので(笑)。」

――もうひとつの「避けたいもの代表」として、宿題についてはどうでしょうか(笑)。

「宿題に関しては、まだまだ試行錯誤をしています。宿題というものに、どのように対峙するか、その姿勢には一定の傾向があります。まず、大人の中で、何を言われなくても、「次はここまで」だと、自分で課題を設定できる人がいます。次は、宿題を明確にすると、きっちりやってこられる人。次が、宿題だってわかっていても、何かしら理由をつけてやってこない人。ただその人は、申し訳ない気持ちがちょっとあります(笑)。最後に、宿題が出ていたことすら忘れている人。同じ宿題の出し方でも、「ドリルはここまで」と言って、やってくる子もいれば、精度が低く、とりあえず、「やったか、やっていないか」と言えば、「やった」という子もいます。それと同じだと思います。」

「それが「自分にとって必要なものだ」と、どうしたら感じてもらえるだろうと、考えながら、復習・予習の仕方を提示しないといけません。私にはまだ、そのバリエーションが少ないということだろうと思います。」

 「「歌」というジャンルに限って言うと、家で声を出せる環境がなかなか無いという一面があります。だから、宿題と言っても、その人がどういう環境で生活しているかによって左右されてしまいますし、ピアノみたいに消音機能があるわけでもありません。また、誰もがスタジオに入って練習できるわけでもありませんし、レッスン時間を捻出することで精一杯という人もいます。」

「歌うこと以外の宿題が、どれくらい歌に生きるか、証明が難しい面もありますが、家でやるのは「知識の整理」にしてみたり、楽譜の中から、声を出さずとも、次のレッスンに活かせるような、2週間の間に取り組むことのできるステップをやってもらう、ということをしています。」

「そうすると、次のレッスンのスタートが楽になるというか、自信を持ってスタートできます。結局はそれが、「やる意味があるから、やる」ということにならないと。言われたからではなく、「やったほうが絶対良いね、これは」と。どんな生徒に対しても、それができたら良いのですが、ずっと試行錯誤しているというのが実情です。

――最後にひと言、お願いします。

「大人のレッスン」って、コツコツやってきた音大卒の先生から見ると、すごくズルいやり方に見えるかもしれません。けれど、「楽をしている」こととは違います。大変なことも、「どうやったら楽しく」、そして、「自分に必要か」を実感しながらやれるか。そこに、先生と生徒が、一緒に舵を切れたら、一番幸せな方向なのではないかと思います。


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