見出し画像

音程を合わせるな!

音程について、耳にタコができるほど言われてきた人は多いのではないでしょうか?

”音程を合わせるな!”という「なんだよトーシロかよ!」「てやんでぃ!」と江戸前な歓声が飛んできそうなタイトルですが、
今回はアンサンブルにおいてチューナーの針で正解を決めるのではなく、
音程の上位概念で合わせたらいいんじゃないの?っていう話をします。

◆「音程を合わせる」の定義とは?

まず、言葉ついて定義します。
「音程を合わせる」ということは、

お互いにその瞬間で合意した音の高さ(周波数)を基準に演奏すること

土地・会場・人員構成・文化・慣習・特徴・クセ・楽器・時間・疲れ具合・可愛いあの子と一緒の本番 etc…
だいたい共通の認識(12音律だったりA=440Hz前後だったり)があるものの、
その時々で微妙に合意するポイントが異なる可能性があるものです。

なので、自分一人がチューナーをつけて、
「自分はチューナー先生に従うであります!」
というのはアンサンブルではなく、
チューナー教の”音程免罪符”を手に入れて自己満足しているだけ!

意外とプロにも”音程免罪符”で安心したい繊細さんを見かけます。
ですが、神々にも上下関係がある(?)ように”音程神”にも頭が上がらない神がいるはずです!

◆音程の上位概念

上位概念とは…

〘名〙 二つの概念外延について大小の関係と同時に包括、被包括の関係にある時、大にして包括する方の概念。たとえば、「猿」に対する「動物」。

コトバンク

ある言葉が、別の言葉を含む、より一般的、より総称的、より抽象的なものを指すときにいう。

Wikipedia

例えば、”人間の神”と”生命体の神”がいたら、
人間の神はあくまで人間の領域の神ですが、
生命体の神は人間だけでなく牛やクジラや草木の領域まで統括する神です。
さらに”神々の神”がいたら、まさに上位の神ですね。

平社員をとりまとめる係長、
その係長をとりまとめる課長、、
その課長をとりまとめる部長、、、
こっちのほうが生々しくてわかりやすいでしょうか。

話を戻すと、音程を支配する上位の存在があるのです。
それが「音色」です。

◆音色 > 音程

なぜ音色が音程の上位概念といえるのでしょうか。

ずっと古代には音程という概念がありませんでした。
あるとき頭のめちゃくちゃいい人が鍛冶屋の金属音を聞いて、
「なんか聞こえてくる音が違うぞ、この差は何なんだ??」
この音色の差から数学によって音程を説明することに成功したのです。

このように「音色」は音程や倍音、音の性質、発音などを包括した概念なのです。

つまり!
音色を合わせようとすれば、必然的に音程も合ってくると言えます。
なのでチューナーの針に合わせるのではなく、
お互いの音を聞き「音色感を合わせる」ことが「音程を合わせる」の上位のアンサンブルということになります。

◆上位概念は無限

音程の上位概念に音色がある。
じゃあ音色にも上位概念があるんじゃないの?

もちろんあります!
しかし上位の存在は作り出そうとすれば無限に存在してしまうのです。

  • 「神々の神をとりまとめる神」

  • 「神々の神をとりまとめる神」を生み出した神

  • 「神々の神をとりまとめる神」を生み出した神の嫁

神であろうと、きっとそれなりの苦労があるのだと推察します。。

でももう一段階だけ、「音色の上位概念」にもアプローチしてみます。

◆〇〇 > 音色 > 音程

先ほども書いたように、上位概念はいくらでも存在し、
観察と考察によって様々な上位・下位の概念を生み出すことが可能です。
そして、上位概念に行くほど抽象的なものになっていきます。

音色の上位概念を単純に「音」と定義することも可能です。
もちろん間違いではありません、音を細分化すると音色というものが出てきます。

しかし「音を合わせましょう」と言われても、
漠然としすぎていてあまり納得感がありません。。
なので、今回はもうちょっと具体的な中間概念を示そうと思います。

それは「音楽」です。

◆解決のステージが変わる

まず、音楽が音色の上位概念という説明から。
多種多様な音楽の種類があり、それを表現するのが音色です。
逆に、多種多様な音色があって、それを音楽が表現するとは言わないでしょう。

音楽の中に音色があって、
音色の中に音楽は存在しません。
(もちろん今回の定義上の話であって、逆の定義もできなくはないかもしれませんが…)

つまり、
音楽>音色>音程
という支配構造が浮かび上がります。

ここで注目したいのが「音程・音色」と「音楽」で
解決のステージが違ってくるということです。

どういうことかというと、

  • 音程の違いを課題に感じる人は、音程の差を解決しようとする

  • 音色の違いを課題に感じる人は、音色の差を解決しようとする

  • 音楽の違いを課題に感じる人は、音楽を共有しようとする

音程・音色の違いを「解決(解消)」から、
音楽の違いを「共有」というアプローチに変わると考えます。

この解説は長くなってしまうので、
また別記事で書こうと思います!

◆まとめ

チューナーで自分だけあっているという主張をしても、
音色感が違えば「自分は正しい、あなたが間違っている」という責任の押し付け合いになりかねません。

音程は機械で合わせ、音色は感覚で合わせる。
(ちなみに音楽は言語で合わせる!?)

機械に合わせるために、何年も何十年も努力・訓練してきたわけではないでしょう。

音程という小手先の指標ではなく、上位概念で合わてみてはいかがでしょうか、という内容でした。
皆様のインスピレーションの種になれば幸いです。

またの!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?