図鑑みたいな作品が好きだな
私たち人間は、"Human being" であるはずなのに、気づくと学業や 仕事で目標を追わされて、それらを達成するために自分で「しなければならない」という思考になって無理をするらしい。その結果、"Human doing"という人間でないなにかになってしまう。(だから、瞑想して一回ありのままに戻ろうね)
そんなことを瞑想の授業で習いました。
ひとまずそれはおいといて、私は図鑑みたいな展示とか、作品が好きです。
それはどんなものかというと、こないだ見た松濤美術館の「デミタスカップの愉しみ展」とか。(※写真1。かわいい展示でしょ)作品だったらシンガポールでみた " Your Blank Stare Left Me at the Sea"とか、、(※写真2、3。なんでこんなマイナーな作品えらんだのか自分でもわからない)
こんなような、とりあえず同じ物を数あつめた「図鑑みたいな」作品が好きです。そしてこの間、森アートナイトで森美術館に夜にいった時、「Root of Steps」という私の定義でいう「図鑑みたいな」作品に出会いました。やっぱりすごい好きで、写真をとって会場でたくさんながめていました。
この作品は、宮永愛子さんによって作られた作品で、ナフタリンという物質の結晶でできているものです。この靴は森美術館のある六本木エリアに住む様々な人(森美術館スタッフ、俳優、金融業界関係者、アートコレクター、子供とか)の靴の模型らしい。ナフタリンという物質は常温で溶けてしまうので、この展示の近くは冷やされていて寒い。つまり、展示期間が終わったら消えて無くなってしまう幽霊みたいな作品だ。
この作品がやっぱりいいなあと思った。
現実世界ではさまざまな職業、立場、もっと細分化すると性格も趣味も、話す言葉も、常識とか、同じ六本木という場所に存在しながらあらゆるものが違う人たちがナフタリンという物質で任意に汲み取られて、属性を外されて一個体の人間として「無」に戻されるところが好きなのだと思う。
ここで最初の”Human doing”の話に戻るのだけれども、みんな人間という個体は最初、形状の差があったり、置かれる環境が千差万別ではあるもののHuman being として生まれる。そしてどんなHuman beingであったとて、生きるためには「なにか」をしなくてはいけなくて、学生になったら生きていくために学び、大人になったらお金を稼いでいきていくために Human doingになっていってしまうことに、嬉しくもあり辛くも感じる。だからこそ、一回そういったものを取っ払って、無に帰すことで、原点だった自然(being)の状態に戻ることがとても必要だなと思う。そして、それを可能にしてくれるのは、全てを「無」に帰すことで無効化する装置としての芸術だと思う。それが必ずしも「図鑑みたいな」タイプの芸術じゃなくてもいいのだけれど、「図鑑みたいな」タイプの芸術がシンプルにわかりやすいからこそ、私はいいなと思うのだと思う。一見意味がなさそうな動きを繰り返してる映像・オブジェとか、日常にありふれた大量のもので構成した作品とか、そういうのだっていいのだ。さまざまな創意工夫を凝らして、現実社会の強固な境界、常識というカテゴリーをぶらして無にリセットするきっかけをくれるからこそ芸術が好きだ。Human beingであるために、今日も私は芸術鑑賞に勤しむよ。
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