限界の向こう側日記、あるいは「グッデイ・グッバイ」的欲求について
火曜日。Men I Trustの来日公演でOAを務めるmei eharaのバンドセットでライブ。会場は昨年の11月にKhruangbinを観に行ったZepp Haneda。それはそれは大きな会場だ。しかもソールドしているから2000人近い人の前でライブをすることになる。緊張のあまり気絶するのではないか。
どっこいリラックスして演奏できた。大きな会場のほうがむしろ緊張しないような気がする。というのも、大きな会場ではお客さんとの距離がある程度離れており、視線が意識されないからである。誰もお前さんのことなんて見てやしないよ、自惚れんな、という内なる声が聞こえてこないわけではない。しかし、この指摘は半分正しくて半分間違っている。
他者の視線なるものは、見られている気がするという心の内側が生み出すものであり、実際に見られているかどうかという事実は問題ではない。いうなれば、他者の視線とは幽霊の気配のようなもので、あると感じられればあるものだし、いると感じられればいるものなのである。いずれにせよ、すべては気のせいだし、気の持ちようでどうにでもなるのは間違いない。
大人には学生時代の夏休みに類する大型の長期休暇がないという事実をしばしば思い出し、そのたびに涙を流している。でもそれは単なる思い込みに過ぎない。というより、大人と学生とでは夏休みの質が異なるというただそれだけの話だ。どういうことだろうか。
学生の夏休みは学校から与えられるものである。大人の夏休みは誰かに与えられるものではない。大人の夏休みは自分からつくり出すものなのだ。夏休みに類する長期休暇を取るためにはどうすれば良いか。すべての取り組みを放棄すれば良いだけである。
これほどシンプルな話はないといえる。とはいえ、それを実行に移すほどの意気地があるわけでもない。たとえば桟橋でプロポーズしようとする男性が結婚指輪を桟橋から落としてしまう動画、あるいは大型犬と赤ん坊が仲良くしている動画をぼんやり眺めたりして、小分けパックにされた夏休みを消化しながら、だましだまし、粛々と取り組むべきことに取り組んでいくほかない。
3月もなかなか忙しかったけれども、4月もそれと同じくらい忙しかったと言って過言ではない。ライブもたくさんあったし、リハもいっぱい入ったし、原稿も何本か書いたし、鳥居ゼミもあった。駆け抜けた。駆け抜きすぎた。
第二回鳥居ゼミのあとにお客さんに書いていただいたリアクションシートを拝読した。濃い感想をいただけてとても刺激になった。次回の『NEVERMIND』会も気合を入れて臨みたい。
シリーズもののイベントは回数を重ねるごとにお客さんが減る傾向にある。ありがたいことに前回は初回を上回る集客があった。次回はどうだろう。イベントには不安はつきもの。いずれにせよ気合を入れて臨みたい。
過日。寝苦しさで目が覚めた。ぞくぞくと寒気がするが、体は火照っており息苦しい。眠りについたかと思えば、悪夢にうなされ、小一時間ごとに目が覚める。朝、起きて体温を計ると37.8度だった。喉や鼻に違和感はないから風邪ではなさそうだ。
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