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タクシーからの風景 ~夜の客たち

ガサゴソ

トレーナーの上下という、タクシーを利用するというよりも、近所のコンビニに買い物に行く、といった態の、ラフな姿の青年。
走り出すとすぐに、ガサゴソとなにかをはじめた。

目的地に到着するまでのほんの10分足らずの間、ずっと背後で「ガサゴソ」となにかをしていた。
ちょっと気にはなったのだが、ルームミラーを見ても何をしているのかよくは分からず、ともあれ無事に目的地へ到着し、振り返った僕の目に飛び込んできたのは、トレーナー姿の冴えない青年ではなく、スーツでビシッと決めた、いま風の青年であった。

そして彼を降ろしたのは、某有名ホストクラブの前であった。

黒服

新宿は、区役所通りでの出来事である。ここは東京でも屈指の、まさに歓楽の中心街である。

中野、新宿界隈を本拠地とする場所柄、夜中になると、「区役所通りへ」という客が多い。しかもたいていは、ほんの1~2メーター程度である。
そしてこの通りは常に渋滞しており、通り抜けるだけで20分近くかかる上に、ありとあらゆる方向から、酔っぱらいや、おっかないオニイサンたちが飛び出てくるので、僕はあまり入りたくない通りである。

この日も運悪く、「区役所通りへ」という客を乗せ、この通りへ突入するはめとなった。
例によって、空車のタクシーと、夜なお暗い(変な日本語だが……)スモークガラスの車の列で、通りははほとんど動かない。そして、これまた例によって、そこここで、酔っぱらいたちの痴態が繰り広げられていた。もっとも、ついこの間までは僕もその一員だったので、文句の言えた義理ではない。

さて、渋滞の中、ふと見ると、酔っぱらった女性と黒服っぽい男性が、道ばたでもみ合っている。
やがて黒服が、座り込んだ女性をひょい、と肩にかつぎ上げ、僕の車のわきを通って背後へと去っていった。そして前の車が少し進んだので、僕もジワリ、と、車を前に進めようとした。……と思うや否や、突然、後部ドアが開けられ、件の女性がドサリ、と座席に降ろされた。

そして黒服は深々とお辞儀をし、「××さん、本日はちょっと飲み過ぎのようです。どうも、お疲れ様でした!」と言うなり、バタン! と、ドアを閉じた。

僕はあっけにとられてしまい、事態を把握するのに、おそらく10秒ほどかかったと思う。
後ろの車からクラクションを鳴らされ、ようやく「……ええっと、……ど、どちらまで……?」と、間抜けな問いを発しながら車を前進させたのだが、彼女は、行き先を告げると同時に、軽いイビキをかきながら眠り込んでしまった。
その場所を僕がたまたま知っていたのと、けっこう遠いところだったのが、なんとなくラッキーではあったが、いざ、目的地近辺についてから、彼女を起こすのに一苦労したのであった。


ご出勤

午後の5時から7時にかけて新宿に向かう幹線道路を流していると、出勤ないしは同伴に向かうキャバクラ嬢を乗せることが多い。中野には、キャバ嬢も多く住んでいるのである。

彼女らは一様に、「大急ぎで、歌舞伎町へ」と告げる。しかもたいていは「ちょっと無理やないか?」というくらいに、時間がない。
さらにたいていは、「メイクするのであんまり揺らさないで」と、矛盾する注文を出してくる。最近は5時ごろならばまだ明るいが、ちょっと前はまだ暗かったので、「灯りをつけてもいい?」と、車内灯を求めてくる。無論、OKである。

そしてそういう時に僕は、「よっしゃ、オッチャン、頑張るでぇ」と、張り切ってしまう。
日ごろの僕は、「急発進」「急停車」「速度違反」ほとんど無い。時として「もっと、飛ばしてよ」と客に言われるくらい、ノタノタ運転である。
しかし、こういう時だけは、人が変わったようにすっ飛ばす。
この際、そういう運転の「善し悪し」は問わないでいただきたい。
「オッチャン」としては、彼女らの要求が最優先なのである。

そしてルームミラーでちらちらと見ると、彼女らは、揺れる車内で実に器用にビューラーを使ったりしている。
しかもその間、運転手である僕に気を使ってか、おしゃべりも欠かさない。
対する「オッチャン」も、「この先ちょっと揺れるでぇ」などと、ウキウキである。

ところで、大切な「勝率」だが、今のところ、ほぼ9割がた、間に合っている。
勤務後に打ち出される「デジタル・タコメーター」には、その時だけスピードが突出しているのがしっかり記録されている。日ごろはどんくさいオッチャンも、この時ばかりは、妙に張り切るのであった。

オッチャン、ウケるー

渋谷で乗せた、ギャルトリオ。妙に親しげに話しかけてくるな、と思ったら、大阪の岸和田出身のキャバ嬢トリオであった。つい関西弁がうつり、回復にしばらくかかる。

ひさしぶりにギャルと会話が出来たうえに、たった2メーターの間に「オッチャン、ウケるー」と何回も言われ、オッチャンとしては実に満足なのであった。それを「虚」というなら、言うがよい。オッチャンの一番好きなもの、それは「虚」なのである。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。