大事なのは誰かの評価じゃなくて、自分で納得できること【9/18阪神戦●】
いつかそれは、終わるのだ。華々しい記録も、勝利の余韻も、王者の立場も、何もかも。
いつかは、記録が途切れる時が来る。いつかは、負ける時が来る。誰しもにその瞬間が待っているのであれば、大切なのはそこから這い上がることだ。
てっぱちの盗塁の記録が途切れる。ヤクルトの最下位が決まる。でも戦いは、そこで終わるわけじゃない。てっぱちはこれからも打席に立ち続けなきゃいけないし、ヤクルトは試合を続けなきゃいけない。いつだって、勝つというシンプルな目標のために。
いつだって大切なのは、うまくいかなかった時、そこからどうしていくか、だ。
目の前で相手チームの新人王候補(とされる選手)は盗塁を成功させ、ヒットを積み重ねていく。村上くんは元気に三振し、てっぱちは盗塁を失敗する。てっぱちが盗塁を失敗するたびに私たちはなんだか悲しい気持ちになってしまう。
でもそれは、長いシーズンの、長い物語の中の、切り取られたほんの一部の風景だ。例えば私自身、誰かが作った「新人王」という「評価」にほんの少し、踊らされているだけかもしれない。たぶん、大切なことは他にもたくさんある。
村上くんのエラーは、日を追うごとに着実に少なくなってきた。それは19歳の選手が、信じられないほどのホームランを打ちまくってきた中で、もう一つの大きな偉業だ。
例えば今日のような試合で目を向けなきゃいけないのは、相手のチームの誰かが盗塁を成功させたことやヒットを打ちまくったことではなくて、タイセイくんが守備でミスをしながらも猛打賞を打ったことや、てっぱちがあらゆる思いとプレッシャーといろんなものを抱えながらそれでも走ったことなのだ。
それでもノーアウト1,3塁から点を取れなかったのはどうしてなのか、満塁のチャンスをつぶしまくったのはどうしてなのか、まあそんなのは宇宙の真理だから仕方ないにしても、どうしたらあの場面で、確実に点が取れるのか、それをひたすらに考えることなのだ。
相手チームの新人が活躍しまくることを止めることはできない。それはその選手の頑張りそのものだからだ。自分たちにできるのは、自分たちのプレー一つ一つを省みて変えていくこと、それだけだ。
それを、信じられないくらいの執念でやり続けた先輩たちが、チームを去ろうとしている。ここからは、今日打ったり守ったり打てなかったり守れなかったりした若手たちが、同じように、考え続けていかなきゃいけない。
なんじゃそりゃ!!!と、叫びまくったこの試合は、たぶん、これから若返っていくヤクルトが、先輩たちがいなくなったチームで、いかにがんばっていかなきゃいけないか、を、あぶりだすための試合だったのかもしれない。なんじゃそりゃ、だけど。
当たり前だけど、大事なのは「誰かの評価」じゃない。目の前で最善のプレーができるか、自分自身がそれに、納得できるかどうか、なのだ。
そしていつか、誰しもに訪れるユニフォームを脱ぐ瞬間に、やりきったと、自分自身が思えることだ。あの日三振をしたことも、盗塁を失敗したことも、全部ひっくるめて良い野球人生だったよな、と。
私はただ、選手一人一人のそういう姿を静かに見守っていくだけだ。どうか最後のその日まで、思いっきりプレーできますように、素晴らしい野球人生でありますように、と。
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