「誰かを応援できた日々」を、胸にそっと抱きながら【9/21中日戦●】
たてさんは、半袖でそこに立つ。
そこからは、手術を繰り返した傷痕がのぞく。
今日もたてさんは半袖で、試合前のブルペンに立ち、投球練習をしていた。若いキャッチャーの松本くんが、その一球一球を受けていた。
コーチと、お客さんと、みんなが、それを、静かに見守っていた。
この空気は今日だけのもので、そして二度と戻ってこないのだ。
「打者を欺くことなく真っ向勝負できたことは自分の誇りです」
と、たてさんは言った。
「打者を欺く」ことも、もちろん素晴らしい投手の仕事だけれど、たてさんはそういうタイプではなかった。それがたてさんの哲学で、それがたてさんのかっこよさだった。
たてさんは最後の打者となる大島を、「真っ向勝負」でセカンドゴロに打ち取った。たてさんが最後に投げたボールを、てっぱちはしっかりと掴み、村上くんに投げた。
たてさんの最後のボールが、後輩たちに受け継がれていく。
◇
ハタケの打球は、外野の間にポトリと落ちた。照れ笑いをするように、ハタケは一塁まで走った。
「こちらに向かってくるハタケ」を見ながら、いつもそこにハタケがいたよな、と思い出す。去年、「ぐっち席」と名付けて座ったその席で、私は何度も目の前のハタケを見た。ハタケはそこでしっかりと、ファーストを守っていた。それは「いつもの光景」に見えた。でもそれはいつか、終わりを迎える。想像よりずっと早く、それは来るかもしれない。
ハタケは最後の打席の後、イニングの間に塩見とキャッチボールをした。ハタケ!ありがとう!の声援に、こちらを振り返って手を振ってくれた。
それはいつか見た、「パパ!(しあい)でれたらがんばって!」と声をかけた息子さんに、嬉しそうに振り返って手を振っていた姿と重なった。
セレモニーの挨拶で、チームメイトや、家族や、ファンに感謝の気持ちを語ってくれたハタケは、そこで涙をぬぐった。
最後の最後の日、私は、「練習嫌い」と言われるハタケの、豪快なエピソードを山ほど持つハタケの、根っこの繊細さやそして大きな優しさを、見たような気がした。
◇
終わりが来ることはわかっているのに、終わりが来るたび、なんで終わりなんて来るんだろう、と思う。
いつだって景色が変わりゆくことは知っているのに、景色が変わるたび、なんでこのままでいられないんだろう、と思う。
だけど、本当に美しいものは過ぎ去ってから気づくものだ。終わりがあるから彩られるものがある。
二人はいつも、そこで勝つために戦い続けた。ただシンプルに、勝つことだけを、目標に。
その積み重ねの中で、たくさんの物語があった。それに何度も涙した。
そして二人は最後の最後に、人生における「勝つ」ことよりも大切なものを見せてくれた。家族が、チームメイトが、ファンがいるその空間に立つその素晴らしさを。
そして、応援できる人がいるということの、喜びを。
◇
私たちはいつも、いつかさよならの日が来ることを知りながら、生きている。誰しもに、別れの日は訪れる。でもそこに確実にあったたくさんの物語を胸に、それぞれの道を歩んでいく。
傷も痛みも自分の中に受け止めながら、泣いたり笑ったりしながら、少しずつ。
出会えたことを、声援を送れたことを、そのマウンドに、打席に、祈りを込めたことを、「ハ!タ!ケ!」と叫べたことを。それに彩られた、「誰かを応援できた日々」を胸にそっと抱きながら。
たくさんの、記録と記憶をありがとう。そこに立ち続けてくれて、そして応援させてくれてありがとう。これからの二人とご家族の新しい日々が、どうか素晴らしいものでありますように。
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