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あまりにひどく負けるので「修行」の意味を調べてみた【8/26巨人戦●】

修行だ。修行以外のなにものでもない。

「なんなんだほんとに…」と、さすがにぶつくさ言いながら、まじでなんのために私はお金を払いながら日々こんなにひどい試合を見ているのだ?と、考え込む。修行である。

でも本当にこんな「修行」があるものだろうか。毎日毎日毎日、試合前半の1回だか2回だかに2点だか3点だかを取られ、毎日毎日毎日、10安打だか20安打だかされ、とにかく毎日毎日毎日、打たれに打たれて豪快に負ける試合を見ることが「修行」なのだろうか。

だいたい修行ってなんだ。

家にある『新明解国語辞典』で、「修行」を調べてみた。(ちなみにこの辞書は大真面目な国語辞典ですが、ちょいちょい味わい深い意味が載っていて読んでいて全く飽きないのでまじでおすすめです。)

曰く、修行とは

「仏教徒が、より高い悟りの境地を目ざして所定の戒を保ち苦行を重ねること。」

と、ある。

ふむ。仏教徒になった覚えはないが、まあ通っていた高校は仏教校だったし(京都の私立高校は仏教校がやたらと多い)、いやそういう問題ではないけれどもまあそれはさておき、私は今、「より高い悟りの境地を目指して所定の戒を保ち苦行を重ねる」という状態には近い気がする。

さらに考察を重ねてみたい。

間違いなく「苦行」は重ねている。重ねまくっている。首位から45日で最下位である。苦行である。諸行無常諸法無我である。人生はジェットコースターである。

では「所定の戒」とは何か。新明解国語辞典で「戒」を引くと、

「〔仏教で〕六波羅蜜の一つで、在家・出家の人が守るべき大小の戒律を指す。」

とある。

六波羅蜜?京都に、六波羅蜜寺というお寺があってここの仏像は本当に素晴らしい。街中のお寺だけれどもかなり近くで仏像が見られるので是非行ってみてください。ほらあの、教科書にも載ってて有名な空也上人の仏像があるお寺です。

閑話休題。

「六波羅蜜」である。この六波羅蜜とは何か。また新明解国語辞典を引く。

「〔大乗仏教で〕菩薩として実際に行うことを要求される六つの徳目。布施・持戒・忍辱(ニンニク)・精進・禅定(ゼンジョウ)・智慧(チエ)」

…ちょっと何かに近づいてきた気がする。私は何か大切な真実に近づきつつある気がするぞ。

この六波羅蜜、順番に見ていきたい。(全て『新明解国語辞典』より)

布施:僧に与える金や品物
持戒:仏教徒として、規律を守ること
忍辱:他から恥を与えられても、じっと我慢すること
精進:一心に仏道を修行し、心身を清く保つこと
禅定:仏門に入り仏道を修めること
智慧:新しいものを追求し、わからないことを解決していく能力

すなわち、ヤクルト球団にお金を与え(布施)、観戦ルールを守り(持戒)、どれだけ連敗しようがもはや応援するのが恥ずかしくなるような試合を見せられようが「またヤクルト負けたね」と巨人ファンや広島ファンに言われようがじっと我慢し(忍辱)、一心にヤクルトを応援しこれらの修行をを重ね(精進)、ヤクルト門に入りヤクルト道を修め(禅定)、急に審判の口から出てきた「ボナファイド」なる聞いたことない用語にも必死に食らいついていく(智慧)、そういう姿勢が求められるわけである。

これを「実際に行うことを要求される」のが「菩薩」である。そうか私はまず菩薩を目指していたのかもしれない。

ここで冒頭の「修行」の意味に戻りたい。

修行とは、

「仏教徒が、より高い悟りの境地を目ざして所定の戒を保ち苦行を重ねること。」

「より高い悟りの境地」が具体的に何かはわからない。そりゃそうだ、わからないからみんな修行するのだ。でもそれは、例えば順位を上げるとか貯金を貯めるとかそういうことではないはずだ。「高い」とは、おそらく順位ではない。だってそんなものは煩悩である。ボーン。(除夜の鐘)

ただ一つ言えることは、確かに、昨日の私は、六波羅蜜寺にあるこの空也上人のような顔をしていた。それは確かである。間違いない。

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修行を繰り返すことで、私もいつか立派な菩薩になれるのだろうか。そしていつか、大切なことは勝ち負けではないと悟るのだろうか。

……

………

…………無理だな、絶対無理。早く勝ってください!もう!

ボーン。(除夜の鐘)

(※全て個人の見解で実際の仏教の見解とは大きく異なります悪しからず!)


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